お金と仕事
引退したアスリートが集う「ルイーダの酒場」に 社長が知った現実
再チャレンジの会社を起業「現役時代よりも稼げる人間を育てたい」
お金と仕事
再チャレンジの会社を起業「現役時代よりも稼げる人間を育てたい」
京大アメフト部出身、TBS入社、プルデンシャル生命でのトップセールス――。華々しい肩書きを持つ金沢景敏さん(42)は2020年、アスリートがキャリアップを図る際、そのパートナーとなる事業を始めました。しかし、そこで味わったのは引退した選手のキャリア形成における厳しい現実でした。何がいけなかったのか。自問自答し、立て直しを図った金沢さんが目指す、「アスリートが社会で再度輝ける場」を生み出す新しいビジョンについて聞きました。(ライター・小野ヒデコ)
金沢景敏(かなざわ・あきとし)
大学時代、アメフト部に所属していました。日本一を目指しプレーするも、その目標は叶わず。スポーツが好きだったこともあり、今度はスポーツ関連の番組作りを通して高みを目指したいと思い、テレビ局に入社しました。
私は大学を入り直したこともあり、25歳で社会人になりました。最初は年下の先輩から、タバコの買い出しなど、“パシり”として扱われることも。人生で初めての経験でもあり、戸惑いはあったものの「この組織ではこの人が先輩だ」と自分に言い聞かせ、ネガティブな気持ちを「絶対見返してやろう」という闘争心に変換。黙々と仕事をこなしました。
数年後、仕事で結果を出していくにつれ、明らかに周りの態度が変わっていったことを覚えています。自分自身に「勝った」と感じた瞬間でした。
その後、ドキュメンタリー番組の「プロ野球戦力外通告」や「バース・デイ」などを制作する中で、プロアマ問わず、様々なアスリートたちと出会い、スポーツ界で生き残る厳しさを肌で感じました。
やりがいがある仕事ができていた一方、33歳でテレビ局を退職することを決意しました。その理由は主に二つあります。一つは、肩書きが通用しない環境で勝負しようと思ったこと。もう一つは、実家が自己破産し、経済面で苦労した経験から、1人でも多くの人にお金の大切さを知ってほしいと思ったことです。
そこで選んだのが、外資生命保険の営業でした。
転職後、現役もしくは引退したアスリートの方とは、クライアントとして関わるようになりました。その際、よく聞くワードは「野球しかできない」「サッカーしかしてこなかった」でした。「◯◯しかできない」と言いますが、それは、たまたまその競技が上手過ぎたことの裏返しです。
学生時代、将来はスポーツ選手になりたいと思う人は少なくありません。でもその多くが、徐々に現実を思い知り、どこかのタイミングで「あきらめて」今の仕事に就いているのです。私もそのうちの1人に過ぎません。
プロになるための狭き門をくぐり抜けてきた選手たちは、定めた目標に最速でたどり着くエンジンを搭載しています。
競技以外のフィールドでも経験やスキルを発揮してほしい。
尊敬するアスリートたちが、引退後もそのポテンシャルを生かせる環境を作りたいと思いました。そこで「アスリート(athlete)が人生を通して活躍するために再生する(reborn)場所」そんな想いから、AthReebo(アスリーボ)という会社を設立しました。
2020年10月、保険会社を退職。アスリートがキャリアアップを考えた時、そのパートナーとなる事業に本腰を入れ始めました。目的は、現役もしくは引退したアスリートに一社会人としてスポーツ以外の仕事で自立してもらうこと。
そのために、働く場、そしてビジネススキルを習得する機会を作ろうと思いました。働く上で、商売の原理原則を知ることは大事です。それらを学ぶ場として選んだのは、飲食業でした。
飲食は、お客様から直接「ありがとう」の言葉をいただける場です。集客そしてリピーターをどう増やすかをはじめ、損益計算書の見方などを学ぶことができます。
東京の三軒茶屋に焼肉店をオープンし、そのスタッフに引退したアスリートを採用しました。店舗運営を学び「4年間で卒業」を掲げ、目下の目標は5〜6店舗の拡大としました。
お店には、保険営業時代のクライアントだった経営者の方にも多く来てもらえると予想していたので、優秀なスタッフは経営者のお客様に“引き抜き”されて良いと思っていました。
イメージは「ルイーダの酒場」。ゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズに出てくる、出会いと別れのある酒場のように、新たな出会いのある場所にしたいと考えました。
意気揚々とスタートした矢先、待ち受けていたのは新型コロナウイルスの流行でした。開店してから数カ月後、緊急事態宣言が発令し、お客さんが全く来店しない状況に直面。店舗拡大どころか、1店舗の存続すら危うい状態になってしまったんです。
お客さんが来ない中、アスリート従業員たちがモチベーションを保つのは容易いことではありませんでした。
そういった環境要因に加え、「アスリート採用」自体の難しさも見えてきました。アスリートたちは、良い意味でもそうでない意味でも、基本的に「やりたいことだけをやってきた人」です。努力を積み重ね、根性も人一倍あるのは事実ですが、それは好きなものだったからこその話。
裏を返せば、やりたくないことを続けることが苦手で、納得しないと動けない面もあることを思い知りました。
私はテレビ局を退職後、ゼロから保険営業に転身し、言葉通り「がむしゃら」に働きました。人の何倍もの汗をかいた分、それだけの実績を出すことができたと自負しています。
でも、私にとって「当たり前」は、スタッフの基準とは違っていたんです。主体的にならないスタッフたちに、「なんでやらんの」「なんでできないの」と思い、その気持ちが日に日に大きくなっていきました。それが顔や態度にも滲み出てしまった結果、「俺は金沢さんとは違う」と思われてしまったんです。
開店から半年経ち、世の中の状況も、店の雰囲気も、良くなるどころか益々深刻になっていきました。何が問題なのか。経営方針を考え直した時、見えてきたことは、働く環境は提供していたけれど、そもそもが「飲食業を経験したいアスリートではなかった」ことでした。
だからこそ、主体性が生まれなかったことに気づきました。アスリートたちを働く上での“当事者”にできなかったこと、自分が店舗マネジメントにもっと関与すべきだったこと、企業文化をつくれていなかったこと……。足りないものが多々あったことを思い知りました。
「アスリートが再度輝ける場をつくる」という軸は変えないけれど、それを達成するプロセスを見直さないといけない。そして、今年の6月、いったん全てをリセットする決断を下しました。結果を出せなかったことを認め、自己否定することは、相当苦しかったです。
焼肉店はそのまま営業を続けることにしましたが、その時働いていたスタッフ1人ひとりと面談をし、全員「卒業」という形を取りました。
新たに決めたことは大きく二つ。一つは、これからは私自身がアスリート社員に週2時間研修をし、働く際に大切な思考を直接伝えること。もう一つは、「飲食業がしたいアスリート」に絞って採用をすること。
リスタートから、3カ月ほど経ちましたが、現場に活気が戻り、主体性を持って仕事に取り組む人の集団へと変わっていっています。
飲食に加え、私が得意とする保険の営業ノウハウを伝える「営業部隊」もつくることにしました。さらに、大手不動産売買仲介専門会社と提携し、自社から先方に社員を派遣し、現場経験を積んでもらう制度も始めました。
現在、1名が1年契約で出向し、来年そのノウハウを自社に還元してもらう予定です。その後は、ここに残るもよし、フランチャイズオーナーとして独立するのもよしと思っています。
多様な働き方を提案し、スポーツ以外で収入を生み出せるアスリートを輩出していきたいと思っています。
私たちの最終的なゴールは、「現役時代よりも稼げる人間を育てること」。最強のアスリートの営業集団を作り、年収1億円プレーヤーを世に送り出したいと思っています。
引退したアスリートの中には、プライドや過去の栄光に執着してしまう人もいます。私もキャリアチェンジしてきた人間ですが、まずは「手放すこと」が大事だと感じています。
残念ながら、アスリート時代の実績は、ビジネスの世界では役に立ちません。でも、これまでの時間や経験、結果を出すための思考は必ずプラスになります。
私の経験上、やりたいことができる人は、目の前のことに徹底的に取り組み、周りの信頼を得た人だと思っています。まずは結果を出すことを目標に、私自身も一緒に汗をかいていきたいと思っています。
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