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会社に休み希望出し「M-1」に挑戦 演者側から見た現代漫才の奥深さ
「20年前の文化祭」が忘れられなくて…
漫才の頂上決戦「M-1グランプリ」。記者である私(38)は今年、同僚とコンビを組んで出場することになりました。冷やかしではありません。漫才には20年越しの特別な思い入れがあるんです。同僚と組んで臨む大舞台。稽古を重ねる中で、動画の発達など、近年の漫才を覆う時代の変化に触れることもできました。本番までの道のりをつづります。(朝日新聞記者・仲程雄平)
実は私、10代~20代のときに、M-1に5回挑戦しました。
私にとってM-1は、笑いがまったくとれなかった舞台――青春時代の心残りです。
心の奥底でずっと〝また挑戦したい〟と思い続け、気づけばアラフォーになっていました。
20年前――。
「漫才大受け、ラップも最高」
2001年9月7日付の京都府南部で発行しているローカル新聞「洛南タイムス」(現・洛タイ新報)。
その言葉は、高校の文化祭の様子を報じた記事の見出しです。
この文化祭で、私は同級生の相方と漫才をしました。関西人だから〝お笑い〟がそばにありました。
記事にはこうあります。
「仲程雄平君(3年)と上田修平君(3年)=当時の相方=による漫才では、中庭に詰め掛けた大勢の生徒たちから拍手喝さいを浴びた」
自分たちのつくったネタで笑いをとった――このときの快感が、20年経ったいまでも、私の気持ちを離さないでいます。
くしくも、この年、M-1が始まりました。
文化祭で自信をつけた私と相方は翌年、新しいネタをつくって、さっそく出場しました。
M-1は、プロ、アマチュア問わず、結成15年以内の2人以上の漫才師であれば、エントリーフィー(1組2千円)を払えば、誰でも出場できます。
審査基準は〝とにかくおもしろい漫才〟。いたってシンプルな賞レースです。
1回戦の舞台は、劇場「ルミネtheよしもと」(東京都新宿区)。
「客引き」をテーマにしたコント漫才をしましたが、会場は静まりかえっていました。
文化祭とはうってかわって、しーんとするなか、漫才を続けるのがつらかった――顔も知らない人を笑わせるのはこんなに難しいことなんや、と痛感しました。
感触どおり、1回戦敗退。
翌年も挑戦しましたが、また1回戦敗退。
そのときの相方とは、それが最後の出場となりました。
が、私は諦められませんでした。
翌年、新しい相方(2人目)を見つけて、また挑みました。
この相方(2人目)とは、舞台の上でもひるまない度胸をつけるため、新宿で路上漫才をしました。仕事のかたわらでしたが、かなり力を入れていたと思います。
が、1回戦敗退。
同じ相方(2人目)と翌年も挑みました。
また1回戦敗退。
その後、別の相方(3人目)と組んで、また挑みました。
やはり1回戦敗退。
それからというもの、M-1に一緒に出てくれる相方に出会うことはありませんでした。
一方で、職場の忘年会で同僚と漫才を披露して、肩をあたためてきました。
文化祭のときにウケた快感が忘れられなかったからです。
そして、あの文化祭から20年経って、機はめぐってきました。
職場でM-1をテーマにした企画案が募られたのです。
ここや、と思いました。
「記者がM-1に挑戦する」企画を提案しました。
相方(4人目)は、職場の忘年会で漫才を一緒にやってくれた、同僚の後藤隆之記者(32)。二つ返事で引き受けてくれました。
コンビ結成は、この企画案を会議で示した2021年6月24日。
コンビ名は「新聞社から来たサンライズ」にしました。
ほかの漫才師と差別化をはかるために、コンビ名もネタも新聞社らしくしよう、と考えたのです。
1回戦までは3カ月しかなく、余裕はありません。
しかも、後藤記者は忘年会で私と一緒に漫才をした程度の経験しかありません。
そういった事情を考慮し、ボケしかしたことがなかった私がツッコミ、後藤記者がボケを担当することにしました。
1回戦のネタ時間は2分です。
過去5回出場したときと違うのは、手軽にネットで調べることができる社会になったことです。
ユーチューブでプロの芸人らの講義動画を見たり、元芸人の同僚らにアドバイスをもらったりして、突貫ではありましたが、土台づくりから始めました。
仕事が終わったあとや休みの日にネタを考え、会社近くの橋の上や会社の会議室で、新型コロナウイルス対策を徹底しながら、練習を重ねました。
ネタは、ボケを多く、尻上がりにテンポが速くなるように、意識してつくりました。
どんなネタがウケるかわかりませんから、4本のネタをつくって練習して、撮影した動画を身内に見てもらいました。
その中で「これいけるんちゃう」と言われたネタで勝負することにしました。
観客にアマチュアと見られては、とれる笑いもとれません。
練習では、①声は大きくゆっくり話す、②変な間が空かないようにフォローしあう、③体を変に揺らさない、④素人くさくない演技をする、といったことを意識し、撮影した動画を確認しながら漫才を組み立てていきました。
20年前の私は、携帯電話もパソコンも持っていませんでしたから、テレビで見た漫才を頼りに、ルーズリーフにネタを書き込み、相方とファミリーレストランで打ち合わせしました。
公園で練習して、録音はカセットレコーダーを使っていましたから、隔世の感があります。
いきなり本番の舞台に立つのはさすがにリスキーですから、会場の下見にも行きました。
8月30日、心斎橋PARCO(大阪市中央区)のイベントスペース「SPACE14」。
260人ほどを収容できる、立派な会場。しっかり声を出さないと観客に伝わらない、とまず思いました。
休憩時間に換気するなど、新型コロナウイルス対策は徹底していました。
次から次へと舞台に出てくる漫才師。
この日の観客席は空席もありました。若い人が目立ち、男女比は半々。あたたかく、ネタの進行を見守ってくれる印象を受け、ほっとしました。
また、アマチュアもしっかり練習して自信をもって臨んでいる、と感じました。
が、負けていない、と思いました。
一方の相方である後藤記者は、会場の雰囲気にのまれてしまっていました。
これは、まずい。
「いつも通りにやれば大丈夫や。俺たちのネタを信じて、自信をもってやろう」
そうやって、励ましました。
そして9月3日。会社の一室で、初めて職場の同僚に披露しました。
思ったよりも好感触だったので、私は胸をなで下ろしました。
私と後藤記者の挑戦の派生企画として9月4日、2006年のM-1でアマチュアながら決勝に進出した女性コンビ「変ホ長調」さんに、オンラインでインタビュー取材をしました。
2020年がM-1に出場できる〝ラストイヤー〟だった「変ホ長調」さん。
今年からM-1には出られなくなりましたが、女芸人ナンバーワンを決める大会「THE W」に出場しています。
「変ホ長調」さんの2人は、互いに会社勤めをしながら、〝表現者〟として漫才を続けています。
その姿勢に私は共感し、2人の言葉にうなずくばかりでした。
話の流れから、ネタも見てもらいました。
「面白かった」と言ってもらえたものの、「創作ばかりより、もっと事実に即した小ネタを挟んだほうがいい」というアドバイスを受けました。
笑いが時代によって変化していることも教えてもらいました。
ネタづくりでは、コンプライアンス(法令や社会規範の順守)に配慮しているといいます。
小田ひとみさんは「だいぶブレーキをかけてきている。きわどいことを言っても、お客さんもひやっとしておもしろないんかなあ、と(思っている)。過激なことを言って、笑う時代は終わったのかなあ、と(思っている)」。
コロナ禍によっても変化しているといい、彼方さとみさんも「去年とは違うもんねー。これちょっとあかんわ、ドキッとするとか」と話していました。
また、時代に取り残されないように、漫才をアップデートしている、ということも教えてくれました。
演者側から見た視点にうなずくしかありませんでしたし、これから舞台に立つ私たちにとっても貴重な話を聞くことができました。
「変ホ長調」さんの取材後、またネタを練り直しました。
そして、練習を重ねています。
M-1は、出場したい候補日をいくつか挙げて、申し込むようになっています。
出場日が大会ホームページで発表されるのは、出場日の約1週間前です。
直前の出場日決定に、泣く泣く出場を見送るアマチュアもいることでしょう。
今回、出場したい候補日は、いずれも「休み希望」として、職場に提出しました。
なので、1回戦には必ず出場できます。
そして、「新聞社から来たサンライズ」の出番は、9月23日に決まりました。
1回戦は8月から始まりましたが、日が経つにつれて出場者が増えています。
それにともなって、アマチュアの1回戦通過が極端に減っている印象を受けます。
過去5回の出場と同様、厳しい戦いが予想されます。
「号外でーす、号外でーす」から始まる、「新聞社から来たサンライズ」の漫才。
20年前の文化祭以来の笑いをとりにいきます。
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