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古本屋があえてレトルトカレー事業 コロナで休業中に決断した理由
「文学カレー」には本へのぶれない思いがあった
高円寺にある古本屋「コクテイル書房」は、コロナをきっかけにレトルト調理機を導入して、食品販売(製造と販売)に乗り出しました。手がけるのは文学作品をテーマにした「文学カレー」。全国でもいち早くブックカフェを開店した店で生まれた新たな挑戦には、マイペースで芯のある店主の本に対するぶれない思いがありました。(ライター・安倍季実子)
話を聞いたのは、「コクテイル書房」の店主・狩野俊さんです。
コクテイル書房は、1997年の春に国立市に誕生しました。元は古本屋でしたが、近隣大学の学生たちのたまり場になり、そのうち酒盛りがはじまりました。「居酒屋も一緒にやってみたら」というお客さんの声に背中を押されて、半年後には古本屋兼居酒屋というスタイルに。その後、高円寺で三回の移転を経て、今の場所へ移りました。現在の店舗は昭和元年に建てられたもので、元はお肉屋さんだったと言います。
ブックカフェが一般的になる前から、古本屋兼居酒屋として営業していたため、度々メディアの取材を受けてきました。しかし、爆発的にお客さんが増えることはなく、ゆったりと営業していたといいます。
「昨年の2月頃からコロナ関連の報道が多くなり、少しずつ影響を受けはじめたお店もあったと思いますが、うちは特にダメージはありませんでした。お店を開け続けてもよかったんですが、お客さんの中には年配の方もいるので、一度休業して様子を見ようと思い、3月中頃から休業に入りました」
お店は、6月に再開。団体客がなくなったことと、営業時間を短くしたことで、売り上げは5~6割程度に下がりました。
「確かに影響はありましたが、お客さんが早めの時間帯に来てくれるようになったり、食材のロスが少なくなったり、家族との時間が持てるようになるなどのプラスもありました。一番大きかったのは、後回しにしてきた雑多な作業を片付けられたことです。店内の片付け、ネット販売用倉庫の整理整頓ができたのは満足しています」
コロナで営業ができなくなったとはいえ、充実した暮らしを送っていた狩野さん。これには、給付金に助けられた部分が大きいといいます。
「自由に使える時間ができたので、助成金の勉強もしました。種類や申告方法を調べるために、東京商工会議所の本部へ行ったときに、『経営革新計画』という制度を知りました。助成金の認定や融資が受けやすくなるというものです。
それまで、頭のどこかで『計画を立てても、その通りにはいかないだろう』という考えがあって、経営計画などに対しては半信半疑でした。しかし、実際に計画を立てたときの目標の数字に向かって努力することが大切なんだと気づきました。
経営計画を立てるのは大変でしたが、頭の中でバラバラだった考えや想いを整理整頓できて、自分のやりたいことや将来の目標がはっきりしたのもよかったですね」
8月に経営計画を提出すると、次は「ものづくり補助金」にも申請し、今年の2月に審査を通過。これらを利用して、お店の名物の文学カレーをレトルト化するため、レトルト調理機を購入しました。文学カレーとは、「食べることで関連する本を読みたくなる」をテーマにしたオリジナルメニューのこと。
「レトルト調理機の導入案は昨年中からありました。きっかけはスーパーで見かけた、レトルトカレーのパッケージです。まるで本のように見えたので、文学カレーもレトルトにして本っぽくして売ったら面白いんじゃないかと考えました」
文学カレーのレトルト化のために、まずは店舗の改装からはじめました。昨年12月前半に休業してキッチンを改装。常連さんに劇場の照明をしている人がいて、図面を引いてくれただけではなく、監督にもなって工事をひっぱってくれたおかげで費用を低く抑えることができました。1月、2月と何回かに分けて改装を続け、完成したのは今年の4月に入ってからでした。
実は、レトルト化の設備導入には家族からの反対にあったそうです。
「僕自身が飽きっぽい性格なのと、時間的にやれるのかどうか。また、助成金頼りとはいえ、一時的には相当な金額を負担しないといけません。でも、新しいことをはじめないと、やがて経営難に陥る可能性もあります」
反対を押し切って購入したのは、パナソニックの「達人窯」という製品でした。
「ポイントになったのは、ボタンひとつで簡単に操作できる点です。都内にショールームもあり、実際に達人窯で作られた商品を確認しました。アフターケアもしっかりしてそうだったので決めました」
推奨する真空包装機と合わせると約400万円。それに改装などの費用を加えると、およそ800万円くらいになったといいます。改装の費用には助成金はでず、自費で行いました。
初期費用は高いハードルでしたが、その後の維持費は電気代くらい。この他には、包装用のパック代や箱代も必要ですが、文学カレー以外は白地の封筒に印刷することで経費を抑えて、新商品を展開しやすくしました。レトルトの他に、缶詰や瓶詰めもできるので、さまざまな商品展開が可能です。長く使えば、トータルでプラスになると考えたそうです。
レトルト商品が作れるようになってから、狩野さんの活動の幅も広がりました。ひとつは『学生カレー』です。営業時間短縮協力金をただ受け取るのではなく、何かの形で還元したいと思ったことがきっかけです。自分にできることは何かと考えた時に、生活に困っている学生たちにレトルトカレーを無料で配ることを思いつきました。学生カレーは、体調を考えて野菜を多く入れ、さらに鳥の手羽元を一本入れた、ボリュームのあるカレーです。
SNSで告知をすると、たくさんの学生がやってきました。また、噂を聞いた複数のメディアの取材も受けました。今でも学生カレーの配布は継続中で、来店した学生に無料で配っています。
レトルト商品は、さらに『我が街プロジェクト』という取り組みにも発展しました。これは、全国各地の土産物づくりを通して、その土地を盛り上げるようというプロジェクトです。メンバーは、「古典酒場」の編集長の倉島紀和子さんや親しい飲食店仲間を含む4名。
コロナ前から、自分たちの手で新しいお土産を作りたいと話していたことが、今年の4月に実現し、第1作目となる西荻窪のお土産の仏蘭西ソースが誕生しました。
外出自粛が明けると、杉並区内で開催されたフェスなどに参加しました。今後は、仏蘭西ソースと文学カレーのレトルトに、杉並区が発行している高円寺の観光マップも付けて販売します。
「通販でも買える商品とお店に行かないと買えない商品とに分けて展開する予定です。今の夢は、西荻土産を、その土地に行きたくなるようなお土産に育てることです」
古本屋の延長で居酒屋をはじめて、さらに居酒屋の延長で食品加工業をはじめた狩野さん。自身のことを、「一般的な飲食業の人と感覚が違うと思う」と話します。
「僕は、思いついてすぐにレトルト食品の製造をはじめて、何となくやれていますが、時間が経つにつれて、飲食店と食品加工業の間には大きな壁があると感じるようになりました。営業許可申請や衛生管理に取り組むといった手間もありますが、そもそも、飲食店と食品加工業は全く違う事業です。そのため、ほかの飲食店さんは、レトルト調理機の導入には、なかなか踏み出せないのでしょう」
今回、狩野さんがレトルト食品に挑戦できたのはなぜか。古本屋のかたわらで居酒屋をはじめようとしたときの経験が関係しているのだろうと振り返ります。
「本屋で飲食を提供した当時は古本組合から反発を受けましたし、非難されることもありましたが、ブックカフェが広まってからは、そういった声もおさまりました。2008年に本を出版した際に、出版イベントで『ふたつのことをやる意味は何なのか』と聞かれました。その時は答えが出ず、いろいろと考えてきましたが、最近になって、うちは本をベースに古本屋と居酒屋が成り立っているんだと気づきました」
コクテイル書房の願いは、「1人でも多くの人に本と親しんでほしい、好きになってほしい」ということ。この想いを実現するために、狩野さんは活動してきたのでしょう。そして、コロナが後押しとなり、カレーなどの食品製造や我が街プロジェクトとして実現しました。
文学カレーの売れ行きは、小規模店舗にしてはまずまずだそう。意外と、インターネットよりも店舗の方が好調だといいます。そのため、今後はインターネット販売に力を入れることも課題です。
「読書会を開いて本好きコミュニティーを作ったり、営業時間外の間借りもはじめる予定です。手を広げ過ぎだと思われる人もいるかもしれませんが、これらの活動のベースには本があります。個別ではなく全体を俯瞰することで、活動がひとつに見えてくるでしょうし、ベースに本があることでまとまりができ、それぞれがいい効果を生んでくれると期待しています」
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