連載
#18 #戦中戦後のドサクサ
「何で死んだ!」酔って号泣した元憲兵の父…息子が振り返る戦中戦後
陽気さに隠れた、誰にも言えない本音
「これは私が生前の父から聞いた話です」。冒頭、息子が語り部として、男性から打ち明けられた過去を話し始めます。
横浜に生まれた男性は、幼い頃に両親を亡くし、兄と姉に育てられました。成長してから東京の大学に進み、英文学を修めます。そして卒業後間もなく、陸軍に召集されたのです。20代前半、青年期まっさかりのことでした。
所属した部隊では、過酷な環境に身を置きました。「死ぬのが怖いのか! 非国民め!」。「昇進すると南方戦線に送られる」とのうわさを聞き、出世を望まなかったために、階級が上である一等兵の古参兵から暴行を受けたのです。
連日のように殴られ、傷を負ううち、男性は命の危険を感じるようになりました。「二等兵でいいと思ったが……。このままでは……軍隊内で殺される……」。その後、上等兵になったのを機に、東京・中野の陸軍憲兵学校に入ります。
「諸君らは黒子である! 影ながら軍紀と治安を守るのである!」。教官からは、「軍隊の警察」と言われる憲兵の精神性を、徹底的に叩き込まれました。いわば、「生き残るための生活」が始まったのです。
全課程を修了し、男性は正式に憲兵となります。白地に赤く「憲兵」と書かれた腕章を身につければ、どこへでも自由に移動できました。権力を持つ側に立ったという事実を思い知らされます。
夜間に、ある部隊の宿舎近くを巡回していたときのことです。暗闇の中で認めた人影を、男性は強い口調で呼び止めます。「おい! 貴様、何をしている」。振り返った兵士の階級は、過去に自分をいじめた男と同じ、一等兵でした。
「ひいい! 何でありましょうか!?」。すっかりおびえながら敬礼する様子を見て、男性は表情を曇らせます。
「腕章一つで、人の態度はこうも変わるのか……」。相手の地位に応じて、立場をころりと転じてしまう、心の複雑さを感じた出来事です。
憲兵の世界は、俗世間と一線を画していました。司令部内の一室を訪れると、事務机の上に、英語の辞書や聖書が置いてあります。一般に敵国である英米由来の文化が否定されていた、当時の社会情勢からすれば、考えづらいことです。
本音と建前を使い分けているのは、新兵時代に出会った仲間たちも同じでした。軍隊なら食いつなげると喜ぶ農家出身者。「前線に行きたくねぇなぁ」と愚痴り合うインテリ組……。誰しもが、公にできない思いを、胸に秘めていたのです。
男性は生きることのままならなさを感じつつも、陸軍省で出会った、栄養士の女性と仲を深めます。「戦争が終わったら、ハリウッド映画を見に行こう」。ほどなく二人は結ばれ、やがて終戦を迎えました。
それ以降、実に変わり身早く、世の中を渡りました。まずは英語力を活かし、通訳として連合国軍総司令部(GHQ)で働き始めます。スーツ姿で、米国人とボードゲームを楽しみつつ写真に収まるなど、かつての敵国人と対等に交わったのです。
三人の男の子を授かり、日米交流イベントに親子で参加したことも。しばらくすると、映像制作業などの職を転々として、妻を呆れさせます。
当の男性といえば、元来のひょうきんさが幸いし、わが子に過去の職場の名刺を見せて自慢するなど、楽しんでいました。
語り部である息子には、思い出深い記憶も残っています。男性が時々、子どもたちを自宅前に並ばせ、こう言ったのです。
「皇居に向かって礼っ!」。頭の下げ方が甘いと、丸めた新聞紙で、腰を痛くない程度にはたきながら、「姿勢がなっとらん」と〝指導〟しました。
ふざけているのか、まじめなのか……。男性の真意は、よくわかりません。もっとも、きょうだいたちにとっては、楽しい遊びの一環です。
「お父さんのいつものやつ、今日も面白かったねー」。不思議なひとときが終わるたび、三人で笑い合いました。
そんな男性が、豹変した瞬間があります。ある日の夜、外出先で酒を飲み、帰宅した後のこと。イスに座るや、近所に聞こえるほどの大声で、突然泣き叫び始めたのです。
「山本……! 田中……! 何で……お前らは……何で死んじまったんだ!」
口にしたのは、戦地で命を落としたであろう、友人たちの名前です。酔っ払って帰ってくるたび、同じ事を繰り返す様子を、まだ幼い息子は迷惑そうに眺めていました。父親の気持ちが理解できず、恥ずかしくて嫌だとしか思えなかったのです。
時が流れた現在、男性はもう鬼籍に入ってしまいました。本当の気持ちを確かめる術はありません。息子は語ります。「今思うと、生前にもっと話を聞いておけば良かった」
戦中戦後を駆け抜けた、一人の人間の物語です。
今回のエピソードは、70代で死去した男性の息子(72)から聞き取ったものです。ふつうの人々が、終戦前後に送っていた暮らしを描いてきた岸田さんにとっても、非常に新鮮な内容だったといいます。
「戦争について学ぶ場で、憲兵や国防婦人会などの当事者は、市民をいじめる〝悪役〟だったと教えられることが少なくありません。しかし彼ら・彼女らも、戦時中は信念を持ち活動していたはずです。一方、過去を語る人々はほとんどいません」
「男性は、ご家族にだけ、自らの体験をお話しされたのでしょう。恐らく、お伝えにならないままとなったことも多くあるだろうと思います。それでも率直な本音を始め、今まで聞いたことのない出来事が多く、大変興味深かったです」
終戦から76年を超え、往時の生々しい経験談を聞く機会は、ますます減ってきています。だからこそ、たとえ断片的であっても「消えかかった歴史」に耳を傾け、世に伝えていきたい。岸田さんは、そう考えていると話しました。
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