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お金と仕事

内定辞退し「ひとり陸上部」に入部、元選手を縛った〝やりがい探し〟

元日本代表選手の新井初佳さんが見つけた「割り切り」

女子100メートルで優勝、思わず笑みがこぼれる新井初佳選手(ピップフジモト)=1998年10月3日
女子100メートルで優勝、思わず笑みがこぼれる新井初佳選手(ピップフジモト)=1998年10月3日

目次

大学卒業後、「ひとり陸上部」として仕事と競技の両立をしていた元短距離選手の新井初佳さん(47)。女子100m走で世界陸上に日本代表として出場しますが、2回にわたる五輪への夢は破れました。人生をかけて取り組んだ競技以上のやりがいを見つけるのは難しいという現実。その時、大事にしたのは「割り切ること」でした。引退後、アスリート時代の経験を生かして、ヘルスケア製品のPRに携わるなど所属企業でのセカンドキャリアを築くまでを聞きました。(ライター・小野ヒデコ)

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新井初佳(あらい・もとか)
1974年神戸市生まれ。甲南大学文学部卒業後、97年にピップフジモト(現・ピップ)に入社。99年の世界陸上競技選手権大会での女子100mに日本代表として出場、日本陸上競技選手権大会の女子100mでは、98年から2004年まで7連覇など、国内において多くの実績を残す。08年10月に引退後、商品開発事業本部にて製品PRを担当。現在は、人財採用・企画室にて、主に労務管理に従事している。
 

阪神大震災を経て記録を伸ばす

<20歳の時に被災。当時は、陸上の練習ができる状況でも、心境でもなかった>

物心ついた時から、体を動かすのが好きでした。小5の時に小学校体育連盟の陸上競技大会に出場したことがきっかけで、本格的に陸上競技を始めました。得意なのは100m走。ただ「走ったら人より速かった」のが理由です。

個人競技の陸上はチームスポーツとは違い、努力すればするだけ、成果を実感できました。団体行動が苦手で、規律や規則など縛られるのがあまり好きではなかったため、自分の裁量で出来る陸上は性格的にも合っていたと思います。

その後、中学、高校、そして大学で陸上部に入り、短距離走に打ち込んでいくのですが、毎回「卒業したら陸上をやめよう」と思っていました。それが、卒業直近になると良いタイムが出たことで、「やっぱりもっと続けてみよう」と思い直してきました。

学生時代、最も記録が伸びたのは20歳の時です。その背景には、1995年に起きた阪神・淡路大震災がありました。私は神戸市出身で、大学時代も神戸に住んでいました。幸い、家族は無事でしたが、家屋は一部損害し、水やガスは停止。当初は、陸上の練習ができる状況でも、心境でもありませんでした。一時は体調を崩し、体重が落ちてしまいました。

震災から約2カ月後、大学の陸上部の仲間内から「走ろうよ」との思いが少しずつ芽生え始めました。そこで、震災被害の少なかったキャンパスのグラウンドや、公園などで徐々に練習を再開。陸上の練習は、道さえあれば、身一つできます。私は体重が落ちたことで体が軽くなり、結果的にその後、好タイムを打ち出していくことになります。

内定を辞退し、「ひとり陸上部」入部

<大学卒業間際の大会で学生記録を更新。自分の可能性を信じ、競技を続けることに>

大学卒業後は、一般就職をするつもりでした。ある会社から内定をもらい、新社会人生活を思い浮かべていました。その最中、大学最後の関西でのインカレで100mを11秒台で走るという関西学生記録を更新したんです。

その時、「もっとやってみたい」という気持ちがわき、陸上を続けることを決意し、内定を辞退。卒業後の身の振り方を考えていた矢先、大学のコーチから勧められたのが、現在所属しているピップフジモト(現・ピップ)でした。

結果的に、このピップに「ひとり陸上部」として入社をするのですが、それに至った経緯は主に2点あります。一つは、ピップ社長が、私と同じ甲南大学陸上部の先輩であったこと。もう一つは、会社がスポーツブランドを立ち上げようとしていた所だったため、陸上選手のスキルを生かせるのではと思われたこと。

競技を続けたい私の気持ちも汲んでもらい、私は最初で最後の「ひとり陸上部」の選手兼会社員として正社員枠で入社をしました。

入社後、社長秘書のアシスタントとして働くかたわら、練習をする日々を送りました。1日の流れは、午前中は練習、午後から出社。定時で退社をし、その後は体のケアの時間としていました。

振り返ると、相当恵まれている環境でした。社長をはじめ、周りの方も応援してくれていて、肩身の狭い思いをしたことは一度もありません。その分、陸上で結果を出さないといけないプレッシャーは人一倍感じていました。

目指したのは、2000年のシドニー五輪。しかし、長年抱える膝の痛みが悪影響を及ぼし、選考において思うような結果を出すことができませんでした。次に見据えたのは、2004年のアテネ五輪です。

陸上に専念するため契約内容を変更してもらい、4年間、陸上に集中する時間を与えてもらいました。

元陸上短距離選手の新井初佳さん。現在、医療衛生用品などの卸売事業をするピップにおいて人事を務める=本人提供
元陸上短距離選手の新井初佳さん。現在、医療衛生用品などの卸売事業をするピップにおいて人事を務める=本人提供

「やり切った感」で五輪出場に“幕”

<五輪出場の基準タイムをクリア。それでも五輪への切符は手に入らなかった>

4年間ひたすら陸上に打ち込み、2004年のアテネ五輪の出場権争いでは自己記録更新となる100m 11秒39秒をマーク。出場に必要な基準タイムのうち、「A標準」と比べて少し基準のハードルが低くなる「B標準」をクリアしたものの、五輪出場には至りませんでした。

当たり前ですが、五輪ではメダル争いが繰り広げられます。私は「基準タイム」はクリアしましたが、「五輪でのメダル獲得の可能性は低い」と陸上連盟から判断されたのです。

その判定に、私は納得しています。4年間全力で疾走してきましたが、これが自分の実力だと認めることができました。ここで私の五輪出場の夢を閉じました。後悔はしていません。それは自分がやれることはやったという「やり切った感」があるからです。

残るは「いつ引退するか」。最後の目標に設定したのは、2006年の地元の兵庫県開催の国体です。地元に恩返しをすることに、焦点を絞りました。

国体への出場枠は1競技1名の中、女子100m走とリレーに出場。結果、個人とリレーの両方で優勝を果たし、その成績も影響して、兵庫県勢が総合優勝を果たしました。「HYOGO」の名前の入ったユニフォームで出場し、地元に貢献できたことで、自分なりの恩返しができたと感じています。

イメトレで発表会の司会に臨む

<気持ちを高めるのが苦手。役に立ったのは現役時代に身につけたイメトレだった>

その一方で、両膝の痛みが限界に近づいていました。そして、34歳の2008年に現役を引退。会社には再度契約変更をしてもらい、フルタイムの正社員として働き始めました。

最初の仕事は、自社製品のテーピングやサポーターのPR活動でした。テーピングの貼り方などの講習をするために、主に中学高校への訪問を中心に、全国津々浦々飛び回りました。

自分の得意分野をそのまま仕事に生かすことができたのは、ラッキーだったと感じています。お世話になった会社に恩返しがしたい思も強く、与えられた仕事を全力で取り組みました。

その後、テーピングやサポーター以外の製品のPRの担当なども務め、新製品の発表会では司会を担当したこともあります。その際に役立ったのは、現役時代の「イメトレ」でした。私はどちらからというと、気持ちを高めるのが不得意なタイプ。自分がはつらつと話をする姿をイメージし、人前で話す場数を踏んでいきました。このメンタル面のコントロールは、元アスリートの強みの一つだと感じています。

そして3年前、人事部門に異動となりました。今は、労務関係 就業状況、次世代育成などを担当しています。仕事では法律の知識が必要になるため、現在勉強中です。

「やりがい見つけ」がストレスに

<やりがいは簡単には見つからない。「割り切る力」も大切だと実感>

改めて振り返ってみて、「切り替える力」、「割り切る力」の大切さを感じています。アスリートは人生をかけて競技に打ち込みます。今後、それ以上にやりがいのあるものは、そう簡単に見つからなくて当然だと思います。

私自身、引退後に「やりがいを見つけなければ」と思い、それがストレスになったこともありました。でも今は、小さい喜びは仕事の中でたくさんあることに気づくようになりました。

その「切り替える力」を感じたきっかけは、シドニー五輪に挑戦した時でした。どうしようもない時は、どうしようもないものです。仕事でミスをした際は、反省をし、同じことを繰り返さない対先を考えたうえで、クヨクヨせずに割り切って、前に進む。そのメンタルの強さは、アスリート時代に身につきました。

今は、知らないことを知っていくことが、楽しみの一つです。人事の仕事において、社員からの質問に対して的確に応えられただけでも、自己満足度は高まります。

私からの現役アスリートへのメッセージは、「本来スポーツは楽しいもの」ということ。現役時代は、身体も心も痛いものです。周りから何かと言われることもあると思いますが、今しかできないことを楽しんでください。

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