連載
#1 ミッドウェー海戦の記憶
入隊まで2カ月で結婚、涙こらえ出征 空母「赤城」に乗った100歳
「随分と長い話になりますが、お時間は大丈夫ですか?」
岩手県一関市の古民家。元海軍整備兵、須藤文彦さん(100)は面会直後、記者の取材時間を気にかけた。
今から80年前の1941年12月8日、日本海軍が米ハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、太平洋戦争が始まった。当初は優勢を保った日本軍は、翌42年6月のミッドウェー海戦を境に劣勢に転じ、45年3月からの沖縄戦、8月の原爆投下を経て、無条件降伏での敗戦を迎えた。
須藤さんは当時、日本海軍の主力空母「赤城」に乗艦し、ミッドウェー海戦を戦った。
「要点だけをお話し、わかったつもりになられて、記事にされるのが嫌なのです。できれば、良いことも悪いことも全部取材して、それを後世に伝えていただけたらと」
記者がうなずくと、須藤さんはほほ笑み、部屋の奥から赤城の模型を持ち出して来た。
「今考えても、すごいことです。我々はこんなモノを大海に浮かべて、アメリカと戦争をしとったわけですから」
須藤さんは21年、旧大東町(現一関市)で、養蚕農家の9人きょうだいの末っ子として生まれた。学校を卒業後、徴兵検査を受け、42年1月に横須賀海兵団に配属されることになった。
ところが、入隊まで3カ月に迫ったころ、周囲で結婚の話が持ち上がった。「自分が戦死したら相手が不幸になる」と断ったが、当時、須藤さんのきょうだいは女性ばかりで、父は64歳、母は61歳。「この家に後継ぎを残して欲しい」と懇願され、11月3日、19歳の女性と結婚した。
「相手方の家は、あまり世間を知らないうちに結婚をさせた方がいいと思ったみたいです。私も、私がたとえ戦死しても、19歳なら再婚が十分可能だと考えて結婚しました」
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