地元
「気に入らなかったら出て行ってくれてもいい」移住者が輝く村の秘密
平成の大合併を拒否したその後
幻想的な光景に、思わず息をのんだ。木や林や森は、そこら中にあるもので、見慣れたような気がしていたが、そこに広がる杉の木の森は、明らかに雰囲気が違った。枝打ちや間伐が丁寧になされ、整然と並んだ大木の隙間から、光が筋状になって差し込んでいる。もやがかかった空気がその光に反射し、きらきらと輝いている。すぐにも消えてしまうようなはかなさを感じ、夢中でシャッターを切った。(朝日新聞映像報道部・関田航)
昨年12月、朝日新聞の「未来のデザイン」という連載取材で、岡山県西粟倉村(にしあわくらそん)を訪れた。2008年、「百年の森林に囲まれた上質な田舎」を目指す「百年の森林(もり)構想」を打ち出し、さまざまな取り組みを実践している。
村の95%が森林で、その84%を占める人工林の中でも、人の手が入り最も美しいといわれるのが、樹齢100年を超える杉の木が並ぶ冒頭の森だ。
「こんな山は、日本全国探してもそうそうあるもんじゃないでしょう」
かつて全国で起きた平成の大合併に村長として直面し、村民とともに合併を拒否した道上正寿さんは誇らしげに話す。その決断の支えとなったこの森を、道上さんと一緒に歩いた。
森の中に入ると、意外にも空間は広く、一本一本の木の間隔は十分にある。見上げると、高さ10メートルほどまでは、枝がきれいに切られ、地面に光が届くから、緑の下草が豊かに茂り、歩いていて心地よい柔らかさがある。
「こうしてみるとね、何か音がするんですね」
そう言って、道上さんは一本の大木に抱きついて、幹に耳を当てる。「遠くのせせらぎの音が、地面をずっと伝わってきているのか、木の中に通る水の音なのか」
まねしてみたが、音は聞こえるような、聞こえないような。
「聞くんじゃない、これは、感じるんですね」。道上さんはうれしそうに言った。
撮影中、道上さんがうずくまり動かなくなった。
声を掛けても返事がない。慌てて駆け寄ると、じっとして、切り株の年輪を数えていた。
「……160。だいたい樹齢160年ですわ」。びっしりと刻まれた年輪は、木の成長の記録だ。
初めのうちは大きく成長し、年を重ねると幅はどんどん小さくなる。少しずつ、100年を超えるときを経て、大木となる。この木が植えられたのは、江戸時代ということになるのだろうか。
ローカルベンチャーが盛んな村では、多くの個性的な移住者を受け入れてきた。そんな人たちにも出会った。
西粟倉村に入り、出会った「村人一号」は、木材加工をてがける「西粟倉・森の学校」で働く羽田知弘さん。3月に開業予定の複合施設「ベース101」で、内装作業をしていた。田舎の国道沿いに現れたスタイリッシュな建物に目を引かれ、中をのぞくと、出てきて話を聞かせてくれた。
「百年の森林構想」に共感して集まってきた若者は、どんな壮大なビジョンを持っているのだろうか。そんな思いで話を聞いたが、返ってきた答えは、驚くほどシンプルだった。
「山でどう食べていくか、ばかり考えていますね」
仕事の場としてだけでなく、ランニングをしたり猟をしたり。生活の場としての山で地に足が付いた生活者として、淡々と、楽しみながら生きている姿が印象的だった。
「地域を元気にしたいとか、そんなこと言うのはおこがましような気がしていて。小さいコミュニティーだからこそ、何かをやろうと努力して踏み出したときに『なりわい』が作れる感じが面白い」と、村で生活する魅力を教えてくれた。
村内で温泉付きゲストハウス「元湯」を営み、木質バイオマス事業も手がける半田守さんは、不思議な経歴の持ち主だ。
地域スポーツとしてレスリングが盛んな京都府京丹後市網野町で生まれ育ち、小中高大と各世代で全国大会の優勝を経験した。
「過去の話です」と照れくさそうに笑うが、競技をやめたのは、心から自分のために、楽しいと思ってレスリングをできていなかったからだという。大量生産をするメーカーで働き、破棄の現場も見てきた。
「使われないものを、価値あるものに変えよう」と木質バイオマスに出会い、西粟倉村へ。レスリングウェアの開発も手がけ、2足のわらじで奮闘する若手経営者だ。
半田さんが企画した「定額で温泉入り放題」のサブスクリプションは、移住してきた若者を中心に人気だ。夜になるとさまざまな人が集まる情報交換の場にもなっている。
砂利がしかれた元湯の庭でたき火を囲みながら「やったことが100%自分に返ってくるのは、スポーツの世界と経営の世界も一緒ですね。でも、あのときより明らかに笑顔が増えたと思います」と、少年のような屈託ない笑顔で半田さんは話してくれた。
空を見上げると、そこには満天の星が広がっていた。
「移住してきた村人」たちの躍動に刺激を受け、ふるさとの森を思い、働く「生粋の村人」もいる。
林業会社「青林」を営む青木昭浩さんは、「西粟倉百年の森林協同組合」の理事長も務める。「昔だったら『木こり』とか『山守』とか言われていたけど、今は『フォレスター』ですよ。かっこいいでしょ」と力を込める。
青木さんには、村出身だと言うことをためらっていた時期があった。
「村内に高校がないから、高校は村外まで通った。あるとき雨が降ったから長靴を履いていったんですよ。そうしたら周りの同級生に『おい、村人が長靴履きよるぞ』って馬鹿にされて。『村人、村人』って言われるのがいやで、それからはずっと隠していました」
それが今、村外からの移住者と手を取り合い、ふるさとの森を守る仕事に誇りを感じている。
「村外からいろんな才能を持った人が来てくれる。彼らのおかげもあり、今は西粟倉の村人で良かったなと心から思う」
昨年から、協同組合の事務局として青木さんとともに働く川原和真さんは、名古屋大学で森林生態学を学び、大学院を修了後、青年海外協力隊としてパラオで環境教育に携わった。
新型コロナの影響で帰国し、森林をビジネスで捉える視点を求め、昨年9月に西粟倉村へ。「木の値段は大きくは変わらない。これからは、森づくりに価値を見いだしていくことも大事だと思います」。協同組合の専従職員として、森と向き合う日々を送っている。
取材中、村の中心部から少し離れた国道沿いを一人ぽつんと歩く若い女性に出会った。
妊娠8カ月だった小林紗希さんは運動不足だと医者に言われ、運動がてら歩いていた。村出身の夫と、勤め先の洋菓子店で知り合い、3年前に移住してきた。
子どもが生まれ、落ち着いたら、夫婦でケーキ屋を開くのが夢だという。「コロナの影響もあって、具体的なことは決まっていないんですけど」。だが、「夢があるんです」というストレートな言葉に胸をつかれた気がした。
西粟倉村に移住して7年が経つ羽田知弘さんは、複合施設「ベース101」がオープンするのを前に、村民を招待し、地元で取れた野菜や鹿肉を使った定食や、近くの酪農家の牛乳を使ったソフトクリームなどを振る舞っている。
招待状は1軒ずつ、村内ほぼ全ての約470軒の家に歩いて配った。「顔の見えない誰かにSNSで告知するのではなく、人口1400人の村だからこそ、昔から続く村人のつながりを踏襲するつもりで、1軒1軒回ることにしました」と羽田さんは話す。
元村長の道上さんも、羽田さんから直接招待状を受け取った1人だ。
村長の在任中、100回以上の「出前村長室」を開き、「小さな村だからこそ、きちんと村民と向き合い、直接情報を伝えたい」という思いで、村民を訪ね歩いた。
多くの移住者とも交流をしてきたが、「本気で頑張ってくれてもいいし、気に入らなかったら出て行ってくれてもいい。大勢の子が村に来てくれるが、本当の意味で村に根付くというのは難しいこと。(羽田さんが1軒1軒招待状を手渡ししていることは)羽田さんの本気度が見えたような気がして、本当にすばらしいことと思った」と道上さんは話した。
岡山県の小さな村で、森に包まれ生きる人々。移住者も、ここで生まれ育った人も、みんな輝いて見えた。
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