IT・科学
地方から「VR取材」やってみて…〝できたこと〟〝できなかったこと〟
メ、メモが!相手の目線と「合った」瞬間
「VRで美術個展を開いているエンジニアがいる」。高松市を拠点に取材をする記者の元に、そんな情報が届いたのは2021年5月のことでした。仮想空間に香川県出身のアーティストの作品を展示し、自宅からでも鑑賞できるといいます。折しも、10月、SNS世界最大手の米フェイスブックが社名を「Meta(メタ)」に変更し、VR(仮想現実)機器の開発や技術者の確保を強化する方針を打ち出したことが話題になりました。記者は初めてVR機器を購入し、自宅から体験。さらに、仮想空間でのインタビュー取材に挑戦しました。(朝日新聞高松総局記者・湯川うらら)
取材の〝現場〟となったのは、米国発の大手ソーシャルVRプラットフォーム「VRChat」(VRチャット)(https://hello.vrchat.com)に開設された「WESON MUSEUM」です。
大阪市の画家・植村友哉さん(31)=香川県出身=が、VRエンジニアの斉藤大将さん(29)さんの協力で、西太平洋の島国パラオをテーマにした絵画を中心に展示しています。
VR専用のゴーグル「オキュラス クエスト2」を装着し、いざ潜入すると……。
目の前に広がったのは、美術館の中を思わせる3Dの仮想空間(ワールド)。上下左右360度見渡すことができ、空間の広さに驚きました。壁には水滴や花、人物などを描いた作品が並び、天井付近ではパラオで有名なマンタが悠々と泳いでいます。
顔を動かした方向に、空間内での視点も移動します。手に持ったコントローラーの操作で、会場を歩いたり、絵画に近づいたりもできます。解像度には限界があるものの、絵の立体感や透明感を味わうには十分です。
ゆったりとした音楽が流れる中、気になる作品に至近距離まで迫りました。「南国の花」という作品で、パラオの住宅の窓辺がアクリルと油彩絵の具で描かれています。窓の外にはヤシの木が3本。桟(さん)に置かれた花瓶には、白い花が生けてあります。
植村さんの作品の多くが、青を基調としたワントーンで、筆のタッチはなめらか。一方、この作品は緑とピンクを使い、筆跡が残っていて印象に残りました。
「青緑色はパラオの星空や海、ピンクは室内の暖かさ。パラオ人のおおらかな国民性をこの荒いタッチで出していけるかなと思い、できあがりました」
声の主は、作品を手掛けた植村さんです。専用ゴーグルにはマイクとスピーカーがついており、自身を模したキャラクター「アバター」を介して会話をすることができます。
秋の個展に向けて制作を行う中で、配色の美しさや楽しみ方に気がついたそうです。窓辺の白い花は、パラオの花「プルメリア」でした。
「リアル」の美術館では、静かに作品を楽しみたい来場者もいるため、このような取材はできません。絵を見ながら制作の裏側や心境の変化を聞くことができるのは、仮想空間ならではです。
植村さんと斉藤さんは原則土曜の午後9~10時にVR個展に在廊し、来館者たちと交流しています。
VRチャットのユーザーの国籍や職種は様々。普段美術展に行く習慣がないという人も多く、「VRのおかげで絵画や美術に触れることができた」などと反響がありました。リアルの展示会にVR個展の常連客が足を運んでくれたこともあったそうです。
植村さんの発案で、このままVR空間で取材をしてみることにしました。「新聞記者がインタビュー取材をするのはもしかしたら初めてかも?」と思いながら、質問を考えます。
と思ったら、さっそく問題が発生。顔には専用ゴーグルを装着し、手はコントローラーを握るため、普段の取材のようにノートにメモができません。そこで、インタビュー風景を録画することにしました。
植村さんと斉藤さん、記者、撮影用の四つのアバダーだけが入れるワールドで、取材開始。VR個展を開いたきっかけを聞きました。
植村さんは青山学院大卒業後、食品メーカーの営業を経て2014年に画家に転身。旅行で訪れた西太平洋の島国パラオの雄大な自然に魅せられ、その風景やマンタなどの動物を中心に描いてきました。
アートを通じてパラオとの交流を深めたいと思っていましたが、新型コロナウイルスの影響で、予定していた個展が中止になるなど、国内外での作品発表の機会が激減。コロナ禍前からオンライン上で交流できるVRに興味があったが、自身にはその技術がありませんでした。
そんななか、昨年末、友人の紹介でVRエンジニアの斉藤さんと出会いました。斉藤さんは「新型コロナで作品を見てもらう機会が減ったアーティストの力になれるかもしれない」と協力を申し出ました。
絵画作品や制作途中のスケッチなどをスキャンデータにして展示。販売済みで今は手元にない作品も、残していたデータを使ってよみがえらせました。
作品の魅力を高めるのは、仮想空間だからこそできる演出の数々です。森の中や雲の上、雨が降る中で鑑賞するなど、現実では不可能な演出ばかり。「秘密のアトリエ」につながる隠し扉がある、ジャンプの操作をしないと進めないといったゲーム要素も取り入れました。来館者からの口コミが広がり、開設以来累計6千人以上が訪れています。
2021年8月には、新たに「パラオワールド」を開設しました。どこまでも広がる青い海と、ヤシの木のような南国風の植物。砂浜にささるように、いくつもの絵画が置かれています。
斉藤さんは、「パラオの風景にちなんだ植村さんの作品にマッチする世界観、かつ、『砂浜に絵がささっている』『展示室の床にさざ波が立っている』など、想像はできるけど実際にではできない演出にしました」とこだわりを話します。
パラオワールドは、駐日パラオ大使館の後援事業としても認められました。パラオ国立博物館から作品データを提供してもらったり、パラオ人の現代アーティストの作品を展示したりと、国際交流もかないました。
駐日パラオ大使も、大使館から専用ゴーグルを装着して、パラオワールドを訪れました。フランシス・マツタロウ特命全権大使(当時)は、朝日新聞の取材に対し、「穏やかで、自分と絵画だけのような感覚でした。下から、横から、遠くからなど、さまざまな視点から絵を楽しむことができました」などと感想を寄せました。
取り組みについて「両国間の平和と友情を進めるための、卓越したインスピレーションを与えてくれました」と感謝を述べ、「VRは距離が関係なく、創造性と想像性は無限大です。VRを活用すれば、アートを通じたパラオと日本の交流になる」と期待していました。
植村さんは「ゴーグルひとつあれば、世界中の人が作品を見ることができます。絵を通して、日本のみなさんがパラオの伝統文化を知るきっかけになればうれしい」と話しています。
植村さんは、ほかのアーティストに向けてVRの活用法を発信していきたいと考えています。そこには、画家に転身したばかりのころに苦労した経験がありました。
「7年前は、深夜までアルバイトをしながら絵を描いていました。絵が売れないと絵の具を買うお金がどんどんなくなっていき、お金がないと制作を続けていけないと痛感した時期でした」と植村さん。
個展をする場合は、スペースを借りたり、作品を運んで展示したりする費用、時間がかかります。しかし、VRを活用すれば比較的低コストで実現でき、常設展示も可能です。さらに、海外発信も可能だと、植村さんは利点を挙げます。
VRエンジニアの斉藤さんは、VRとアートを組み合わせることで「今までは交わらなかったコミュニティーが交わるきっかけになる」と期待しています。
「もともとアートに興味ない人は、休日にお金や時間があっても、美術展に足を運ぼうとは思いません。でも、VR個展は『家から鑑賞できるなら』と来てくれる人がいます」
予想外だったのは、来館者たちが、自宅で作品を見られることよりも、アーティストと手軽にコミュニケーションできることに価値を見いだしていたことでした。
「植村さんの絵の解説を聞いて、僕自身も美術に興味を持ち始めた。コミュニケーションを通して来館者はアーティストから学べるし、アーティストにもファンがつきます」
コンサルティング大手のPwCによると、2020年のVR市場の売り上げは約18億ドル(約2千億円)、前年比で約30%拡大。2025年の市場規模は69億ドル(約7800億円)、年間平均成長率は映画、インターネット広告、テレビゲームとeスポーツなどの14項目で最も高いと予測されています。
斉藤さんも技術者として、海外向けに現代アーティストのバーチャル総合展示会を計画するなど、挑戦を続けています。
斉藤さんは「仮想空間をリアルの代替のツールとして考えると、『バーチャルでやる必要ある?』と言われることがあります。でも、現実では小さな絵を拡大して展示できるなど、バーチャルでしかできない演出はたくさんあります」と話します。
取材を振り返ると、最初はVR機器の扱いに戸惑いましたが、すぐに慣れ、時間が経つのを忘れてアートの世界に浸ることができました。
仮想空間での美術鑑賞は、美術展の代替ではなく一つのアミューズメントでした。美術館でしかできないこと、VR個展だからできることの両方がある。これはアートの世界だけでなく、観光、教育、スポーツ、ショッピングなどの幅広いジャンルに通じることだと思います。
今、日本のメディア業界もメタバースでの情報発信のあり方を模索しています。既に電通、博報堂などはメタバースにおける新しい広告サービスの開発に乗り出しています。テレビ局や新聞社がニュースを届ける未来もそう遠くないでしょう。
取材の手段としても、まず、メタバースでは、相手の地理的条件にとらわれないというメリットがあります。私が体験した「VRチャット」では、操作方法を練習するために日本人向けのワールドが用意されていました。そこで、偶然居合わせた人たちとあいさつをしたり、使い方を教えてもらったりしました。
私たち新聞記者はよく、大きな出来事や選挙などの報道で「街の声」を聞くために、商店街や駅前を歩く人たちを取材します。出会う人たちは、当然その地域の住民がほとんど。もし、メタバースに設けられたコミュニティースペースで取材ができれば、遠隔地に住む人たちにも出会うことができます。
会話は予想以上に自然でした。相手のアバターと「目線」が合うし、身ぶり手ぶりも伝わる。立体音響で、相手との距離で声の音量や聞こえる方向が変わります。相手の「息づかい」が感じられ、オンライン会議システムを使った取材と比べて取材がしやすいと感じました。仮想空間に自分の姿を映す機能の開発も進んでいるので、自分自身の姿で会話することも実現しそうです。
一方で、できないこともあります。ゴーグルを装着し、コントローラーを持つので、手がふさがってしまいます。普段の習慣であるノートでメモを取ることはできませんでした。
また、あくまで仮想空間での取材なので、事件事故などのリアルの「現場」がある取材で使うことも厳しいと感じました。一方で、メタバースが普及するにつれて、仮想空間ならではの事件や犯罪を取材することがあるかもしれません。
ただし、VR機器を買って装着しなければならないというハードルはまだ大きいと感じました。約500グラムあるゴーグルは、私には重たく感じました。個人差はあると思いますが乗り物酔いのような感覚になったので、酔い止めを飲みました。こうした使い心地の問題はユーザーの裾野を広げる意味で重要でしょう。
とはいえ、総じて、メタバースの発展には期待がふくらみます。
斉藤さんはVR空間での取材にこう答えてくれました。
「バーチャルはリアルを充実させるための一つのツールであり、リアルもバーチャルを拡張させたり、豊かにしたりするための一つの世界。この二つは平行線上にあるもの」
「銀河の中に、たくさんの惑星があるみたいなイメージです。リアルの代替というよりも、概念そのものとして存在しています。今後は、バーチャルならではの文化が育っていくでしょう。おもしろくなりそうです」
メタバースで何ができるようになっていくのか注目しつつ、VRを使った方が便利だな、楽しいなと感じるものを、少しずつ生活に取り込む。そんな「ほどよい距離感」がちょうど良いのかもしれません。
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