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「M-1」で味わった夢のような2分間の舞台 1回戦敗退がくれた財産
置き去りにした青春 誓った〝いつか必ず〟
年末の決勝に向かって予選が進んでいる、漫才の頂上決戦「M-1グランプリ2021」。記者の私(38)は今年、同僚(32)とコンビを組んで出場しました。その名も「新聞社から来たサンライズ」。自身〝6度目〟の挑戦となったM-1の舞台。人を笑わせることの難しさと、考える中で生まれる成長。何より、そこには、置き去りにした〝青春〟がありました――。(朝日新聞記者・仲程雄平)
「号外でーす!」「号外でーす!」
9月23日、M-1の1回戦の会場となった、心斎橋PARCO(大阪市中央区)のイベントスペース「SPACE14」。
私と、同僚で相方の後藤隆之記者が、勢いよく舞台に飛び出しました。
演者を迎え入れる、観客の温かい拍手が私たちを包み込みました――。
M-1はプロ・アマ問わず、結成15年以内(当時は10年以内)の2人以上の漫才師であれば、エントリーフィー(1組2千円)を払えば、誰でも出場できます。
ここ数年は5千組以上がエントリー。
1回戦のネタ時間は2分。
「とにかくおもしろい漫才」が審査基準になっています。
私と相方の後藤記者は6月24日、「新聞社から来たサンライズ」を結成。
体験を記事化する前提で、M-1に挑戦することになりました。
後藤記者にとっては、初めてのM-1の舞台。
私にとっては、10代~20代の頃以来の〝6度目〟の舞台。
どうして私がM-1にそこまでの思い入れがあるのか、ということや、本番までの道のりについては、配信済みの記事をお読み下さい。
迎えた9月23日。
コンビ結成からたった3カ月。
急ごしらえではありましたが、やるべきことはやったと自負していましたので、自信をもってこの日を迎えました。
午前11時開演で、出番は12番目。
朝に会社でネタ合わせをしてから、1回戦会場の「SPACE14」に向かいました。
緊張はありませんでした。
むしろ、いよいよ自分たちの漫才を披露できる、という高揚感が勝っていました
会場では、出場者に対してもコロナ対策が徹底されていました。
「密」が生まれないように、出場者は時間を区切って4組ごとに集められ、検温などを経て控室に入りました。
控室でもマスクは着けたまま、コンビどうし間隔を空けて並びました。
刻々と迫る出番。
相方の後藤記者の表情を見てギョッとしました。
血の気が引いていました。
会場の雰囲気にのまれてしまっていました。
「おいおい、大丈夫かいな」
そう言う私に、後藤記者は「心臓がバクバクしてます」。
このままではマズイ。
絶対にネタが飛ぶ、と危機感を抱きました。
出番までは20分ほどしかありません。
それまでに何としてでも、後藤記者を奮い立たせないといけません。
舞台袖に行くまで、何度も何度も小声でネタを合わせ、後藤記者をネタに集中させようとしました。
しきりに握手をし、肩をたたき、緊張をほぐそうとしました。
そのかいあって、舞台袖にたどり着いた頃には、後藤記者は落ち着いていました。
そして、前のコンビが舞台袖に退きました。
「号外でーす!」「号外でーす!」
声を張り上げて、私と昭和の新聞記者の格好をした後藤記者が、舞台に飛び出しました。
半分近くが埋まった客席。
そこには同僚の姿もありました。
ただ、私はネタが飛ぶことをおそれて、観客の顔を見ないようにしようと決めていましたから、舞台からは確認していません。
一方の後藤記者は、控室のときとは打って変わって、舞台上では落ち着いていました。
客席に同僚がいるのは、舞台上から確認できたそうです。
演者を迎え入れる、観客の拍手が、とにかく温かかったです。
私たちは、新聞記者が首相官邸に行って総理大臣を取材するネタ、を披露しました。
はっきり言って、ネタの入りから、笑いはとれませんでした。
ただ、そういう事態は織り込み済みです。
お互いにネタを飛ばすことなく、練習どおり、大きな声でやりきりました。
無意識のうちに言葉をつないだように思います。
2分は文字どおり、あっという間に過ぎました。
夢のような2分でした。
私は生き生きと演技する後藤記者を見ていました。
しっかり客席にも視線を向けていました。
頼もしかったですし、何より、楽しかったです。
舞台に立っている2分間は、ほんとうに心地がよかった。
「おまえがニュースになるわ!」
私が締めのツッコミをし、2人は拍手を耳に舞台袖に退きました。
まず、やりきった、と思いました。
笑いはとれませんでしたが、達成感はありました。
休憩時間には、MCの芸人が自分たちのことを話題にしてくれたようで、インパクトは残すことができた、と思いました。
結果はその日の夕方、これもコロナ対策で、インスタグラムの生配信で発表されました。
会社の片隅で、2人で見守りました。
この日出場したのは122組。
1回戦を通過したのは25組で、うち16組がアマチュア。
「新聞社から来たサンライズ」は呼ばれませんでした。
予想はしていましたが、ショックは大きかったです。
後藤記者は「大学受験に失敗したときのようなダメージ」と表現しました。
時間をかけて創作してきたものが否定される、ということはそういうことなんです。
発表後、その日は2人とも、魂の抜け殻のようになっていました。
またしてもかなわなかった1回戦突破。
ネタがマニアック過ぎて伝わらなかったのではないか、声が聞き取れなかったのではないか――などと2人で敗因を分析しています。
新聞記者の仕事をわかりやすく伝える、という今回の試みは、記事を書く普段の仕事にも通じることだと思います。
難しい事柄をわかりやすく記事にして伝えることは、新聞記者にとって大事な能力だからです。
人を笑わせるために求められるスキル。
それは普段の仕事や生活にもつながっています。
1回戦敗退という出来事は、そんなことを教えてくれました。
M-1の舞台には青春があるように思います。
舞台上の私たちを撮った写真を見て、改めてそう思いました。
2人とも生き生きとした表情をしていて、漫才を楽しんでいるように見えます。
我ながら、ほほえんでしまいました。
ただ、今回の結果を踏まえると、私にはお笑いのセンスはない、と認めざるを得えません。
だから、笑いをとる、などというぜいたくは、もう言いません。
でも、いつか必ず1回戦は突破してやる。
そう心に誓いました。
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