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コラム

スタバのドレスコード改定、アルビノの私が素直に喜べない理由

「派手な髪色」に注がれる無言の圧力

カフェ業界の大手企業が新たに打ち出した、多様性を認める服装規定。アルビノ当事者・雁屋優さんが、その内容から感じ取った懸念とは?(画像はイメージ)
カフェ業界の大手企業が新たに打ち出した、多様性を認める服装規定。アルビノ当事者・雁屋優さんが、その内容から感じ取った懸念とは?(画像はイメージ) 出典: Getty Images

目次

先日、カフェ業界大手・スターバックスコーヒーが、店舗スタッフの服装規定を改めました。髪色が自由になり、着用可能な衣服の素材や色も増えるなど、多様な価値観を包摂する内容です。ネット上を中心に称賛の声が相次ぐ一方、髪や肌の色が薄く生まれる遺伝子疾患・アルビノの雁屋優さん(26)は、手放しで喜べないと考えています。背景にあるという、「ふつう」ではない外見の人々に向けられる視線の厳しさについて、つづってもらいました。

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「よりきちん仕事しないといけない」に違和感

2021年8月2日。1996年のスターバックスコーヒー日本上陸から25年となる日に、スターバックスコーヒージャパンにおけるパートナー(従業員)のドレスコードが改定された。

【関連リンク】 もっと自由に、自分らしく。パートナー(従業員)のドレスコードが変わりました!(スターバックス コーヒージャパンの公式サイト)

今回の改定で、髪色の制約がなくなったほか、規定の範囲内で帽子の着用なども許可された。同社によれば「人種、年齢、性別など、あらゆる違いを認め合い、お互いの自分らしさを尊重する」「お客様との心あたたまるつながりを生み出す」狙いがある。

私は当初、アルビノの当事者として、この変化に小さな喜びを感じた。「スタバで働く」選択肢が従来よりもしやすくなり、「ふつう」の見た目ではない自分の存在も、肯定的に捉えてもらえたように思えたからだ。

その後、いくつかのビジネス系メディアに、この取り組みについての記事が掲載された。それらを読むと、素直に称賛できなくなってしまった。

一連の記事によると、スタバの判断の背景には、パートナーの見た目を規定しすぎた場合、店舗利用者をも外見の印象で判断しかねなくなるのでは、との危機意識があったという。

ドレスコードの改定は、客との話題づくりになったほか、パラレルワークの機運を高めるなどの効果もあげているそうだ。

一方で、髪色が派手になる分、「よりきちんと仕事をしないといけない」という意識がパートナー間で広まった、との情報がある。接客時のミスに、これまで以上に厳しい視線が注がれかねないなどの事情が影響しているようだ。

【関連記事】ピンク髪も金髪もまったく問題なし…スタバが装い規定を大幅緩和した本当の狙い(PRESIDENT Online)

派手な髪色が認められる分、今まで以上に、しっかり仕事をしなくてはいけない――。スタバのパートナー間では、そんな意識が広がりつつあるという(画像はイメージ)
派手な髪色が認められる分、今まで以上に、しっかり仕事をしなくてはいけない――。スタバのパートナー間では、そんな意識が広がりつつあるという(画像はイメージ) 出典: Getty Images

髪色と人格を結びつける風潮の根強さ

先日、スタバのドレスコード改定について伝える記事をSNS上でシェアした。その際、見た目に症状のある友人が書き込んだ、「じゃあ私は常に人よりちゃんとしていないといけないのか」という言葉が、今も頭から離れない。

見た目に症状のある人と話すと、「相手にすぐ顔を覚えられる」「目立つから悪いことはできない」といった発言が時折登場する。人目に付きやすい、自分たちの容姿の特徴について、ある種の笑い話として語るのだ。

こうした考え方が、当事者が言い合う冗談の範囲に収まっているうちは、まだいい。しかし、常識や規範として機能するならば、大きな問題が生じる。

「ふつう」の容姿ではない人が、見た目においてマジョリティの人と同じ行動をした際に、周囲から受ける評価が変わるのだとすれば、それは差別だ。

特に髪の色と、個人の人格を結びつける風潮は、根強いものがある。例えば校則に基づき、頭髪検査を行う学校は多い。私が通っていた学校でも、派手な染髪が禁じられ、生まれつき薄い髪色の学生さえ、教師による「指導」の対象となった。

こうした文化は、多くの職場にも引き継がれている。スタバのドレスコード改定が、大きく報じられること自体、象徴的だろう。

例えば髪をピンク色に染めたスタバのパートナーが、接客時にミスをしたとしよう。上司や利用者の反応が、黒髪のパートナーのケースと比べ苛烈(かれつ)なものとなる恐れを抱いてしまう。これは教師による「指導」を目の当たりにした身としての見解だ。

「よりきちんと仕事をしないと」という意識の広がりは、こうした現状を反映していると言えるように思う。

髪をピンク色に染めたパートナーの方が、そうでないスタッフと比べ、ミスをしたときに叱責されやすいのではないか……。雁屋さんは、そんな懸念を抱いている(画像はイメージ)
髪をピンク色に染めたパートナーの方が、そうでないスタッフと比べ、ミスをしたときに叱責されやすいのではないか……。雁屋さんは、そんな懸念を抱いている(画像はイメージ) 出典: Getty Images

役立たなければ認めない、という態度

社会学者のケイン樹里安さんは、「役に立つ/立たない」といった視点で、個人のもつダイバーシティを「ちぎりとる」視線について、批判的に述べている。

【関連リンク】ちぎりとられたダイバーシティ――大坂なおみ選手が可視化した人々(WEZZY)

第三者が自分にとって都合のいい尺度により、ある個人を一方的に評価したり断罪したりする。相手のアイデンティティーを解体し、持論を補強する属性のみ取り上げ利用する。ケインさんが言う「ちぎりとる」視線は、そうした恣意性を伴う。

スタバのドレスコード改定に関する報道や人々の反応を見ていて、私が抱いた違和感も、まさにこの点に由来するのだ。

「ダイバーシティの課題に取り組んでいる」とスタバのドレスコード改定を称賛する一方で、特定のパートナーに、派手な見た目だからこそ、「より役に立たなければ認めない」と厳しい視線を注ぐ態度には警戒しなければいけない。

それは、この社会において、「他の人より格段に役に立つからいていい」と条件付きでダイバーシティを認める姿勢でもある。まさにケインさんが批判した、個人の持つダイバーシティを「ちぎりとる」視線そのものではないか。

多様性を担保するはずのルールが、逆に新たな抑圧となる恐れもあると、雁屋さんは言う(画像はイメージ)
多様性を担保するはずのルールが、逆に新たな抑圧となる恐れもあると、雁屋さんは言う(画像はイメージ) 出典: Getty Images

障害者が置かれる状況との共通項

またアルビノの社会学者・矢吹康夫さんは、著書『私がアルビノについて調べ考えて書いた本 当事者から始める社会学』(生活書院)で、一般に障害の程度が軽いとされる人々の処遇を巡って、次のように指摘している。

軽度障害者たちは、勉強に励むなどして自らの価値を補い、職場でも時間外労働によって遅れを取り戻そうとする。その結果、健常者なみに何かが「できてしまう」と、その間に払われたコストはなかったことにされ、補償努力の悪循環に陥ってしまう。
『私がアルビノについて調べ考えて書いた本 当事者から始める社会学』

障害者にはハンデがあるために、社会での居場所を得る上で、障害がない人より一層の努力や成果が求められる。このような状況は、生きるためのスタートラインが後ろに下げられてしまうという点で、不当な扱いそのものと言える。

一方で、髪を派手な色に染めているパートナーは、染めていないパートナーより「人格的に劣っているだろう」「仕事が雑だろう」というレッテルを貼られてしまうことがありうる。

それゆえに地毛(または従来のカラーコードに沿って染めた髪)で働く人と比べ、一段低く評価される状況が生まれるならば、それもまた真っ当ではないだろう。

もちろん、生来ハンデがある障害者と、自分の意思で髪を染めた人々とでは事情が異なる。しかし「『ふつう』の人と違うのだから」と周囲から過剰な努力を強いられる構造は同じだ。多様性を掲げつつ、その状況を黙認することは矛盾している。

付け加えておくと、私はドレスコード改定自体は歓迎している。スタバで働けるような適性はないので求人に応募することはない。しかし「ふつう」ではない見た目の自分も、「そこにいて当たり前」という空気を感じられる点で喜ばしいからだ。

つまり私が指摘しているのは、新しいドレスコードの運用には、新しい働き方や環境づくりもセットで考えてほしいという点なのだ。

「ふつう」ではないからこそ、生きる上で過剰な努力が求められてしまう。その点で、他者とは異なる容姿の人々と、障害の当事者たちの境遇は共通する部分がある。雁屋さんはそう考えている(画像はイメージ)
「ふつう」ではないからこそ、生きる上で過剰な努力が求められてしまう。その点で、他者とは異なる容姿の人々と、障害の当事者たちの境遇は共通する部分がある。雁屋さんはそう考えている(画像はイメージ) 出典: Getty Images

新たな抑圧を生まない取り組みに

スタバは、営利企業である以上、利益を上げなくてはならない。パートナーのルーツや、様々な見た目を考慮する決定をしたのは、企業イメージの向上といった「対価」があるからだろう。

昨今、SDGsやダイバーシティを掲げる企業が増えているのも、経営上の戦略という側面が強い。だが、取り組みの本質を深く理解して運用しなければ、形だけのものとなりかねない。

もしもスタバの取り組みが、派手な見た目によって不当な取り扱いを受けることを助長すれば、新たな抑圧と化す恐れはある。多様性を標榜しながら、明文化されないルールを付け足すようなことになっては、本末転倒だと思う。

とはいえ今回のドレスコード改定が、どのような結果を生むか、判断するのはもちろん早計だ。この記事で述べてきた懸念も、あくまで私が抱いているもので、杞憂に終わる可能性もある。まずは、運用状況の推移を見守りたい。

今後、パートナーにとって本当に働きやすい環境をつくり、スタバに関わるステークホルダーにも好影響を与える取り組みとなることを願っている。

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