お金と仕事
在宅勤務でワイシャツ激減 首都圏のクリーニング店、激闘の1年半
生き残りかけ洗ってみたもの
クリーニング、最近使っていますか? スーツやワイシャツを日常的に着てきたビジネスパーソンでも、コロナ禍でリモートワークが増えるなど生活スタイルが大きく変わり、クリーニング店から足が遠のいている人も多いのではないでしょうか。そんな業界はいま、どうなっているのか。首都圏で30店舗以上のチェーン店「クリーニングWAKO」を経営する「和光」の勝川由康社長に聞きました。
――コロナ禍で、首都圏のクリーニング業界はどんな状況にあるのでしょうか。
事業環境は厳しいです。業界全体で見ると、2020年度は売り上げベースで3割ほど減っています。経済活動が再開しつつある今年度も、緊急事態宣言が長期間出されたこともあり、まだ2割くらいは減ったままではないでしょうか。これだけ売り上げが減っても、多くの店は政府のコロナ対策で支援対象となりませんでした。コロナ禍で売り上げが減った中小企業に最大200万円を給付する「持続化給付金」の支給要件は、所定の月の売上高がコロナ前と比べて半分以上減っていることでした。苦境にあるとはいえ、多くはそこまでは減らなかったことで、他の業界と比べて苦しい状況が続いています。
企業が従業員の制服を廃止したり、以前はクリーニングに出すのが当たり前だった衣服でも素材の進化により自宅で洗えるようになったりしたことで、コロナの前から来店者数は減少傾向にありました。業界内で「カジュアル化」といわれる現象です。そこにコロナ禍の苦境が重なって、状況は一層厳しくなったと言えます。
――お店の中では、どんなことが起きていたのでしょうか。
私たちが最初に困ったのは、昨年春の一斉休校でした。営業面での苦戦ではなく、人繰りの問題です。クリーニング店で働く従業員は女性の比率が高く、私たちの会社でもスタッフの9割は女性です。子どもを持つ人も多く、子育てをしながらフルタイムで働く人もいます。普段であれば、小学校が終わったあと、学童保育で子どもの面倒を見てもらい、仕事の終わった夕方に迎えに行く、というサイクルが成り立ちます。ですが、一斉休校で学童保育も休みになり、自宅で子どもの面倒を見なければいけなくなったことで、出勤できなくなる従業員が相次ぎました。同業界では、シフトが組めなくなって営業時間を短縮したり、休業日を設けたりする例も相次ぎました。
――昨年4月7日からは、首都圏などで政府の緊急事態宣言が出され、「ステイホーム」が呼びかけられました。
東京都と神奈川県を主な営業エリアとする私たちにとっても、大変な状況でした。私たちのような都市部のチェーン店の場合、店で預かる商品数のなかで最も点数が多いのがワイシャツで、次に多いのがスーツのジャケットやパンツです。テレワークが呼びかけられ、スーツを着て外出しなくなったことで、来店者数もがくんと落ちました。私たちの会社だと、昨年4月は平年の4分の3ほどに減りました。東京や神奈川で緊急事態宣言が解除された翌月にはほぼ平年並みに戻りましたが、6月は再び減少に転じ、7月以降は平年と比べて2割ほど減る状況がしばらく続きました。ワイシャツは1枚あたりの単価が安く、利益面でそれほど大きなウェートを占めているわけではありません。それでも、平時の「主力」がごっそり抜けるわけですから。大変な状況には変わりありません。
――収益の面でも、相当厳しかったのではないでしょうか。
業界全体としては、かなり厳しかったと思います。出入り業者に聞くと、「他社はほとんど赤字だ」と口をそろえていました。ただ、私たちも一時的にお客さんは減ったものの、昨年度は通年で黒字を確保し、一昨年度を上回る利益をあげることができました。社長の私自身「まさか」と驚くような結果で、従業員には通常通りボーナスを支給することができました。営業戦略や社内運営の工夫によって、何とか危機を乗り切れました。
――どんな工夫でしょうか。
まず、コロナ禍で減った分の需要をカバーするための営業戦略を立てました。従来の主力商品に加えてコロナ禍特有の需要が発生していないか議論し、「巣ごもり」を機にタンスやクローゼットで眠っているものをまとめてクリーニングに出してもらおうと考えました。例えば、コートやダウンジャケットなどの冬物衣料品、羽毛布団などの寝具などです。店の前に広告を掲示したり、期間限定の割引を実施したりして、例年より売り込みを強化しました。
次に、これまで手がけてこなかった商品の受け入れも始めました。カーテンやぬいぐるみ、ベビーカーなどです。「自分たちにできることをやろう」「これまでやったことがなくても、まずは手がけてみよう」と、従業員と一緒にいちからやり方を学び、新たな設備を導入しました。例えば、ベビーカーはいったん解体して座面など布の部分を外し、骨格部分は高圧洗浄機で洗います。手間もコストもかかりますが、こうした小さな積み重ねもワイシャツやスーツの減少分をカバーするのに貢献しました。
――他にどんなことをやったのでしょうか。
コスト削減にも地道に取り組みました。神奈川県内に三つある工場と各店舗とを結ぶ配送ルートを少しでも効率化し、車の燃費を抑えられないか検討しました。コロナ前から先を見据えて取り組んできた、ボイラーの燃料を重油からガスへ切り替える動きも、ここにきて効果を発揮しています。数年前に初めて1台入れ替え、コロナ禍のさなかの今年10月にもう1台入れ替えました。重油の価格は一時的に下がっていましたが、最近は逆に需要の戻りなどが原因で高騰しています。確かに設備投資にお金は必要ですが、いまは年間100万円単位で燃料費を抑えられています。
こうした策と同じくらい気を配ったのが、従業員の抱える不安を軽減することでした。昨年春の一斉休校や1回目の緊急事態宣言では、他店と同様に私たちも人繰りに苦慮しました。従業員には未知の感染症に対するおそれもあった。私は一斉休校が始まってすぐにユーチューブで従業員だけが閲覧できるチャンネルを立ち上げ、直接メッセージを届けようと試みました。「必ず雇用を守る」と約束し、人びとの暮らしや衛生環境を支える業界で働く意義を伝え「懸命に働く私たちの姿をお客さんに見てもらおう」と呼びかけました。昨年秋には、従業員の悩みに答える「相談室」を立ち上げ、新たに採用した従業員1人に専従で業務にあたらせています。
――効果は出ているのでしょうか。
従業員の離職率は、平年より1割近く下がっています。パート従業員には学生も多く、毎年一定の入れ替わりが発生することを考えると、かなり低く抑えられています。早めに危機感を共有できたことで、従業員同士でカバーし合う意識も高まり、緊急事態宣言中でもシフトが組めないことによる店舗の休業を避けられ、最大限の営業体制を敷くことができました。人が抜けなかったことは、求人コストの大幅削減にもつながりました。
――その後も首都圏では緊急事態宣言が続きましたが、それだけ筋肉質になれば、ダメージもどんどん少なくなっているのでは。
ところが、全く逆です。宣言を重ねるごとに、私たちの会社も徐々に状況は厳しくなっていると感じます。1回目の宣言では、タンスやクローゼットの中にクリーニングに出すものがたくさんあったからよかった。でも、それも無限にあるわけじゃない。危機を乗り越えるために重ねた努力によって、会社のサービス力を向上させることはできましたが、もう次の緊急事態宣言は来て欲しくないのが本音です。私は政府に何かを言えるような立場にはありませんが、これまでの宣言や様々な施策が感染拡大防止にどれほど効果があったのか、データの検証はしてほしいと感じます。我々も経営施策の検証を繰り返しながら、課題を解決し、前進しています。
時間が経つにつれて社会の状況が悪化しているのは、求人・採用活動を通じても感じます。地元で繁盛店として知られる飲食店でスタッフとして働いていた人が「働けなくなった」と面接に来る。服飾や物販などの業種でも、宣言を重ねるごとにそんな人が増えています。大学生も、入学後に一度も友達と会ったことがないという人、2年生になって初めて地元から東京に出てきて「アルバイト先がない」と悩んでいる人など、様々な悩みを抱えています。こんな状況は長く続いて欲しくないと思います。
――先が見通しにくい状況で、どんな経営を目指しますか。
前社長が亡くなったことで2011年に社長に就いて以降、「愛をもって人とサービスをつなぐ」という理念を掲げて会社を経営してきました。最初の使命は、つぶれかけていた会社の建て直し。規律を失い、社内で身近に起きていることも「全てひとごと」のような社風を、変える必要がありました。私のやり方にはついていけないと、22人ほどいた当時の社員の約半数が1年以内に会社を去りましたが、残った人たちで「スクラップ・アンド・ビルド」の再建を進めてきた経緯があります。
採算の悪い店を閉め、より利益の見込めそうな場所に店を出すだけでは、エリア内で最も信頼してもらえる「地域の一番店」にはなれないと思っています。従業員には、「お客さんとは無駄話をたくさんしてほしい」と伝えています。キャッシュレス決済の使い方がわからない高齢者には、マニュアルを見せるだけでなく、操作を手伝ってもいい。従業員とお客さん、従業員同士の信頼関係がビジネスそのものを助けると、コロナ禍でも身に染みました。これからも理念通り、愛をもって人と関わり、工夫を凝らし、危機を乗り切っていきます。
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