コラム
「高校選びに失敗した」アルビノの私がほしかった〝校風情報〟
服装頭髪検査で崩れた学校との信頼関係
髪や肌の色が薄く生まれる遺伝子疾患・アルビノの雁屋優さん(26)には、忘れられない記憶があります。受験勉強をしながら入念に調べて選んだ進学先の高校に、思ってもいない校則があったのです。大事なはずなのに足りていない校風や校則についての情報。理不尽なルールが教育にもたらすリスクについてつづってもらいました。
秋も深まってきたこの時期、大型書店では、目立つところに高校受験の情報誌が配置される。地域にある各高校の合格ラインや、制服の写真が載っているものだ。
私自身も、受験を前に、誌面を食い入るように読んだ。志望校と今の自分との距離はどれくらいか。志望校の制服はどんなものか。そういったことが知りたかった。
このほかにも、アルビノの私には、チェックすべきポイントが存在した。それは、その学校の校風だ。
私が当時住んでいた地域には、入学時に黒髪でない生徒に、地毛証明書や幼い頃の写真を提出させたり、保護者に説明を求めたりする高校があった。地毛証明書の提出を求めることは、今になってようやく人権侵害だと話題になってきているけれど、私が高校進学を考える時期には、当たり前に存在した。
いくら偏差値が自分と合っていて、制服が素敵だろうと、地毛証明書を提出させるような高校に入学して、楽しい学校生活が待っているとは思えない。特異な見た目ゆえに、疎外されている気分を味わうのは火を見るより明らかだし、何より息苦しいだろう。
そんな高校は絶対に避けたいとの思いで、受験情報誌を読みこんだが、求めていた情報は載っていなかった。
受験情報誌に載っていないのなら、高校見学の際に聞くしかない。学校説明会で、私は、高校教師に、いくつかの質問をした。
アルビノに伴うことの多い弱視について配慮を受けられるか。アルビノゆえの髪の色をはじめとした容姿についての理解が得られるか。そのような配慮のための面談はどのタイミングで行うか。特別な書類を提出する必要はあるか……。
幸いにも、私が見学に行った高校で、「黒染めしてもらわなくてはいけない」とか、「地毛証明書を出さなくてはいけない」といった回答はなかった。また、弱視に関する配慮は、事前の面談をすることで、問題なくできるという。
私はほっとした。そして、受験する高校を絞りこんでいった。
最後に第一志望として検討したのは、留学生が多く国際色豊かな高校と、ほとんど校則のない自由な校風の高校だった。留学生が多い環境であれば、多様な容姿の人がいることは当たり前だし、校則がほとんどなければ容姿を気にかけられることもないと思ったのだ。
様々な事情を吟味した末に、私は留学生が多く国際色豊かな高校に進学した。高校では初めて話の合う友人もできた。しかし、検討に検討を重ねて選んだのにもかかわらず、肝心の校風が私に合っているとは言いがたかった。
全校集会後に服装頭髪検査があったのだ。
検査後は、髪色や服装が問題ないと判断された生徒から順に、その場を去って教室に戻っていく。留学生やアルビノの私は、生来髪色が薄いと教師陣も理解しており、すぐに教室に戻ることができた。
しかし、少し色素が薄い程度の髪の日本人の生徒達は、毎回その場に残されていた。染めていないことなんか、最初からわかっているのに。
彼ら・彼女らが、どんな指導を受けたのか、私は知らない。けれど、明らかに他の生徒と異なる取り扱いをされることに、いい気分はしなかっただろう。
この経験に、私は、何だかもやもやした。その内容を長らく言語化できていなかったが、今ならわかる。
あの高校において、私は「いて当たり前」ではなく、「特別に許されている存在」として扱われたのだ。つまり、アルビノという疾患があったから、髪色が薄くても、例外的に指導の対象外となったのである。
だが裏を返せば、私のような目立った事情がなく、かつ生まれつき黒髪ではない生徒の容姿に、教師たちは目を光らせていたとも言える。更に、なぜ別の色に染まった髪が許容されないのか、合理的で明確な説明もなかった。まったく、フラットな状況ではない。
私の高校選びは、「失敗」した。振り返って、そう感じている。
情報収集には余念がなかったのに、一体どうしてそうなったのだろう。中学校の担任に言われた通り、偏差値と家からの通いやすさ以外の面も、しっかり見たはずなのに。
受験情報誌にも高校のサイトにも、詳細な校則をはじめとした校風に関する情報はなく、高校見学に行っても、どのような質問をすべきか、よくわからなかった。ただ、自分が生活していくのに最低限必要なことを聞けただけだった。
中学生に、自力で高校とのミスマッチを防ぎなさいと言うのは、無理がある。これからは学校も、適切なPRを行い、具体的な求める生徒像や、校風にまつわる情報を開示する必要があるのではないか。
また先述したように、教育現場では、見た目に関する校則の撤廃運動が広がりつつある。理不尽なルールを改めることは、学生たちの人権を守り、誰もが安心して学べる環境の整備にもつながる。
学生への接し方に関する情報を、学校が明確に発信し、それに対する率直な意見を学生たちが返せば、こうした状況は一層加速化するだろう。健全なコミュニケーションにより学生と教師の信頼関係が深まることは、学ぶ側、教える側の双方に、恩恵をもたらすはずだ。
そして見た目に症状のある当事者には、私の体験談をもとに、「他の人への対応」も見ていくといいとアドバイスしたい。今後、外見が理由で、不当な扱いを受ける学生が、少しでも減ることを願っている。
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