話題
「ヘイトスピーチに襲われた街」からのヒント 萎縮が招く分断と暴走
「国会開催」は無視され「国会議員の任期延長」が先走る不思議
【金曜日の永田町(No.42)2021.12.27】
新型コロナウイルス禍で緊急事態宣言などが繰り返された2021年。国会が開かれていた日数は半数未満で、過去20年間で最少でした。「批判ばかり」というレッテルを貼られた野党が萎縮し、分断される先にあるのは、検察庁法改正案も入管法改正案も食い止められない国会か――。朝日新聞政治部の南彰記者が金曜日の国会周辺で感じたことをつづります。
衆院選の選挙戦最終日だった10月30日。神奈川県内の駅前で、4期目を目指す自民党候補がこんな悲痛な訴えをしていました。2012年の衆院選で初当選し、安倍政権、菅政権の国会になじんできた議員の1人です。
「私たちがいま考えなければいけないのは、自民党も変わらなければいけないということであります。モリカケや桜、広島の大型買収事件。『どうしてこう頻繁に自民党には政治とカネの問題が起きるんだ』という厳しいご批判を頂いていることを、私たちはきわめて深刻に受け止めて、まず自民党が変わらなければならないと考えております」
この頃、与野党の国会議員には「NHKの終盤情勢」として「自民党は甘利明幹事長も小選挙区で敗れ、単独過半数割れの勢い」という情報が広がっていました。
これまで森友学園問題をめぐる公文書改ざんをはじめ、民主主義の基盤を揺るがす問題が次々と起きても、その真相解明の壁になってきたのが自民党です。自民内には追及する野党のことを「批判ばかり。いつまでモリカケ・桜なんて言っているんだ」と冷笑する動きが根強くありました。
そして、野党の追及を封じるように、国会という場すら開かなくなることが繰り返されました。しかし、「野党共闘」によって野党候補が一本化され、「自分たちの権力基盤が崩れるのではないか」という危機感を抱いて、改心すると叫び出したのです。
自民党は今回の衆院選でなりふり構わぬ選挙戦を展開しました。
衆院議員の任期満了前に、コロナ対策で批判を浴び、地元・横浜での市長選でも大敗した不人気の菅義偉さんから岸田文雄さんに「選挙の顔」を交代。自民党幹部は「自由、民主主義の思想のもとに運営される政権と、共産主義が初めて入ってくる政権と、どちらを選びますかという選択だ」と体制選択選挙にすりかえ、各地の候補者も「立憲共産党」などと野党共闘への批判を重ねました。
さらには自民の泉田裕彦衆院議員から、衆院選をめぐり、「2千万~3千万円の裏金を要求された」と名指しされた県議が離党するということも起きました。
選挙後に明るみに出た問題の舞台は、いずれも野党が候補者を一本化し、自民候補が苦戦を強いられていた選挙区です。
ときに公選法などのルールも無視した壮絶な戦いの末、自民は接戦の小選挙区を競り勝ち、最終的に260議席以上という安定多数の議席を獲得しました。
その衆院選後、岸田政権は森友学園問題で、ある決断をします。
安倍晋三元首相の妻・昭恵さんの名前を削除するなどの一連の公文書改ざんを強いられて、自死した元近畿財務局職員・赤木俊夫さんの妻が「真相解明」を求めて起こした裁判で、具体的な証拠調べが始まる前に、税金から約1億円の賠償金を支払って裁判を終わらせる「認諾」に踏み切ったのです。
9月の自民党総裁選で岸田さんは「民主主義の危機」を訴えていました。しかし、衆院選を経て、「自民党の危機」が遠ざかると、真相にふたをする形で処理したのです。
衆院選で自民に安定多数を許し、改選前の議席を下回った立憲民主党は、枝野幸男さんが代表を辞任。新代表には47歳の泉健太さんが選ばれました。「男女同数」の執行部を発足させ、来夏の参院選に向けて野党第1党の再建を担っていますが、衆院選を経て変質した国会の難しさに直面しています。
衆院選後、初めての国会論戦となった臨時国会が始まった12月6日。立憲の新執行部は各党へのあいさつ回りをし、衆院選で議席を伸ばした日本維新の会の控室も訪れました。
維新幹部から「共産党さんほどおいしいコーヒーではないですが」と野党共闘をネタにコーヒーをすすめられ、共同代表の馬場伸幸さんから真っ赤なバラの花束を贈られましたが、やりとりが始まると、部屋の空気は凍りつきました。
「いろいろなご意見があるのは承知しているんですけど、憲法審査会を開くというのは協力してください」「非効率なことは、絶対やめてもらわなあかん」
馬場さんが憲法改正を議論する衆院憲法審査会の開催を泉さんに迫ったのです。
「国会の今までの基本ルールとしては、何をどう話し合うかということを決めてから開かれる。そこのところがやっぱり……」
同席していた立憲代表代行の逢坂誠二さんが間に入ろうとしましたが、馬場さんは「憲法審査会は憲法改正項目を議論するのが……」と反論。逢坂さんが「それにしても、何をどう話し合うのかを決めるのが前段としてある。他の委員会も『ただ開きましょう』とはなかなかなっていない」と指摘しましたが平行線で、泉さんが「新しい執行部でよく考えていきます」と言って終わりました。
その3日後のことです。維新と国民民主党が、自民党が中心に憲法審査会の運営方法を協議する「与党側」の幹事懇談会に参加。国民民主代表の玉木雄一郎さんは「『審査会を開くな』『議論をするな』の勢力とは一線を画したい」と言って、立憲と距離を置く姿勢を示したのです。
12月16日、参院で補正予算案の審議が行われている中、異例の開催となった衆院憲法審査会では、自民、維新、国民民主の代表者が、緊急事態条項の創設などに向けて、定例日の木曜日に毎週議論を進めるべきだと意見表明。議論の加速化を求めて、立憲議員へ集中的に質問を浴びせる展開になりました。
翌日の記者会見で、泉さんは違和感を吐露しました。
「毎週開くことが当然かのような論調作りはやめていただきたい。では、決算行政監視委員会は毎週開いてくれるんですか? 拉致問題特別委員会は毎週開いてくれるんですか? なぜ急に、憲法審査会だけに焦点を当てて、『毎週開け』と大合唱をするのか。『憲法審査会だけを動かせ』というのは国民をだます行為だと思う」
2021年に、日本の国会が開かれていたのはわずか180日間。新型コロナウイルス禍で、緊急事態宣言が繰り返されていたにもかかわらず、2000年以降で最少です。
野党が憲法53条に基づいて臨時国会の召集を求めましたが、政府・与党は応じようとしませんでした。国の予算や法律をつくり、行政を監視するという議会本来の機能が1年の半分以上、止まっていたのです。予算案などを審議する予算委員会すら、5月から12月まで7ヶ月間も審議が行われませんでした。
医療や支援が追いつかず、自宅死まで相次いだ8月には、危機感を募らせた東京の超党派の自治体首長からも「国会開催」を求める声が上がりました。そうした状況でも、国会を動かそうとしなかった議員などが中心となって、憲法審査会で「緊急事態時に国会議員の任期を延長すべきかという議論をすべきだ」と訴えているという不思議な状態です。
予算委員会がなかなか開かれず、首相なども質疑に応じようとしない。そうした国会において、行政監視機能の代替となってきたのが「野党合同ヒアリング」です。
森友・加計学園問題や、桜を見る会、コロナ対策、東京五輪・パラリンピックなど、多岐にわたる政権の問題を追及する場になっていましたが、これも衆院選後の国会においては「見直し」の大合唱です。
国民民主は11月4日、野党合同ヒアリングに参加しない方針を決めました。維新以外の野党が集まり、国会運営で連携してきた「野党国会対策委員長会談(野国)」の枠組みから離脱することも表明した玉木さんは、「対決色が強いところだけでは民意に応えることにもならない」と記者団に語りました。
そして、立憲の新代表になった泉さんも11月の代表選で「『批判ばかり、追及ばかり、反対ばかり』と言われがちな党のイメージを前向きなものに転換しないといけない」と言って、野党合同ヒアリングの見直しを公約しました。
「野党ヒアリングで(政権の追及を)ガンガンやっていたメンバーが衆院選で落ちている」(国民民主幹部)
そうした萎縮の言説は国会内で語られ、立憲にも広がっています。
確かに、官僚を公開の場で詰問する一部議員の振る舞いなど、野党ヒアリングにも改めるべき点はあるかもしれません。しかし、追及していた議員も「問題の当事者」とは言い難い官僚たちを相手にしたかった訳ではないと思います。
そもそもの問題は、本来の責任がある政治家が国会に出て、説明しようとしないこと。そして、出席しても事実に反する「虚偽答弁」を行ったり、公文書の廃棄・改ざんなどを繰り返したりして、野党の質疑を妨害してきたこと。そのような政権側の体質にあります。
本質的な問題が解決されないまま、野党が粘り強く真相に迫る手段を放棄するのであれば、政権にとってこれほど楽なことはないでしょう。
12月の臨時国会では、基幹統計の書き換え問題が発覚し、「野国」を開いて、野党側の統一要求をまとめ、政府・与党に突きつける場面はありませんでした。
衆院選前も自民安定多数の国会でしたが、野党第1党の立憲を中心に「野国」で結束することによって、国会として一定の歯止めをかける場面がありました。
いずれも人権や民主主義のルールを守り、権力の暴走を食い止める上で重要な成果でした。批判や追及が忌避され、闘う野党が分断され、押しつぶされていく中、立憲のベテラン議員は「今後は、検察庁法改正案や入管法改正案のような問題が起きても、食い止めることができなくなるのではないか」と危惧しています。
「1強多弱」の国会を変えていくための戦術である「野党共闘」を否定する言説も相次ぎ、自民党政治に対抗する野党の足場は細っていくばかりです。
自民党と取引のある企業との関係が取り沙汰されている匿名ツイッターアカウント「Dappi」の投稿でよく使われたフレーズは「野党『ギャーギャー』」でした。
「近財職員は(野党議員が)1時間つるしあげた翌日に自殺」などと事実に反する投稿までして、野党の取り組みに誤った印象を与えてきました。
そうして作られた世論を意識するような萎縮が広がる中、野党のことを「反対ばかり」「批判ばかり」と言ってきた自民党やメディアの一部が、ある自治体の条例案に対する反対キャンペーンを展開しました。
標的にしたのは、東京都武蔵野市が制定を目指した住民投票条例です。18歳以上で、市の住民基本台帳に3カ月以上続けて登録されていれば、国籍を問わず投票資格を与える内容でした。
神奈川県逗子市や大阪府豊中市でも同様の条例が制定されています。武蔵野市が進めてきた「市民自治」や「共生社会」を築いていく上での重要な取り組みです。
これに対し、自民党の一部が「住民投票」と「外国人参政権」を混同した議論を展開。外交部会トップの国会議員らが「中国からすれば格好の的。やろうと思えば、15万人の武蔵野市の過半数の8万人の中国人を日本国内から転居させる事も可能。行政や議会も選挙で牛耳られる」と荒唐無稽なSNSの投稿をするなど、排外主義をあおっていきました。
排外主義の団体も街宣車を繰り出し、市内で外国人差別のヘイトスピーチを展開しました。条例案を提出し、意義を訴える市長の松下玲子さんにも「反日」などのレッテルを貼り、さまざまな個人攻撃が繰り広げられました。一部メディアが流した「フェイクニュース」と排外主義が結びつき、人々の不安が暴力的にたき付けられていきました。
臨時国会の最終日と重なった12月21日の武蔵野市議会。キャスティングボートを握った2人会派の市議が「反対という意思を表明することは大変苦しいことでもあり、合意形成をしていくことについて、自分たちにも非がないとは言えないと思っています」「私たちもまた一緒に頑張らせていただきたいと心から思っています」と涙まじりの演説で反対に回り、条例案は賛成11票、反対14票で否決されました。
しかし、市議たちは賛成や反対討論の中で、一連のヘイトスピーチを含む暴力的な言説は、市民の正常な議論や討論を奪い、民主主義を壊しかねないものだと訴えました。そして、否決直後に記者団の取材に応じた松下さんは、ヘイトスピーチに苦しめられた住民たちの傷ついた心に寄り添いながら、再挑戦する考えを示しました。
「今後、この結果を受け止めながら、さらなる検討を重ねてまいりたいと思っております。武蔵野市が、人権が尊重されて多様性を認め合う『支え合い』の社会を築いていくこと。これからも共に考えて、街づくりを行っていきたいとおもいます」
卑劣な攻撃に屈することなく、共生社会の理念を粘り強く実践し続けようとする姿は印象的でした。
松下さんは少数与党ながら、「子ども子育て応援宣言」を合言葉に、市長1期目から18歳までの子どもの医療費無償化などの政策を実現。一方で、新型コロナの感染拡大時には、東京都が進めようとした東京五輪のパブリックビューイングに異を唱えてブレーキをかけるなどしてきました。そうした歩みに裏打ちされた力強さだと感じました。
野党が進むべき道のヒントは、この姿にあるのではないでしょうか。新年こそは、右往左往せず、自民党と切磋琢磨(せっさたくま)して、次世代が希望の持てる政治や社会の姿を示し、挑戦していってほしいと思います。
〈南彰(みなみ・あきら)〉1979年生まれ。2002年、朝日新聞社に入社。仙台、千葉総局などを経て、08年から東京政治部・大阪社会部で政治取材を担当している。18年9月から20年9月まで全国の新聞・通信社の労働組合でつくる新聞労連の委員長を務めた。現在、政治部に復帰し、国会担当キャップを務める。著書に『報道事変なぜこの国では自由に質問できなくなったのか』『政治部不信権力とメディアの関係を問い直す』(朝日新書)、共著に『安倍政治100のファクトチェック』『ルポ橋下徹』『権力の「背信」「森友・加計学園問題」スクープの現場』など。
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