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クジラ伝統漁の密着映画、「反捕鯨」批判の心配…予想外の展開に

したたかな村人たちが伝える残酷さの定義

映画「くじらびと」から=石川梵さん提供
映画「くじらびと」から=石川梵さん提供

目次

インドネシアで400年前から続く捕鯨のようすを記録したドキュメンタリー映画「くじらびと」が9月に公開されました。伝統的な漁を営む人びとの姿が、ドローンや水中カメラも駆使した迫力ある映像で紹介されています。ただし、映画をみて気になったこともあります。捕鯨を巡っては、反捕鯨団体が時に過激な抗議活動を繰り広げています。映画によって、国際社会との新たな摩擦を引き起こす心配はなかったのでしょうか。石川梵監督(61)に聞きました。

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※以下、映画の内容を含みます。まだご覧になっていない方はご注意ください。劇場情報など詳細は公式ページ(https://lastwhaler.com/)から。
 

 

石川梵(いしかわ・ぼん)
1960年生まれ。大分県出身。AFP通信のフォトグラファーを経て90年からフリーの写真家に。「祈り」をテーマに世界各地で撮影。写真集「海人」(97年、新潮社)で写真協会新人賞、講談社出版文化賞、「The Days After東日本大震災の記録」で写真協会作家賞。ネパール地震で被災した村を撮影した「世界でいちばん美しい村」(2017年)で映画初監督。
 

国際社会の影響は?

まず、日本の捕鯨をめぐる近年の動きを少しだけ振り返ります。

日本は2019年6月に国際捕鯨委員会(IWC)を脱退し、それまで南極海などで続けてきた「調査」捕鯨を中止。日本近海に限定して「商業」捕鯨を再開しました。

日本が以前から求めてきた商業捕鯨の再開をIWCが認める気配はなく、かわりに続けてきた南極海での調査捕鯨も国際司法裁判所が2014年に中止を命じるなど、IWCに加盟したまま捕鯨を続けるのが難しくなってきたことが背景にありました。

一方、映画の舞台になったラマレラ村があるインドネシアですが、こちらはもともとIWCに加盟していません。

IWCにも「先住民生存捕鯨」として伝統的な捕鯨を認める仕組みがあり、加盟国のアメリカやロシアなどがこの枠組みで捕鯨を続けています。ただこの場合も捕獲できる頭数などに制限がありますが、非加盟国のインドネシアはIWCの制限を受けずにクジラを捕獲することができます。

それでは、ラマレラ村はこれまで国際社会の影響を受けずに捕鯨を続けてこられたのでしょうか。石川さんに聞くと、必ずしもそうではなかったようです。

石川梵さん
石川梵さん

「反対・推進」両方からの干渉

ひとつは捕鯨を辞めさせようとする活動家との関わりです。

石川さんによると、2010年前後、海外の動物保護団体がラマレラを訪れたそうです。

「(動物保護団体は魚を狙う)網漁を促進しよう、と言って、村に漁網を提供しました。ところが網漁は深夜に行くので朝帰ってくると疲れて日中のクジラ漁に行けません。人手不足で、漁期なのにクジラ漁をやっているんだかやっていないんだか、当時はよくわからないような状態でした」

無理やり辞めさせるのではない、なんとも老獪(ろうかい)な戦術です。

しかしそこはラマレラの人びともしたたかに対処します。クジラ漁の漁期である5~8月は網漁を禁止にすることで、クジラ漁に影響が出ないようにしたそうです。

「常に会合をもって物事を決めていくシステムがあるので対応できました。個々の利益ではなく全体の決まりに従うのです」と石川さん。その後も反捕鯨団体の関係者を立ち入り禁止にするなどの対応を取っているといいます。

一方で捕鯨を産業として発達させようとする立場との関わりもありました。

石川さんによると1970年代に国連機関が近代的な捕鯨船をラマレラ村に導入しようとしたことがあったそうです。大砲で銛(もり)を打ち込む近代捕鯨は、全て人力だったラマレラの捕鯨に比べて効率が良く、導入直後は1年で50頭ほど捕れたといいます。

ただ、「年間10頭捕れれば村人全員が暮らしていける」とも言われているラマレラで、50頭も捕る必要がありません。さらに壊れた船の設備の修理などにいままで必要なかった出費もかさみ、結局、近代捕鯨はラマレラに根付かなかったということです。

「くじらびと」のパンフレット。映画本編で説明を最小限にした分、パンフレットは取材の経緯や漁の仕方などの記載が充実しています
「くじらびと」のパンフレット。映画本編で説明を最小限にした分、パンフレットは取材の経緯や漁の仕方などの記載が充実しています

蓋を開けたら「好意的な反響」

いずれの例からも、ラマレラの人びとが国際社会としたたかにつきあいながら伝統漁を維持している様子が伝わってきました。とはいえ、映画として広く世の中に紹介することで新たな批判を招いてしまう恐れはなかったのでしょうか。

「その懸念も確かにありました」と石川さんは認めます。それでも映画として「きっちり伝えることのほうが大事」だと考えたといいます。

「ユーチューブが広まって旅行者も彼ら自身も発信している。”ラマレラ”と検索するといっぱい(クジラ漁の動画が)出てきて、それが『残酷だ』と批判の的になっています。血なまぐさいものしか映っていない、表面だけだとそういうふうに見えるんですね」

これまでのところ映画に対しては好意的な反響ばかりだといいます。

「捕鯨問題を扱った映画ではなく人間と自然の関わり方をテーマにしているのですが、それでも拍子抜けするくらいです。クジラを捕らないと食べていけず、人の側にも犠牲者が出ている。お金には変えられないものがある。そういうことをしっかり提示すればわかってもらえるのだと思います」

漁で家族を亡くし悲しむラマレラの船大工ら=石川梵さん提供
漁で家族を亡くし悲しむラマレラの船大工ら=石川梵さん提供

「残酷さ」の定義は?

今回の取材を通して、石川さんが「一部分だけ取り外して見ることはできない」と言っていたのが印象的でした。「生き物が生き物を捕るシーンって、みんな残酷。しかしそれが現実です。命を奪いながら命を保つ、食物連鎖のなかで生き物は繁栄してきました」。そのなかの一つの場面だけ取り出して「残酷」だと批判するのは違うのではないか、ということだと私は理解しました。

もっとも、批判にも理はあります。

例えば、最初に銛を打ち込んでから仕留めるまで長い時間のかかるラマレラの捕獲の仕方は、動物を殺す場合は「即死」させることでなるべく苦痛を少なくしようとする現代の動物福祉(アニマル・ウェルフェア)の考えに逆行します。その点に関して言えば「残酷」という批判は的を射たものになるでしょう。

しかし、石川さんの言うように、他者を食べなくては命をつないでいけない生き物の現実や、漁の背後にある人びとの営みにまで目を向けたときに、果たして同じ言葉を安易に投げかけられるでしょうか。

あるいは、最後は即死させられるとしても、人間が利用しやすいよう品種改良されたうえで一生を人間の管理下で飼育される家畜と比べて、どちらがより「残酷」なのかという議論もありうるように思います。

いずれにしても簡単に答えが出る問題ではありません。だからこそ、長い時間をかけた取材に基づくこの映画は、「命を奪いながら命を保っている」ことが見えにくくなっている私たちに多くの気づきを与えてくれるのだろうと感じました。

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