連載
#3 名前のない鍋、きょうの鍋
我が家の〝名前のない鍋〟プヨプヨうどん、ダシは…551のシュウマイ
欠かせない具、カボチャを入れたのは…
みなさんはどんなとき、鍋を食べたくなりますか。
いま日本で生きる人たちは、どんな鍋を、どんな生活の中で食べているのでしょう。そして人生を歩む上で、どう「料理」とつき合ってきたのでしょうか。
「名前のない鍋、きょうの鍋」をつくるキッチンにお邪魔させてもらい、「鍋とわたし」を軸に、さまざまな暮らしをレポートしていきます。
今回は、大阪のとある学校の給食の現場責任者を務める女性のもとを訪ねました。
おチヨさん:1974年、和歌山県生まれ。県内で調理師として勤務し、料理経験を積んだのち42歳のとき大阪でひとり暮らしを始める。居酒屋で1年ほど勤務、現在は学校の給食調理師として働く。日常の食事をアップしたSNSにファンが多く、現在Twitterでのフォロワー数は約4万人。
「お鍋いうたらね、うちではうどんすき。実家でもそうやったし、ひとりでもよくやります。カボチャを入れるのはめずらしいですかね。昔に私が入れてみようよと言ったらしいんですけど、私はお母さんが入れたような気がするんです」
もうどっちだったか、分からないとおチヨさんは笑った。家の定番鍋って、「欠かせないもの」がよくある。白滝やお麩という家もあれば、具材ではなく「どこそこのポン酢」なんて家も。おチヨさんちは、カボチャのようだ。
「あとね、シュウマイ。シュウマイお鍋に入れたらおいしなる。『551 HORAI』のシュウマイを入れるんですよ」
豚まんで有名な、関西の人気店。そうそう、ここはシュウマイもおいしいんだ。肉あんがふわふわで、ぽってりと大きい。鍋にいいダシを加えてくれるのだそう。
きょうの具材は他に白菜、シイタケ、ネギ、お揚げさん。削り節と昆布のだしに、酒、みりん、塩、醤油で味つけ。
鍋が煮えて湯気が漂い、昆布のいい香りが広がる。おつゆの色の薄さに関西を思う。そしておチヨさん、冷凍庫からうどんを取り出した。
「冷凍のうどん、下手な乾麺ゆでるよりよっぽどおいしい。最初から入れて煮ちゃいます。その方が味入る。煮込んでプヨプヨになったうどん、好きなんやもん」
ぐつぐつとしっかり煮えた鍋をテーブルに移して、夕食の始まり。おつゆをひとすすりして、なんともリラックスした表情を見せる。
顔いっぱいに広がる「おいしいなあ」の文字。昔なじみの味って、ホッとするものだ。うどんすきがおチヨさんの肩を「きょうもお疲れさま」と揉んでいるかのように思えた。
大阪市の東部にあるご自宅へ取材にうかがったのは16時、ちょうど仕事を終えて帰宅されたところだった。彼女は今、学校の給食調理師として働いている。
「朝の7時から15時までが勤務時間です。コロナになって、子どもたちが自分で配膳するというのがなくなったので、今は調理したものをひとつひとつお弁当箱に詰めるまでをしています。うちの学校は職員の方の食堂もあるので、お弁当の準備が終わったらそっちの支度もして」
生徒数は約700人、職員数が約300人ぐらいとのこと。おチヨさんは給食の現場責任者を務めている。体力的にも精神的にも、大変なお仕事だろうと察する。
「いえいえ、現場はホワイトですよ。残業もないし、周囲が本当にいい人ばかりでありがたくて。仕事にはむちゃくちゃやりがいを感じてます。少人数の食事を用意するのとはまたベクトルの違う楽しさがありますね」
きょうは飲みますかね、とビールを開けた。
大阪の“地物”である箕面ビールは香りがよくて味わいしっかり、おチヨさんのお気に入りだ。お酒は大好きとのことだが、晩酌は日課ではないそう。
「この料理にはお酒がないとどうにもこうにもならん、ってときだけ飲むんです。酔いたいとかは思わない」
ただ友人と飲んで食べては大好きで、コロナ前はよく人を家に招いて飲み会もしていたそう。
「私にもしものことがあったら、給食が止まってしまいます。千人もの人に迷惑かけるようなことはできません」
大好きだった外食も、料理を作って自宅で友人たちにふるまうこともきっぱり止めた。その状態が続いて、もう1年と8カ月になる。
勤めている学校は幼稚園から大学までの一貫校。
「もう責任、重大。だって幼稚園の子なんて、私が作る料理ではじめてその味を知ることだってあるんです。なるたけ食べやすく、できるだけおいしく出してあげたいと思いますね」
おチヨさんは例えとして筑前煮を挙げた。給食ではじめて筑前煮を食べて「おいしくない」と思ったら、その子はずっと「筑前煮=おいしくない」というイメージのまま育ってしまうかもしれない。料理に悪い印象を植えつけてしまうようなことは絶対にしたくない。
だからこそ子どもたちの成長に合わせて食材の大きさ、切り方も考え、少しでも食べやすいようにしたい。調理と同時に、おチヨさんは食育にもしっかりと携わっている。そのことに対する強い誇りを感じた。
話を聞いているうち、すっかり「プヨプヨ」になったうどん。つるっとすすって、ビールを飲んで。明日への英気を養う、いい時間だ。
「私ね、一時期うどんが食べられなかったんです。大好きやったのに」
実家の近くで母親のきょうだい、おチヨさんにとっては叔父のふたりが讃岐うどんの店を営んでいた。彼らの作るおだしとうどんは実においしかった。
しかしおチヨさんが小学生のとき、叔父のひとりが事故で急逝してしまう。ショックのあまり、うどんを見ることもできなくなる。ようやく食べられるようになったのは、20代も後半になってからやったんです……と。
「今夜はもうちょっと飲みましょうかね。次はシードルかな……」なんて迷いつつ、冷蔵庫から作りおきのおつまみが続々と出てきた。
ホルモンの煮たの、生落花生の煮たの、ホウレン草と菊花のおひたし、キノコのマリネ。味見させてもらったが、火の通し具合、味つけの加減がどれも絶妙だった。
特にキノコのマリネ、バルサミコ酢とお醤油を使った味つけがたまらない。スダチが香るホルモンの爽やかだったこと。おひたしにのったイクラも自家製だ。おチヨさんの友人たち、コロナで“チヨ宅飲み”ができなくなってどんなにか寂しいことだろう。彼らの嘆きが聞こえてくるような気がした。
「日々の料理も仕事もどっちも楽しく続けていきたい。給食の仕事は腰立たんようになるまでやりたいですね」
頼もしい笑顔を見せてくれたおチヨさんは、うどんを元気にすすった。
取材・撮影/白央篤司(はくおう・あつし):フードライター。「暮しと食」、日本の郷土料理やローカルフードをテーマに執筆。主な著書に『にっぽんのおにぎり』(理論社)『ジャパめし。』(集英社)『自炊力』(光文社新書)などがある。ツイッターは@hakuo416。
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