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“第3のバナナマン”オークラが今、若手コント師たちに伝えたいこと

芸人から放送・構成作家に転身後、バナナマン・東京03・おぎやはぎたちと東京のライブシーンを盛り上げていったオークラさん
芸人から放送・構成作家に転身後、バナナマン・東京03・おぎやはぎたちと東京のライブシーンを盛り上げていったオークラさん

目次

長期にわたってバナナマンの公演をサポートしていることから、“第3のバナナマン”とも称される放送作家・オークラ。昨年12月、そんな彼が東京03、おぎやはぎ、ラーメンズら多くの芸人たちと東京のライブシーンを盛り上げていった青春譚「自意識とコメディの日々」(太田出版)を上梓した。芸人ならではのコメディとはどんなものか。シソンヌライブ監修のエピソード、今の若手コント師に感じることなどについて話を聞いた。(ライター・鈴木旭)

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【前編】人気作家・オークラが語る志村けんとドリフ 東京03につながる土壌
《オークラ》群馬県出身。放送作家、脚本家。1990年代、お笑いコンビ・細雪(ささめゆき)で活動。コンビ解散後、バナナマン・設楽統の誘いにより、放送・構成作家に転身。以降、『ゴッドタン』(テレビ東京系)といったバラエティー番組の構成や、『ドラゴン桜』第2シリーズ(TBS系)などのドラマの脚本、お笑い芸人のライブネタを手掛ける。2017年10月から配信がスタートした東京03主演のhuluドラマ「漫画みたいにいかない。」(全10話)では初監督を務めた。2021年12月3日、著書「自意識とコメディの日々」(太田出版)が出版された。
《オークラ》群馬県出身。放送作家、脚本家。1990年代、お笑いコンビ・細雪(ささめゆき)で活動。コンビ解散後、バナナマン・設楽統の誘いにより、放送・構成作家に転身。以降、『ゴッドタン』(テレビ東京系)といったバラエティー番組の構成や、『ドラゴン桜』第2シリーズ(TBS系)などのドラマの脚本、お笑い芸人のライブネタを手掛ける。2017年10月から配信がスタートした東京03主演のhuluドラマ「漫画みたいにいかない。」(全10話)では初監督を務めた。2021年12月3日、著書「自意識とコメディの日々」(太田出版)が出版された。

宮藤官九郎さんの「自分の遊びを貫く」姿勢に共感

――オークラさんが作家として活動し始めて間もなく、2000年にドラマ『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)がヒット。劇団「大人計画」の宮藤官九郎さんが描く世界は、お笑いファンも虜にしていった気がします。

宮藤さんがされているお仕事は尊敬しかありません。ドラマというちゃんと作るべきものの中で、「いかに自分の遊びを入れられるか」というスタンスを貫いていますよね。エンタメを作る人間としては、あそこにすごく憧れます。

不特定多数を相手にしているテレビのルールの中では、オリジナル脚本でなかったり、キャスティングの制約があったりします。寄り添わなきゃいけない部分も多いと思うんです。

それはコントを軸に活動しているお笑い芸人たちも同じ。テレビでは「自分たちが作ってきたものをやらせてもらえない」という壁が立ちはだかります。

そんな中、自分も仕事で関わっている『ゴッドタン』(テレビ東京系)で「ゴールデンに行かずして、いかに自分のやりたいことをやるか」というスタンスを持てているのは、宮藤さんの影響が大きい気がします。バラエティーって意外とできないことも多かったりするんですよ。
宮藤官九郎さん=2018年撮影
宮藤官九郎さん=2018年撮影 出典: 朝日新聞社

演劇畑と芸人畑のお笑いの違い

――2000年代からヨーロッパ企画、シベリア少女鉄道など、笑いと芝居が入り混じった劇団が活躍し始めています。この流れについてはどう感じていましたか?

ヨーロッパ企画とシベリア少女鉄道は、三谷(幸喜)さんの影響を感じます。主宰の上田(誠)さんと土屋(亮一)くんは世代的にも同じ。三谷さんのシステマチックなコメディーの影響を受けた劇作家なんだと思います。

ヨーロッパ企画に関しては、僕は勝手にシンパシーを感じてます。演劇のみならず、自分たちのコンセプトを、映画だったり深夜ドラマだったり、いろんなところで出してるじゃないですか。ちゃんと自分たちのやりたいコメディを続けるのは、なかなか根性がいることだと思います。
ヨーロッパ企画のメンバー。左端が上田誠さん=2014年撮影
ヨーロッパ企画のメンバー。左端が上田誠さん=2014年撮影 出典: 朝日新聞社
――オークラさんは芸人から作家に転向していますが、演劇畑と芸人畑の笑いはどんなところに違いがあると思いますか?

芸人がやるコメディは、毎回のように「これが正解か」「やっぱあれは正解じゃなかった」と悩みながら続けてます。とくに悩むのが、役者さんがやるコメディと芸人がやるコメディの差別化です。すっごく難しいところですけど、芸人の場合はお客さんが「芸人がやってるんだな」ってもう思ってるじゃないですか。

なので、少しメタな感じというか、途中で素に戻る時があってもいいと思うんです。だから、「東京03 FROLIC A HOLIC」(東京03、おぎやはぎ、浜野謙太、GENTLE FOREST JAZZ BANDらが出演する特別公演)で最後にザキヤマ(アンタッチャブル・山崎弘也)を出して崩したりもしますし、東京03の単独にしても、コントでありながら、“アドリブごっこ”を楽しんでいる。その時って、見る側も劇中の登場人物でありながら、「東京03が楽しんでる」と感じると思うんです。

でも、やり過ぎてもズルい笑いに走っちゃう可能性もあるので、その辺のバランス感覚が芸人の作るコメディらしさじゃないかなと思います。
芸人が作るコメディについて語るオークラさん
芸人が作るコメディについて語るオークラさん

シソンヌとの接点

――2013年からは、「シソンヌライブ」の監修を手掛けています。どのあたりで接点を持ったんですか?

ある時、先輩の作家から「オークラくん、シソンヌの面倒見てあげてくれない?」と頼まれたんです。シソンヌのような芸風って、演劇的な作り込み方をしていてお笑いとしてはちょっと特殊じゃないですか。「オークラくんが監修することで、シソンヌを東京コントシーンの流れに組み込むというか、ブランド化をして欲しい」と言われて……。

実際のところ、できあがった台本を見て「こんな感じにすれば?」と話すぐらいで、そこまで深入りはしてないんですよ。ただ、その翌年に「キングオブコント」で優勝しちゃって(笑)。

そうすると、シソンヌとしても「監修・オークラ」っていうのが、なんとなく縁起物として外せなくなっちゃったみたいで。今は単純に、仲がいい芸人の単独ライブの監修という名のもとで、たまに会ってしゃべるぐらいです(笑)。あの単独ライブは、シソンヌがちゃんと作ってます。

――シソンヌあたりから、演出に凝った吉本のコント師が珍しくなくなった感じもあります。

事務所というよりは「その系譜だな」って人たちがいる感じだと思います。

バナナマン、ラーメンズたちは僕ら世代ですよね。その下にザ・ギースがいて、シソンヌがいて、かもめんたるがいたりもする。でも、事務所はそれぞれ違いますからね。
お笑いコンビ「シソンヌ」の長谷川忍さん(左)とじろうさん=2015年撮影
お笑いコンビ「シソンヌ」の長谷川忍さん(左)とじろうさん=2015年撮影 出典: 朝日新聞社

若手芸人たちのコントユニットについて

――かが屋、ザ・マミィなど、ここ数年で若手コント師の活躍も目立ちます。オークラさんの時代と比べてネタそのものに違いは感じますか? 

今の子たちのほうが優しいですよね。僕らの時のほうがコント内で空気を読めてないヤツに対する扱いがひどい。東京03の角ちゃん(角田晃広)とかまさにそうですけど、空気読めてない感じをとくに飯塚(悟志)さんがガンガン責めていく。

今の若手はあそこまで強く責めないというか、出てくる登場人物がお互いを少し認め合ってる感じがします。そこは世代の影響なのかなという気はしますね。

――2019年あたりから、お笑い芸人の間で「コント村」「関西コント保安協会」「コント犬」など多くのコントユニットが結成されています。2000年前後に多くのユニットを手掛けたオークラさんは、こうした状況をどう見ていますか?

基本的にはそういうのって大事だと思うんです。ただ、最近の時流として、昨日までこのユニットやって、明日になったら別のユニットでライブみたいに、いろんなことをやり過ぎてる感じがしますね。

結局、“コントのブランド”って誰も作ってくれなくて、自分で作るしかないんです。僕らがやっていたことと今の世代では、ネタの質の違いはあるかもしれないけど、「どうしたって過去のものになる」という点では同じじゃないですか。

だからこそ、ちゃんとブランディングして自分たちのコントを作って、それをパッケージ化させていった先に「こんな面白いものがあったんだ」って広められたらもっといいなと思いますね。何を作ろうが、作った以上は過去のものになるわけだから。

しっかり残す、それが後にカルチャーになると僕は思ってます。あとコントをやり続けるのはなかなか理解を得られず、ヘコみそうになることもあるだろうけど、そういうつらさを乗り越えて頑張ってほしいですね。
若手コント師について語るオークラさん
若手コント師について語るオークラさん

若手コント師は負けないで

――最近、コント村を作ったゾフィーの上田航平さんにお話をうかがったんですが、「声を上げなきゃ誰にも伝わらない」という切実さもあっての行動力なんだろうなと感じました。

芸人の成功が「賞レースで勝ち上がってテレビ(のお笑い)にハマる」というルールの中だけだと、その流れに入れなかったら「負けなのか?」となってしまいます。

やりたいコントを持っている芸人はいっぱいいて、そういう人たちが成功するためには、“自分たちのルールがある場所”を作らなきゃいけない。

それこそ上田くんみたいに「俺はこういうのやりたいんだ!」って言わないと、誰も相手にしてくれないんですよ。

幕末の時代に「開国だ!」と言ってる人に対して「変なヤツがいるぞ」って周囲から扱われても時代は変えられるように、そういう芸人が時代の過渡期には必要なんだろうと思います。
――それぐらいオークラさんの実感として、自分たちの場所を確立するのは難しいということですよね。

僕らの時代はテレビが主体だったから、“テレビマンにハマらないと世に出られない”という空気があったんです。そこからネットの時代に入って変わったかと言うと、やっぱりテレビで作られた笑いが強かったりしますよね。

それを組み入れないで、自分たちのビジネスを作ろうとしたらなかなか厳しいですよ。若手のコント師たちが活躍するには、「やり切ってやるんだ」という自分たちの強い意志を持って行動をとらないと難しい。でも、負けないでほしいなと思います。
若手コント師へエールを送るオークラさん
若手コント師へエールを送るオークラさん

若手への伝承と今後の構想

――今回出版された「自意識とコメディの日々」の中で、「自分が関わったものが全部つながって楽しくなる」のが最終目標と書いています。具体的な構想はあるんでしょうか?

今、それができているのは(公演の脚本・演出などで関わる)東京03ですかね。この間、稽古場単独公演「拗らせてるね。」というオンラインライブをやったんですよ。ああいう何にも頼らない、自分たちだけで発信できるコントライブをやってみて、いい感じに進めば舞台にもなるし、ラジオでもできるじゃないですか。
 
そんな中で僕がドラマをやると、「あのコントライブの遊びがここに入ってる」とか、そういうのを感じてもらえると思うんですよね。だから、今の東京03関連の仕事を充実させることが、いろんなものにつながってくのかなと。
 
あと自分の年齢的にもあと何年できるかって話なので、このシステムを若い人たちに引き継いでいってほしいという気持ちもあります。

――今後、引き継がれていくようなものを構築している最中なんですね。

自分が動ける間に、今やろうとしてることが果たして仕上がるかなって問題もある(笑)。たぶん十何年掛かると思うので。もし無理そうなら僕ごといなくなって、“僕の意志を継いでる誰か”が似たようなことをやるかもしれない。「オークラさんたちの、あのシステムをうまい具合にやろう」って汎用できるような、その道の切り開き方まで示すことができたらいいなと思ってますね。
オークラさんの著書「自意識とコメディの日々」

東京03の成功の裏にオークラさん――取材を終えて

『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)が終了し、ネタ番組ブームが到来するまでの2000年前後、勢いのある若手芸人が冠番組を持つのは容易ではなかった。テレビとライブシーンとの間に、埋めがたい溝があると感じたものだ。

オークラさんの話す“自分たちのルールがある場所”とは、そうした既存の価値観や関係性に捉われないブランドを持つ、ということだろう。しかし、新たな価値をキープし、広げていくにはそれ相応の理念や労力が要る。東京03の成功は、オークラさんのブランディングによる影響も大きいのだと改めて感じた。

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