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連載

#17 ネットのよこみち

「親ガチャで激論」に抱いた違和感「俺らのお遊びがこんな大ごとに」

守りたいネットの“どうでもいい”会話

カプセルトイ売り場=吉祥寺パルコ
カプセルトイ売り場=吉祥寺パルコ 出典: 朝日新聞

目次

今年9月頃、「親ガチャ」というワードがネット上を席巻した。するとその現象をテレビの地上波の情報番組がキャッチアップし、スタジオでやいのやいのと大議論。その模様がさらにあちこちのネットでニュースになるという事態になった。一方、ネット上で「親ガチャ」というフレーズを以前より見守ってきた筆者は<俺らの“お遊び”がこんな大ごとに……>というネット民の居心地の悪さを感じていた。このモヤモヤの正体は何なのか。「親ガチャ」の歴史を振り返りながら、ネットの話題が「ニュース」になる現状について考えたい。

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ネットの論考をきっかけにニュースへ

きっかけの一つとなったのは、現代ビジネスオンラインで配信された筑波大学教授の土井隆義さんの記事だった。経済格差時代において、「親ガチャ」という言葉を使う若者の心理とその社会背景を読み解いた、丁寧な分析であった。

【関連記事】「親ガチャ」という言葉が、現代の若者に刺さりまくった「本質的な理由」(土井 隆義) | 現代ビジネス | 講談社

いわく、人生は、生まれた環境や持って生まれた資質など、“自分で能動的に選べなかったもの”によってある程度決まっている。そして現代の若者は、努力したからといって必ずしも思い通りになるわけではなく、いろいろ仕方ない部分はあるというのも認識している。だから、身に余る理想を抱かず、そこそこの幸せを追求するという考え方のほうがしっくりくる場合がある……というあらすじだ。

9月7日にこの記事が公開されると、早々に「親ガチャ」がTwitterの“トレンド”にあがり、それに反応した人たちによって喧々諤々の議論が煮えたぎる。

まず、〈言葉は悪いかもしれないが、言いたいことはわかる。ある程度運はある〉と理解を示す人たちがいる一方で、〈親の責任にしている言い訳じみた感じが好きじゃない。情けない〉〈生んでくれた親に失礼〉〈いのちをゲームに例える発想が怖い〉などという嫌悪派も大きく声をあげた。

否定的な意見の方向性としては、概ね3パターンだ。

一つ目は、「親ガチャ」というワード自体が不快に感じる人。

二つ目は、自分の人生が“思い通り”にいかないことを「親」のせいにしているだけでは? と、ある種努力を諦めたような考え方を受け入れられない人。

三つ目は、深刻な問題だからこそ、「親ガチャ」といった “軽い”感じで表現するのはいかがなものか、また「親ガチャ」のポイントは経済格差だけではないというという指摘。

さらに、テレビの地上波がこの事象を取り上げ、識者やタレントが意見を述べると、話題の場所はSNSに戻ってきて、「誰それは『親ガチャ』についてこういう意見だった」という“カテゴリー分け”のような動きも生まれた。

スーパーの店内に並べられたおもちゃの自動販売機
スーパーの店内に並べられたおもちゃの自動販売機 出典: 朝日新聞

「当たり」もあるはずなのに

元来「何とかガチャ」という表現は、ネット民がしばしば使ってきたものだ。

映画館やライブ会場、職場での「配属ガチャ」「上司ガチャ」、住まいでの「隣人ガチャ」等々。例えば、映画館での「隣席ガチャ」にハズレた時は、隣の客がウルサイ、ポップコーンをこぼす、など自分にとって不都合があるケースだ。「配属ガチャ」にハズレたといえば、希望の部署に行けなかった、ブラックな仕事だった、などといった嘆きである。

ここで使っている「ガチャ」とは、文字通りあのおもちゃの「ガチャ」に由来する。お金を入れてひねったらカプセルに入ったおもちゃがランダムで出てくる、アレだ。このカプセルトイ方式、つまり“何が出てくるかわからない”という形式になぞらえ、ソーシャルゲームのアイテム課金システムの通称にもなっている。

ここで大事なのは、本来は「運」を楽しむゲームであり、「ガチャ」というからには「当たり」もあるという点だ。

テレビの地上波の番組や新聞など大手メディアが「ネットで話題になっている何とかガチャ」として紹介する時は、多くの場合、「ハズレ」た前提だった。

違和感の出発点には、まずそのアンバランスがあった。

生活保護の相談窓口=2020年5月14日午後5時56分、佐賀市役所、平塚学撮影
生活保護の相談窓口=2020年5月14日午後5時56分、佐賀市役所、平塚学撮影 出典: 朝日新聞

松本人志さん、みちょぱさんの慧眼

「ハズレ」た前提の取り上げ方は、〝負のスパイラル〟を生んでしまう。

9月9日放送の『バラいろダンディ』(TOKYO MX)。NEWSの小山慶一郎さんとアナウンサーの大島由香里さんら出演陣がいずれも批判的な見方を示すと、SNSには〈そう思える時点で『親ガチャ』に“当たって”(恵まれて)いるのでは?〉といったボヤキが漏れる。

さらに9月15日放送『モーニングショー』(テレビ朝日系)、翌16日の『スッキリ』(日本テレビ系)でも、ネット上で“トレンドの議論”として、ピックアップしたネット上の声を紹介するとともに、コメンテーターがそれぞれの見解を述べた。

いわゆるネットスラングだった言葉が、ネット空間を飛び出してバンバン地上波でガチ議論される事態。自虐的に使っていたネット民の投稿を“ROM”っていた(Read Only Member=自ら投稿はせず、他のユーザーの投稿を読むだけの人というネットスラング)一人としては、「この言葉をテーマにする情報番組は、誰に何を向けて言っているのだろうか……」と、不思議な気持ちで眺めていた。

そんな中、地上波において冷静だったのが松本人志さんと“みちょぱ”こと池田美優さんだ。

みちょぱさんは、前出『スッキリ』で、「だいたいは軽い意味」で使うワードだとした上で、「ちょっと愚痴を言う、みたいな感覚なだけの人も多い」とズバリコメント。松本さんも、9月19日放送の『ワイドナショー』(フジテレビ系)で「若い人たちがもっと軽やかな感じで遊んでいた言葉」だと首を傾げ、「大人たちがシリアスに取り上げて、面白くなくなっていく」といった主旨の私見を述べた。

また、地上波という場では異質だったのが鈴木紗理奈さん。同19日出演した『サンデー・ジャポン』で「全然気にならない」とあっさり言い、その理由として「『親ガチャ』ってギャグにすることで、すごいたくましさを感じる」と肯定的な意見を示していた。

「親ガチャ」を取り上げた主なTV番組
「親ガチャ」を取り上げた主なTV番組

「富豪型こい!」に見るネット民の諧謔

言葉の意味は時代によって変わるものだが、せっかくの機会だから、その歴史を振り返ってみたい。

まずTwitterでは、2010年頃、「親ガチャ」は親が(自室の)扉を突然ガチャっと開けて入ってきた際、気まずかったという状況を描写する際に使われていた。〈親ガチャ「なにしてんの」俺「うわああああ」〉のようなイメージだ。

その後2013年頃になるとゲーム上の「親」を引く「親ガチャ」という意味合いでの用法が見られ、これが実生活に例えられてゆくことになる。

2015年~2016年には、まだまだ混在しながらも、現在広く認知されている意味合いでの使われ方が少しずつ多くなっていく様子が残されている。〈親ガチャから人生始まるもんなー〉〈親ガチャでSSR(スーパースペシャルレア)引きたい〉といった具合である。

なお、Googleトレンドを見てみると、「親ガチャ」の関連キーワードに「なんJ」があることがわかる。

「なんJ」とは大手掲示板・旧2ちゃんねる(現5ちゃんねる)の板の一つ「なんでも実況J(ジュピター)」の略称だ(2004年発足)。この板では、Twitterで現在の「親ガチャ」用法がじわじわ増える時期と重なるように、2016年、〈ワイ「富豪型こい!富豪型こい!!」親ガチャマワシー〉というスレッドが見受けられる。

見逃せないのは、この時の話が「団地片親」だというスレッド主が、20年育ててくれたことに感謝するという内容だったことだ。自分の親は選べない。同時に、考えようによっては自分にとって〈当たり〉と〈ハズレ〉がある。自分が当たりと思えば当たりだし、ハズレだと思えばハズレである。そんな当たり前のことを、ネット民ならではの諧謔、ユーモアで表現していた。

同じようにTwitterでも、〈両親が親ガチャSSR〉だというユーザーが、〈(自分は)未曾有のN(ノーマル)ですまねえ〉と、親が優秀なことを引き合いに出し、申し訳ながる声があった。

純金製人生ゲーム=2019年11月20日、東京都中央区
純金製人生ゲーム=2019年11月20日、東京都中央区 出典: 朝日新聞

ネットスラングが地上波で紹介される構図

その後も、掲示板では、“親ガチャに失敗したワイの末路”というスレッドが不定期に、しかし長らく更新され続けている。

失敗といっても、親を糾弾したり、責任を押しつけたりしている訳ではない。基本、環境に依存するモヤモヤやナンダカナア……といったことを自虐的にネタ化しているのが実態だ。

そうやって溜飲をちょっぴり下げていたネット民たちが、「親ガチャ」が突然明るいところにさらされ、大ブレイクを果たした上に、その激しい論争のありようにポカン。〈俺らの“お遊び”がこんな大ごとに……〉とおおいに戸惑ったネットユーザーも多かったようだ。

まるでこっそりつけていた日記や1人だけで楽しむ趣味、友達同士にしか見せない顔を親に見られた時のような気恥ずかしさ。お願いだから見て見ぬ振りをしておいて、こっちこないで、という複雑な感情。それは、これまでにもネットスラングが地上波で紹介される度にネットユーザーが感じてきた、落ち着かない気持ちだったかもしれない。

「バズっている」こととネットニュース化は“鶏と卵”だ。バズっていることがネットニュース化されることもあるし、ネットニュースが「Twitterトレンド」にピックアップされるなどして、議論が活性化することもある。

そして、いつからかSNS上で何かが「バズ」ると、今度は地上波SNSパトロール部隊が捕獲するという構図ができあがっている。「SNS上で話題になっていること」に対して、この部隊が突撃。そうして情報番組に取り上げられるのだ。

Twitterには過去〈保育園落ちた日本死ね〉、という有名な投稿があったが、「親ガチャ」の場合、「親にハズレたからどうにかしろ。勝ち組上級国民マジ許せん」という話でもない。みちょぱさんや松本人志さんの指摘するように、最初は愚痴を自虐めいた言い換えにして、辛口な言葉ながらも、なんとなくやさぐれ合っていたものなのだ。そこには鈴木紗理奈さんが感じたような、たくましさもあっただろう。

ため息をつくくらい、許して

筆者の感じた居心地の悪さをこうして掘り下げていった時、たどりついたのがネット空間の持つ“なにがなんでも建設的でなくていい場所”という一つの価値だ。

これだけほうぼうで話題になり、反応した人が多かったというのは、社会の“何か”を象徴しているのは確かだろう。そこには、当初の馴れ合いに近い言葉の使い方を超え、実際に深刻な問題にひもづいたものもあるかもしれない。もちろん本当の〈叫び〉には耳を傾けられるべきだし、その背景に注意が払われるべきだ。

その上であえて言いたい。願わくば、 “何も生みださないコミュニケーション”の良さが守られないものだろうか、と。

概ね自分の状況も環境も、どうしようもないことが多いことも、努力する人だっていることも、わかっている。「ちょっと不公平」であることを「社会問題」とまでいいたいわけじゃない。そんな声高に叫んでいるわけでもないんだ。だから、ため息をつくくらい、許して。

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