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コラム

「日焼けをしたら死ぬよ」アルビノの私が〝恐怖〟を受け入れるまで

「痛くても失敗してもいいじゃない」

遺伝子疾患・アルビノの症状の一つに、日焼けへの抵抗力の弱さがあります。当事者のライター・雁屋優さんは、その悩みとどう向き合ってきたのでしょうか?(画像はイメージ)
遺伝子疾患・アルビノの症状の一つに、日焼けへの抵抗力の弱さがあります。当事者のライター・雁屋優さんは、その悩みとどう向き合ってきたのでしょうか?(画像はイメージ) 出典: PIXTA

目次

生まれつき髪や肌の色素が薄い、遺伝子疾患アルビノのライター・雁屋優さん(25)には、幼少期から抱える悩みがあります。症状の一つである、日焼けへの抵抗力の低さです。顔や手を露出させたまま出歩いたり、水遊びをしたりすると、肌が荒れてやけどのような状態に。皮膚科に通ったことは、一度や二度ではありません。不自由な人生に対する考え方を変えたのは、趣味に全力投球する、他の当事者との出会いでした。自分の身体と向き合い、充実した生き方を志すようになったきっかけについて、つづってもらいました。

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「日焼け止め塗らないと…」親の言葉に恐怖

私はアルビノとして生まれた。一般的には、髪や目、肌の色が薄く生まれる遺伝子疾患ということが、よく知られていると思う。ただ、症状はそれだけではない。

メラニン色素がない、または少ないために、日焼けへの抵抗力が低い。このことに、日焼けで失敗してから気づいたという当事者もいるが、私の場合は、かなり幼い頃から親にその知識があり、日焼け対策はされていた。

外に行く前に日焼け止めを塗ってもらう、もしくは自分で塗るのが幼い頃の私の日常だった。あまりに当たり前すぎて、そこに疑問を抱くこともなく、生きていた。

「日焼け止めを塗らないと、死ぬんだよ」「がんっていう怖い病気になるんだよ」。親からは、そんな怖いことを言われた記憶がある。日焼け止めクリームを塗ることを意識させるためだったのかもしれない。

今思えば、親も怖かったのだろう。「日焼け止めクリームを塗らずに日に焼ければ、この子はどうなってしまうのか」という恐怖を抱えていた気がする。だから、そのような声かけになったのだろう。

そのせいか、死の恐怖は常に傍らにあったように思う。死ぬってどんなだろう。痛いのかな。苦しいのかな。そんな想像が頭を駆け巡り、眠れずに一人部屋で静かに泣いた夜もある。痛いのも、苦しいのも、できれば先送りしたかったし、なくなってほしかった。

友達が水遊び中、木陰や車で読書

ただ、日焼け止めを徹底して塗っていても、失敗するときはあった。

6歳のときに訪れた旅行先で、水着を着て川遊びをした。日焼け止めクリームをしっかり塗り直していたにもかかわらず、帰宅後に皮膚科のお世話になるくらいの日焼けをしてしまったのだ。

広範囲を日焼けして、その部分がひりひりと痛く、もう二度とこんなことにはならないようにしたいと心から思った。

この失敗から、私は水着で海や川に入ることはなくなった。他の子どもたちが水着で遊んでいても、私はUVカット仕様の長袖長ズボン姿。日焼け止めクリームを塗って、木陰や車の中で読書というのがお決まりになった。

そんな具合だったから、海や川に入っても、足をつける程度だった。特に海での遊び方はほとんど知らない。

プールサイドに立ったことがない

成長してからも、日焼けを防ぐための努力を怠るまいと、常に気を張り続けた。

私は地元が雪国なので、よくスキーをした。リフトの上で、ウェアから露出する顔に、日焼け止めクリームを念入りに塗り込んだものだ。効果を持続させるため、何度も塗り直した記憶がある。

そして高校の体育の授業では、屋外での競技は体育館の中から見学した。プールの授業では、プールサイドに立ったことすらない。日差しが降り注ぐことに変わりはないからだ。

学校側としても、登校後の活動が原因で、皮膚科に行くべき事態になることは避けたかったのだろう。私自身も運動が苦手で嫌いだったから、体を動かす課程を免除されることに、異議を唱えることはしなかった。

大学に入学後、生物学を学び始めて以降も、屋外での実習を避けて時間割を組んでいた。そうすることに、ためらいも迷いもなかった。専攻したい分野は、屋内で活動するものだったので、進路が狭められたわけでもなかった。

日焼け止めクリームを塗る手間をかけてまで、やりたいことがなかったという事情もあり、プライベートも含めて、私は日焼けするような行動を避けて過ごしてきた。

「一度しかない人生なんだよ」

考え方が変わったのは、アルビノ当事者の集まる交流会に参加して、年上のメンバーたちと話をしたときだった。

その人たちは皆、楽しそうに趣味の話をしていた。中には、登山や鉄道の撮影など、屋外で行うようなものもあったのだ。日焼けというアルビノ当事者にとっての「天敵」と、常に対峙(たいじ)しなければならないではないか。

「でも、日焼け止めを塗っていても、肌が焼けますよね。日焼けは痛いしつらいじゃないですか。それでもやるんですか?」。私は大変驚き、思わず、そんなことを口にしていた。すると、意外な言葉が返ってきたのだ。

「焼けて、痛い思いをすることはあるよ。何度も失敗してる。でも、その活動は好きだし、自分の人生じゃん。一度しかない人生なんだよ」

私は、はっとした。確かに、自分で何かを決める裁量が狭い子どもに対し、強制的に健康に害のある行動をさせることは控えなければいけない。だから、親や学校の先生は、プールに入らなくても済むよう配慮してくれたのだろう。

でも、リスクをわかった上で選ぶプライベートは、私のものだ。日焼けして痛い思いをするかもしれないし、皮膚科に行くかもしれない。けれど、屋外でアクティブに活動する自由はある。

リスクと人生を充実させることを天秤(てんびん)にかけて、どちらを取るかは、他人ではなく、私が決めることだ。

健康のために、日焼けのリスクのある活動を避け続けなければならないと、私を縛っていた何かが、解けていった。私が、自分で、決めていいのだ。気づいてみれば、簡単なことだった。

自分でどう行動するか、私が選ぶ

私の趣味は、主に読書なので、外に出てアクティブに活動したいと思うことはない。外出の必要性がなければ、何ヶ月だって家で過ごせる。新型コロナウイルスの流行後、自宅で過ごす時間が増えたこともあり、改めて自覚した。

一方で、そうでないアルビノ当事者もいるだろう。キャンプや海水浴やバーベキュー、スキーを好む人がいても、何らおかしなことではない。日焼けをして痛い思いをして、皮膚科に通うとしても、やりたい活動があるなら、やっていいのだ。

アルビノに限らず、ケアされる側は24時間365日患者なのではない。ケアを受けるだけの人生ではないのだ。自分がどう行動するか、選ぶ権利がある。一度きりの人生だ。誰もが好きなように楽しめる方がいい。

その上で、私は、プライベートでも日焼けを避けて生きていくことに決めた。やはり痛い思いはしたくないし、皮膚科に通うのも、定期的に日焼け止めクリームを塗り直しながら活動するのも嫌だ。

でも、私はもう、「日焼けするリスクと人生を充実させることを天秤にかける」ことを知っている。リスクがあってもやりたい活動があれば、できる限りの日焼け対策をして、やってみる。それもまた、いいかもしれない。

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