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橿原市、なんて読む?“日本国はじまりの地”の流されない観光作戦

神武天皇山陵への参拝を終え天皇皇后両陛下(現・上皇ご夫妻)が到着した橿原神宮前駅では、たくさんの人たちが迎えた=2019年3月、奈良県橿原市
神武天皇山陵への参拝を終え天皇皇后両陛下(現・上皇ご夫妻)が到着した橿原神宮前駅では、たくさんの人たちが迎えた=2019年3月、奈良県橿原市 出典: 朝日新聞社

目次

初代天皇である神武天皇をまつる橿原神宮など由緒がありながら、奈良市の陰に埋もれがちな奈良県橿原市。しかし近年は、観光客が年々増加しています。原動力となっているのは、市内にある「郷愁の風景が残る街」です。観光地としての新たなロールモデルを作ろうとする試みをライターの我妻弘崇さんが取材しました。

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古代のオールスターが生きた地

橿原市――。

「ちょいちょい見たことあるけど、なんて読むんだっけ?」。日本で有数の「字面は見たことあるけど、そのたびに読み方がわからない市」かもしれない。

読み方は、“かしはら(し)”。実はこの街、かなりすごかったりする。

たとえば、神武天皇が橿原の地に皇居を構えたことから、同市の橿原神宮は“日本国はじまりの地”と呼ばれる。隣接する明日香村は、古代における飛鳥の中心的地域と言われている。

推古天皇、聖徳太子、蘇我馬子、蘇我入鹿、中大兄皇子(天智天皇)、中臣鎌足(藤原鎌足)、天武天皇、持統天皇らが生きていた時代の中心地、すなわち歴史のテストに出てきた古代のオールスターが存在していた、とんでもないエリア=明日香村なのだ。

また、橿原市には多数の古墳が存在し、市の約7割の範囲が何かしらの遺跡や遺構というから恐るべしである。歴史好きはもちろん、古墳好きは「墳タスティック!」と唸ってしまうこと必至の場所である。

新沢千塚古墳群は、誰でも楽しめる公園として開放。この一帯には約600基の古墳がある
新沢千塚古墳群は、誰でも楽しめる公園として開放。この一帯には約600基の古墳がある

“読めない”どころか“知らない”

“日本国はじまりの地”というブランドを持ちながら、「なんて読むんだっけ?」では、あまりにももったいない。さらには、橿原市役所観光政策課・八田恵祐さんが、次のように披瀝する。

「橿原市ではプロモーション活動の一環で、首都圏や東海圏で講演会の実施や物産展などを行っていますが、その際に「橿原」の読み方はもちろんのこと、奈良県にあるということもご存じない方がたくさんいらっしゃいます」

“読めない”どころか“知らない”人も多いという。そんな現状を打破するため、橿原市ではいま、「橿原」としてのブランドを確立するため観光対策に力を注いでいると話す。

巨石「益田岩船」など映えるスポットの多い橿原市。鱗滝さんと炭治郎がいたのかしら……。
巨石「益田岩船」など映えるスポットの多い橿原市。鱗滝さんと炭治郎がいたのかしら……。

奈良は日帰り

そもそも橿原市とは、どのような場所なのか? 八田さんが説明する。

「奈良県の中南和地域の観光拠点であり、交通の便の良さから大阪近郊のベッドタウンという側面も備えています。奈良県の他地域との違いを挙げるとすれば、地理的な位置関係から交通の便が良いことです」

「近鉄2線、JR線、奈良交通バス、関西空港直通リムジンバスがあるのは橿原市と奈良市だけです。奈良市は、すでに鹿と大仏というようにイメージが確立されているため、そことは違う“奈良”であることをPRしていかなければと思っています」

たしかに非関西圏に住む者からすれば、奈良県といえば、やはり奈良公園、東大寺を筆頭に奈良市を思い浮かべてしまう。実は、これが大きなネックになっていると教える。

「奈良県の観光地の多くは、県の北西部に集中しています。そのため、京都や大阪から日帰りで奈良県を訪れる人が多いんですね。奈良県に宿泊して観光をする方が少ないとなると、北西部で日帰り観光客の取り合いのような状況になってしまう。本来であれば、奈良県を周遊していただけるような取り組みができたらいいのですが」(八田さん)

シカがいる奈良公園=2021年4月
シカがいる奈良公園=2021年4月 出典: 朝日新聞
Googleマップを見ると一目瞭然なのだが、奈良県の平地は見事なほど北西部に集中している。ここに、東大寺、法隆寺、橿原神宮といった観光スポットが集う。

一見、周遊してすべてを楽しむこともできそうだが、すべてを回るとなると相当な時間を要する。しかも、京都や大阪を旅行の拠点に置くと、「奈良県の観光スポットを一部日帰りで立ち寄る」という選択肢が現実的となる。

実際、withnewsの記事『奈良に「とまれ!」なポスター 観光客の宿泊が少ない現状を変えたい』で付記されているように、コロナの影響がなかった2019年の奈良市の観光入込客数は約1702万人。うち約1529万人が日帰り(宿泊客は全体の1割ほど)という数字が明らかになっている。
出典: Google

橿原市も同様で、観光基本計画策定時(2017年度)の調査によれば、橿原市を訪れた観光客のうちの8割近くが「日帰り」と回答。魅力的な観光コンテンツがあっても、大都市圏に近いという利便性がかえって宿泊の機会を奪い、一人当たりの旅行消費額を下げてしまっているのだ。

こうした問題は、鎌倉市や川越市も抱えており、都市圏から行ける“日帰りの観光地”は、一長一短なのである。

宿泊してもらえるような動線づくりに鑑みながら観光プロモーションを行うわけだが、読み方がわからない人が少なくないにもかかわらず、橿原市を訪れる観光客数は年々増加の一途を辿っている。コロナ禍以前の数字となるが、2019年は約566万人。2017年が約475万人、2018年が488万人であることを考えると、確実に、着実に橿原のプレゼンスは向上している。

橿原市役所=2021年12月
橿原市役所=2021年12月 出典: 朝日新聞

観光客呼ぶ「郷愁の町」

その一翼を担い、橿原市としても力を注いでいるのが「今井町」だ。県北西部では唯一の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、東西約600m、南北約310m、面積にして17.4haの地区内には、全建物戸数約760戸が並び、実に約500件の伝統的建造物が存在する(地区内の数としては日本一)。

余談だが、2020年7月4日に放送された『アド街ック天国』の「ニッポン!郷愁の風景が残る街」特集において、白川郷(岐阜県)や倉敷(岡山県)、金沢(石川県)などを抑え、西日本部門で一位に輝いたのは、ここ今井町だ。

伝統的建造物がずらりと並ぶ。屋根に、魔除けの縁起物「鐘馗」が乗っている家屋も多い
伝統的建造物がずらりと並ぶ。屋根に、魔除けの縁起物「鐘馗」が乗っている家屋も多い

今井町の魅力は、まったく“観光地然”としていないところだ。前出・八田さんが「“観光地”と“住みよいまち”を両立させたまち作りを目指している」と話すように、今現在もこの地区には多くの民間人が暮らす。あくまで“住民ファースト”を重視し、観光地化することで生活が脅かされないよう細心の注意を払っているという。

歴史の干満によって生成された街並みの中、年季の入った豆腐店や青果店などが軒先で商品を並べる。日が暮れた頃、犬の散歩をしているおばあちゃんや、学校帰りのランドセルを背負った子どもたちがてくてくと歩いている姿を見ると、鮮烈な郷愁に駆られてしまう。

今井町の歴史は古い。元は、室町時代後期に、一向宗の道場(後に寺院となる)「称念寺」を中心に門徒が集まり、周囲に濠と土居を築いた寺内町として成立した。

江戸時代になると自治権を認められ、「大和の金は今井に七分」と言われるほど栄え、「海の堺、陸の今井」と称されたという。堺の豪商であり茶人としても名を馳せた今井宗久の出身地でもある。

室外機なども街並みに馴染むような工夫が施されている
室外機なども街並みに馴染むような工夫が施されている

住民の生活を第一に

そうした歴史的背景に加え近年では、古民家を改装したおしゃれな飲食店が進出するなど若い世代から注目を浴びつつある。今井町の存在感が観光客増加を押し上げている格好だが、先述したように橿原市は安易に観光地化に舵を切らない。この点が、示唆に富んでいる。今井町に明るい、橿原市役所観光政策課の山口皐さんが説明する。

「保存地区の保存という解釈は、保存地区によって異なります。例えば、飛騨高山などでは主に観光地としての保存整備が行われており、今井町とは考え方が真反対です。今井町では、住民の生活を第一に考えて整備されており、実際に住む人のための補助金として補助事業を行ってきました」

人気が高まりつつある今井町をビジネスチャンスと捉え、出店したいと考えている人もいるだろう。しかし、重要伝統的建造物群保存地区ならではの障壁もあると教える。

「古民家を修繕する場合、外観を保つために設計をする必要があります。その後、費用などが確定し、国や県から補助金がどれくらい計上されるかといったことも判明します。設計に1~2年かかることも珍しくありません」(山口さん)

たとえば、誰も住んでいない老朽化している今井町の家屋があったとする。躯体はどのような状態か? 根継ぎをする必要があるくらい柱は腐っていないか? などなど、家屋全体の健康診断を行い、その上でリハビリ(改修工事)をしていかなければならない。伝統的な家屋であるため、特別な技術が必要になる。工事完了まで、さらに1~2年かかることもある。

また、補助金も一筋縄ではいかない。あらかじめ一年の補助金の総額が決まっている手前、申請した者から埋まっていく――。つまり、仮に総額が1億円だった場合、1番目の人が1000万円を使い、2番目の人が2000万円を使ってしまえば、残りは7000万円。以降、早い者順で使われるため、後ろに並んでいる者は、翌年以降になる可能性が高くなるというのだ。

このような事情があることから、「住宅売買を考えている不動産会社などの第三者が大規模に行うことも現実的に難しい」と語る。

「本気度が高い人ではなければ、新たに今井町に暮らす、あるいはお店をオープンすることはなかなかできないと思います。近年、考え方が少し変わり、老朽化していく家屋を保存していくにあたり、住居以外に二次利用として利用(飲食や会社事務所など)する場合でも補助金を充てています」 (山口さん)

古い家が残る橿原市今井町の町並み=2016年9月
古い家が残る橿原市今井町の町並み=2016年9月 出典: 朝日新聞社

景観地区の理解問われる

市所有の物件を市が申請者となり改修工事を行い、市営住宅として貸し出している物件もあるとのことだが、(地区内の住民が火事などで住居がなくなった場合などの)仮住用住居として利用しているため、あくまで住民のため。

スペイン・カタルーニャ自治州の州都バルセロナの旧市街、ゴシック地区には多くの住民が暮らしていたが、観光客が殺到したことで旧住民の多くは引っ越してしまった。美しい街並みを楽しんでもらうはずが、地区外から押し寄せた観光客のゴミであふれかえる。あるいは、ここ日本でも歴史深い場所に外資が参入し、“なんちゃって日本家屋風”の商業施設が誕生している。

こうした旧市街地の観光地化は諸刃の剣とも言える危険性をはらんでいるが、橿原市は伝統的建造物と地域住民の生活を守りながら、どのように観光地としてのプレゼンスを高めていくかに注力している。

「景観地区としての理解があるかが問われます」と語るのは、今井町を代表する人気カフェレストラン『Hackberry』代表の成田弘樹さん。築150年以上の古民家をリノベーションし、着想からオープンまで約3年の月日を費やした。成田さん自身、奈良県出身。橿原を盛り上げたいと声を大にする。

「僕が当初(2012年)今井町に来た頃は人もまばらで、お店をオープンさせることさえ懸念するお声もありました。ですが、『今井町の再生』を目標に掲げていた当時のNPOの方々に支えられオープンすることができました。“空き家をなくす”ための空き家は劣化をたどるだけで、家には人が住んで家が生きる――、そういった理念にとても共感しました」

住民との距離感について問うと、「地域で愛されるお店になることに尽きます」と話す。

「もっとも住民の方々が懸念されることは、治安が悪くなってしまうことだと思います。Hackberryでは自治会と協力し、お店の外壁に監視カメラなどを数台設置させていただいます。やはり協力し合うことが大切。実際、当店もオープンしてからは、『前の道が明るくなって安心してるよ』『帰り道が怖くなくなった』といったお声もいただけるようになりました。出来る限り、近隣への掃除や町内会への参加、イベントへの協力なども大切だと思います」(成田さん)

店前の樹齢約420年の榎の木が目印の『Hackberry』。外観からはカフェレストランとは思えない。
店前の樹齢約420年の榎の木が目印の『Hackberry』。外観からはカフェレストランとは思えない。

新たなロールモデルになるか

その一方、町が活性化したことで事情が変わっていく光景も目にしてきたという。

「観光地としての人気が上がれば、どうしても利益を優先する方も増えていきますよね。だからこそ、 “家には人が住んで家が生きる”という理念に基づいた、ここに根を張るみんなで町づくりを考えていく組織が必要だと考えています」(成田さん)

今井町は近年、『るろうに剣心』『すくってごらん』『燃えよ剣』といった映画の撮影に加え、CMやNHK大河ドラマのロケなどでも活用され始めている。今後は聖地化する可能性も高い。それだけに、住民ファーストの観光施策をどのように進めていくか、官民一体の手腕が問われる。前出・観光政策課の山口さんが語る。

「今井町は、昭和40年代から、町民をはじめとする多くの人々や行政によりこの歴史的町並みを残そうという運動や努力が続けられた背景があります。民間での運動をきっかけに市として制定していく――こうした取り組みは、日本においては今井町が初めてでした」

“日本国はじまりの地”は、民間きっかけにおける“重要伝統的建造物群保存地区はじまりの地”でもあった。

飛鳥時代。「天皇」という呼称がはじまることや日本初の元号「大化」を定めたこと、さらには貨幣経済のはじまり、時計と暦の開始、大陸との交流、官僚制度の構築などなど、今に続くたくさんのエポックメイキングな枠組みが、この地から生まれたと言われている。

住民と観光客が共存し、古来からの重要伝統的建造物群のみで構成される、そんな新しい観光地としてのロールモデルを作ったとき。橿原市は、“読めない”どころか、誰もが“知っている”場所へと変貌しているはずだ。

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