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コラム

「優秀な障害者」しか生き残れない社会…アルビノの私が感じる矛盾

「試験も面接もいい」のに働けない理由

様々なハンディがある、障害者の人々。健常者以上に「優秀であること」を求められがちな現実について、遺伝子疾患・アルビノの雁屋優さんが考えました(画像はイメージ)
様々なハンディがある、障害者の人々。健常者以上に「優秀であること」を求められがちな現実について、遺伝子疾患・アルビノの雁屋優さんが考えました(画像はイメージ) 出典: Getty Images

目次

障害がある人は、人生の様々な局面で、健常者以上に苦労することがあります。生まれつき肌や髪の色が薄く、弱視を伴うアルビノの当事者・雁屋優さん(26)も、そのことを実感してきた一人です。症状により将来の選択肢を狭めないため、一芸に秀でる必要がある。そう考えた親の意向で、幼少期から勉強に打ち込みました。何らかの点で「優秀な障害者」でなければ、生きるためのハードルが上がってしまう。そんな社会の実情についてつづってもらいました。

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アルビノの子を育てる親に投げられた問い

ああ、私もこの構造に加担してしまっている。そう思いながらも、言葉は止められなかった。

髪や目の色が薄く生まれる遺伝疾患、アルビノの当事者やその家族の集まる交流の場で、小さなお子さんのいる方に、「今からやっておいた方がいいこと」を聞かれたときのこと。私は、「勉強」を挙げた。

私は、それが正しいと思っている。障害や症状があってもなくても、勉強しておいた方が、そしてより高学歴であった方が、選択肢が増えるのは事実だ。基本的に、高学歴であればあるほど、高収入の割合が高い。

そのような事実を意識していたこともあっての、先の発言だが、私自身が早期教育を受けたことに感謝しているからこそ、出てきたという面もある。

小学校入学前の私は、絵本を読むのが好きで、ひらがなの習得も周囲より早かったと聞いている。絵本だけでなく、文字ばかりの本にも手を伸ばすようになっていった。そんな私を見て、両親は学習塾で算数を学ばせようと決めた。放っておいても本を読むから、国語はどうにかなるだろうと考えたようだ。

アルビノの主症状である弱視のために、小学校の授業において黒板が見えなくても困らないように、先取りして学習するといいという両親の思いも背景にあった。一日5枚のプリントは、難しく感じるときもあったが、解けたときの喜びも大きく、わかることが増えていく楽しさに、私は夢中になった。

おかげで、中学卒業まで、勉強に苦労した記憶がない。この点では、両親に深く感謝している。だが、これは、感謝して終わりにできる話でもないのだ。

「今からやっておいた方がいいことは、何ですか」。アルビノ当事者を育てる親から問われるたび、雁屋さんは「勉強」と答えているという(画像はイメージ)
「今からやっておいた方がいいことは、何ですか」。アルビノ当事者を育てる親から問われるたび、雁屋さんは「勉強」と答えているという(画像はイメージ) 出典: Getty Images

障害者に「学歴と能力」を強いる社会

『この顔と生きるということ』(岩井建樹著・朝日新聞出版)のなかで、私と同じアルビノの当事者、伊藤大介さんが印象的なことを話している。

「同じ能力の人が2人いたら、私は落とされるだろうなって感じました。ならば、ほかの人よりも勉強や経験が必要だと思いました」

実際、伊藤さんは大学院に進学し、国の制度を使っての留学や、NGOでのインターンといった経験をした上で、国際協力機構(JICA)に勤めている。そのこと自体はとても素晴らしい。伊藤さんの成果はたたえられるべきものだと私も思う。

しかし、アルビノ当事者が「同じ能力の人が2人いたら、自分は落とされる」と感じてしまう社会には、課題があると言える。

障害や症状がなくても、より勉強ができて、高学歴である方が、働き口などの選択肢が増えるのは事実だ。一方で障害や症状がある場合は、「健常者と比べて仕事ができない」といったレッテルを、社会の側から貼られてしまう場合が少なくない。

結果的に、よりよい職を得るためには、勉強ができて高学歴であること、もしくは他人より何らかの能力が突出していることを、健常者以上に求められやすくなるのだ。

アルビノ当事者の中には、同じ能力であっても、健常者と比べられてしまうことに悩む人もいる(画像はイメージ)
アルビノ当事者の中には、同じ能力であっても、健常者と比べられてしまうことに悩む人もいる(画像はイメージ) 出典: Getty Images

弱視が理由で就職できなかった経験

私も、就職活動において、「適性検査も面接もいいと担当者としては思うのだけど、弱視であることから上層部が採用を認めなかった」との不採用理由を聞かされたことがある。このような話は、医大入試や都立高校の入試における男女差別とも通じる不平等だ。

ただでさえ、障害や症状のある人の就ける仕事は限られている。例えば、私は警察官や自衛官などになりたくても、視力が低いため、事前の健康診断で落ちてしまう。そもそも試験を受けることもできない。それは仕事の内容柄、当然のことだ。

しかし、何の合理的理由もなく、障害や症状のある人にだけ高い合格基準を課したり、障害や症状を理由に不合格にするのは、ただの差別で、不平等だ。

『アルビノを生きる』(川名紀美・河出書房新社)でも、ある進学校を受験したアルビノ当事者の入学に際し、入学試験の点数は合格基準に達しているのに、弱視のために入学を認めるかどうか話し合う会議が開かれた、との話がある。

文中では何十年も前の事例として紹介されているが、今と地続きのエピソードだろう。

雁屋さん自身、弱視であることを理由に、就職面接に落ちた経験がある(画像はイメージ)
雁屋さん自身、弱視であることを理由に、就職面接に落ちた経験がある(画像はイメージ) 出典: Getty Images

当事者を追い込んでいるのは私たち

現実を知れば、障害や症状のある子どもの保護者としては、自分の子どものよりよい未来を願って、早期教育や質のいい教育を求めるだろう。それ自体は、自然ではある。先述した私の「勉強をしておいた方がいい」という言葉も、その流れに連なるものだ。

「この社会はいまだに、純粋にその人の人格や能力を評価してはくれない。だからこそ、誰の目にも明らかなほどの優秀さを示すことで生き残ろう」

そう考える当事者や、その保護者を責められるはずもないし、サバイバルする方法として、早期教育や質のいい教育を求めるのは、理にかなっている。

だが、社会全体のあり方という観点で考えようとするときには、少し立ち止まらねばならない。全ての家庭で、早期教育や質のいい教育を、子どもに与えられるわけではないからだ。

「障害や症状があっても、教育は個人の責任で受けるのだから、公的には何もしなくてもいい」。そうした考え方が共有されれば、困窮家庭などで育つ、障害や症状のある子どもが、追い込まれてしまう。

現代社会は、障害や症状がある全ての人々にとって、必ずしも優しいとは言えない。当事者を育てる保護者たちや、アルビノの伊藤さんの懸念は、そのことを端的に示していると言えるように思う。

そして、そんな社会の基礎的な枠組みを、私たち自身が形作っているということを、もっと強く認識しなくてはならないのではないか。

様々や障害や症状がある人々が、追い込まれやすい社会を形作ってはいないか――。私たち一人ひとりが、そう自問する必要があると、雁屋さんは考えている(画像はイメージ)
様々や障害や症状がある人々が、追い込まれやすい社会を形作ってはいないか――。私たち一人ひとりが、そう自問する必要があると、雁屋さんは考えている(画像はイメージ) 出典: Getty Images

間違った現実を前に伝え続けたいこと

障害や症状があるからこそ、高い能力を持たなければ生きられない。そのような現実は、間違っている。しかし、私たちは日々を越えていかなくてはならない。

だから私はこれからも、アルビノ当事者のご家族に「やっておくべきこと」を問われたら、「勉強」を挙げる。でも、それを言わねばならないこの社会が間違っていることは、忘れないし、これからもその思いを発信していく。

真に目指すべき理想は「どのような人であれ、障害や症状を理由に差別されない社会」だ。まだ問題は山積みだが、少しずつ、そこへ近づいていると信じたい。

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