連載
#15 #戦中戦後のドサクサ
東京から秋田に疎開、親戚からは理不尽な扱い…憤った娘がとった行動
食べるのに必死だった戦時中の思い出
主人公のアキコは、東京・足立に住む少女です。見る方向により本数が変わる、「お化け煙突」のそばで生まれ育ちました。その後、現在の東武線五反野駅周辺へと移り、父母と7人のきょうだいと一緒に暮らしています。
名家出身の母に代わり、長女のアキコは、家事や近所付き合い全般をよく担いました。食事の際は、秋田生まれの父が大好きな、当地産の一等米を用意。家族全員でほおばりながら、楽しい時間を過ごしました。
しかし10歳になった頃、生活が一変します。太平洋戦争が始まったのです。国民学校では、竹槍で敵兵と戦うための軍事教練が行われ、食糧事情もみるみる悪化していきました。
芋や豆腐は兵隊向けの供出対象となり、食べられるお米の量も減り、食卓は寂しいものに。そこで、授業で習った、食用可能な野草を摘んでくることにしました。
ゆでるとほうれん草と似た風味になるアカザ。ヨメナやセリ、芋のつるである「から」……。年子の弟・ハルちゃんと、試行錯誤しながら調理するうちに、段々と味の違いも分かるようになっていきました。
それだけではありません。「竹の塚の砂地の川で、タナゴやシジミが採れるって!」。ハルちゃんに教えてもらったアキコは、魚捕りが得意な兄から手ほどきを受けつつ、調達に行きました。
他にも、ご近所さんにドジョウを譲ってもらったり、田んぼでイナゴを捕まえたり。農作業を手伝う授業で、「当たり」の農家から、芋をご馳走してもらうこともありました。
こうして子どもたちが入手した食材は、いつしか、家族の食事を彩るようになります。
ただ、日本の旗色が悪くなると、暮らし向きは更に傾きました。
アキコとハルちゃんは、徒歩で千葉の松戸の農家を訪ね、食糧を分けてもらうよう掛け合います。でも子どもだからか、なかなか首を縦に振ってもらえません。お金に着物やせっけんを添えて渡すと、やっと大根などの野菜をくれました。
学校では、若い教師たちが前線に次々送られ、残っているのは高齢者や病弱な大人たちばかり。状況は厳しくなる一方です。そして昭和20(1945)年5月、父の親戚がいる秋田への疎開が決まりました。
学校に通う長男とハルちゃん、そして父を残し、アキコたちは列車に乗り込みます。秋田に着くと親戚の家を間借りし、新たな生活が始まりました。
もっとも、周囲の親戚たちは、必ずしも一家を歓迎していたわけではありません。「あんなに子どもをたくさん連れてきて」「せいぜい畑を手伝ってもらわないと」――。そう口にする人もいたのです。
理不尽な扱いを受けることもありました。親戚のため、農作業をこなした母に、何の謝礼も与えられなかったのです。野菜の一つでももらえると当て込んでいただけに、アキコは憤りを隠せません。
「ひどい! お母さんは野良仕事したことないのに」「世話になるからって、お父さんがたくさんお金を渡しているのに……!」。不機嫌な姉の後ろを、三男のカズがついて歩きます。そして路上を移動するうち、何かに気付きました。
「姉さん」。カズに手招きされ近付いてみると、親戚の畑に、立派なカボチャがなっていました。
「……ひとつくらいで、バチは当たらないよね!」。何と、二人はカボチャを取って行ってしまったのです。生きるため、家族の幸せのため、子どもながらに行動した結果でした。
一連のエピソードは、東京で暮らす女性(89)の実体験を基にしたものです。岸田さんは「戦争が進む過程で、生活がどんどん厳しくなっていく。臨場感あふれるお話でした」と振り返ります。
現代とは異なる価値観に基づき、人々が生きていた点も、記憶に残っているそうです。
女の子は、家事に取り組むものだ――。そんな考え方が一般的だったこともあり、家族を積極的に気遣い、サポートするアキコ。令和を生きる私たちからすれば、違和感を覚えるところかもしれません。
だからこそ、当時の状況を単に否定するのではなく、歴史の1ページとして知って欲しい。岸田さんは、そのように考えていると話しました。
ところで、親戚の畑から持ち去ったカボチャは、その後どうなったのでしょう。女性に尋ねてみると、「食べた記憶がない」との答えが返ってきました。「盗んで悪いことをした、と思った母親が、他の人にあげてしまったのかもしれない」
かくいう女性自身、自前の農作物をとられた経験があります。足立の空き地でジャガイモを育てていたところ、ある日、誰かに奪われてしまったのです。
「今だったら信じられないでしょう? でも、お金があっても何も買えないし、食べないと生きていけない。だから、近所中で『お互い様』と盗み合っていた。それを悪いことだなんて言う人はいなかった」
「カボチャの件も、『悪かったか』と聞かれたなら、『悪くなかった』と言っちゃうわね。いま同じことをやれるかと言われたら、嫌だけどね」
平和な現代に生きる者の感覚に照らせば、「泥棒」と非難したくなるのが自然かもしれません。しかし、誰もが食うや食わずの時代のことです。一人ひとりの命を賭けた行動だった事実は、忘れてはならないと思います。
大家族を養う上で、食糧確保がいかに大事だったかについて描いた、今回の作品。記事を通して、市民の暮らしぶりの一端が伝わるよう願います。
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