話題
スバル製赤帽サンバーたちの幸せな余生 八丈島の収集家、夢は博物館
決死の旅で集められた「農道のポルシェ」たち
白地に赤のストライプが目印の、軽運送業用途に特化した軽トラック「赤帽サンバー」。富士重工(現・スバル)が自社生産していた往年の希少な個体たちが今、続々と八丈島に結集しつつある。収集に全国を走り回る個人オーナーに、赤帽サンバーにこだわる理由と壮大な計画を聞いた。(北林慎也)
サンバーは、スバルが販売する軽貨物車。いわゆる「軽トラ」のトラック仕様と、屋根のある箱形のバン仕様がある。
かつては自社で開発・生産していたが、経営合理化の一環で2012年に撤退。その後は、同じトヨタ自動車傘下のダイハツ工業が生産する「ハイゼット」のOEM車となっている。
スバル製サンバーの特徴は、コスト度外視の4気筒エンジンや四輪独立懸架サスペンションといった、他メーカーの軽トラと比べて突出した作り込みだ。
特に、エンジンを車体後端の荷台下に据えて後輪を駆動するリアエンジン・リアドライブのRRレイアウトは奇しくも、ポルシェ博士の思想を色濃く継いだ名車「911」と同じだった。
のんびりした日本の田園風景を駆けるにはやや過剰な、いかにもスバルらしい孤高の設計理念。愛好家や自動車評論家は、敬意と諧謔を込めて「農道のポルシェ」の異名で呼ぶ。
そんなスバル製サンバーのポテンシャルに目を付けたのが、軽運送業の個人業者でつくる全国赤帽軽自動車運送協同組合連合会(赤帽)だった。
短距離と長距離とを問わない過酷な運送業務で軽トラを酷使するため、それに見合った高性能版の開発をスバルにリクエストした。
それに応えてメーカーが1980年代に用意したのが、赤帽専用の特別仕様サンバーだった。
耐久性を向上させた高出力エンジンや高性能ブレーキなど専用装備を奢った、プロユースに特化した純正チューンド車。型式指定取得のカタログモデルとして、組合員向けに販売していた。
スバルが自社生産を終えた2012年以降はダイハツが、OEM車に専用部品を組み込んだ組合員向けモデルを供給。以前と同じ「赤帽サンバー」としてスバルが販売している。
絶版となって久しい、スバル製の赤帽サンバー。その魅力に惹かれ、現役を退いた車両の収集を続けている愛好家がいる。
伊豆諸島の八丈島(東京都八丈町)在住の男性「KANOKEN」さん(33)。不動産賃貸業を営む傍ら、赤帽サンバーを探して全国を回っては、貨物船で島内に運び込んでいる。
「初めて買った軽トラが、1996年式の赤帽サンバーでした。
ペンキで青色に塗られたボロい車両で、エンジンも不調でしたが、しっかり整備してアクセルを全開で踏むと、あまりの加速に驚いてしまい、その魅力に取り憑かれました」
その後、賃貸経営の仕事を始めたことで、雨に濡らさず建材や家具を運べる幌付きの軽トラも必要になった。
「それならば、荷台のバリエーションを増やすついでに、歴代のスバル製赤帽サンバーを揃えていったら面白いのでは」と、2019年ごろから本格的なコレクションが始まった。
これまで集めたスバル製の赤帽サンバーは合わせて12台。うち2台は友人に譲るなどして、10台が手元にある。
KANOKENさんは学生時代に自動車整備士の資格を取得していて、修復や整備も自分でこなす。
赤帽仕様ではない標準車のサンバーも10台、部品取りや足グルマとして所有する。
「速くて当たり前のスポーツカーよりも、遅そうなクルマが実は速いという、そのギャップに惹かれてしまうのです。
いかにも商用車、という赤帽カラーのサンバーに、お金の掛かったエンジンが載っていて、高出力なのに50万~60万キロも走れてしまう耐久性も兼ね備えているのが魅力です。
シリンダーヘッドカバーが赤く塗られ『赤帽専用』と書かれたアルミプレートまで装着するという、スバルらしいこだわりにも強く惹かれます」
収集活動を報告するTwitterのプロフィール欄で、KANOKENさんは「夢は赤帽サンバー歴代モデルの全車種コレクション」と宣言している。
ただ、手持ちの予算は限られるため、高値安定の極上中古車を買い漁るというわけにもいかない。
やむなく、打ち捨てられた二束三文の個体を探すことになる。
しかし、現役を退いてひっそり眠る赤帽サンバーたちの捜索は簡単ではない。
中古車情報サイトやヤフオク、メルカリをくまなくチェックするほか、Googleストリートビューで草むらに放置された廃車を探したり、Twitterのフォロワーから情報をもらったりすることもあるという。
「標準車より圧倒的に数が少ないですから、理想の個体に出会うこと自体が難しいです。
年式による顔の違いはもちろん、駆動方式、ミッション形式、荷台の形状、スーパーチャージャーの有無など、仕様は細かく異なります。
たまたま市場に出てきた個体の仕様が、運良く自分の希望と合致しなければ、ご縁には至りません」
めでたくお目当ての仕様が見つかり売買交渉がまとまっても、八丈島まで連れてくるのがまた一苦労だ。
費用を抑えるため、現地から自走で、本土と島を結ぶ貨物船の営業所まで運ぶ。
不動車だったのを、最低限の現地整備でなんとか走れる状態にしてハンドルを握ることもある。
「そういう車両は久しぶりに目を覚まして、いきなり高速で長距離を走らされるわけですから、たいてい途中で不調を訴えてきます。
バイパスや高速道路で不調が出始めた時は、全身に脂汗をかいて心臓がドキドキしながら、逃げ込む場所を探したり応急処置したりと、気が気でない状態です」
多大なコストとリスクを背負いながら何百キロも自走するのは割に合わないのでは? と知り合いから指摘されることもある。
だが、離島暮らしのKANOKENさんにとっては、それもまた楽しみなのだという。
「遠方の赤帽サンバーに会いに行くこと自体が、私にとっては一つの旅行で、どんな電車に乗ろうか? 現地でおいしいもの食べられるかな? 帰りの道中で、何年も会ってない友だちに会いに行こうか……と、素敵な出来事がたくさんあります。
だからサンバーの引き取り先が遠いほど、実はワクワクします」
現在、ナンバーを取得して公道を走らせられる赤帽サンバーは5台。一番のお気に入りは「赤帽1号」こと、初めて手に入れた1996年式だという。
「丸目ライトのレトロな顔付きが大好きで、『あかぼう』と平仮名で書かれた行灯も、かわいくて気に入っています」
実際に運転して感じる美点はやはり、運送仕事オリエンテッドな設計ゆえのタフネスぶりだ。
「荷物満載で片道1000kmの配送も平気でこなしていた車両ですから、私がちょっと遠出したくらいではビクともしない頼もしさがあり、標準車にはない魅力だと思います」
さらに、他のスバル車にも通じる、運転自体の楽しさもあるという。
「RRレイアウトや四輪独立懸架サスによって、軽トラとは思えないスポーティーな走りができるのが魅力です。
エンジンは滑らかに回り、高回転までスムーズに吹け上がるので、とにかく走らせて気持ちが良いです」
KANOKENさんがとことん惚れ込む、スバル製赤帽サンバー。しかし、このクルマが新たに増えることはない。
2012年生産の最終モデルも、すでに9年落ちの中古車だ。
「排ガス規制や衝突安全基準など厳しくなる一方の制約の中で、メーカーには数え切れない苦労があると思います。
サンバーの製造が時代に合わなくなったのであれば、生産を終えてしまうのは仕方ないことです。
また同じようなサンバーを復活させろ! とは思っていません。
我々ユーザーには、当時の中古車を所有するという選択肢があります。
私がやるべきことは、1台でも多く後世に残すことだと思っています」
そのためにも、ストック車両の野ざらしを避けるべく屋内保管できるガレージを用意するのが、喫緊の課題だ。
その先には、さらに大きな夢がある。
「赤帽サンバー始め歴代サンバーを保存する『サンバー博物館』と称した個人博物館を、いつかつくってみたいです。
さらに、車両を見るだけでなく、走らせる歓びも後世の人たちに伝えられるように、収蔵車両を購入して個人所有もできる、博物館と整備工場が一体化したような施設ができたら、『我が夢叶ったり』と胸を張って言える気がします」
1/30枚