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漁師は言った「クジラにやられた」伝統漁追いかけた映画監督の30年
「文化の多様性がどんどん淘汰されている」
インドネシアで400年前から続く捕鯨のようすを記録したドキュメンタリー映画「くじらびと」が9月に公開されました。手作りの木造船に乗り込み、体ごと海に飛び込みながらマッコウクジラに銛(もり)を打ち込む――。そんな伝統的な漁を営む人びと姿が、ドローンや水中カメラも駆使した迫力ある映像で紹介されています。文化の違いから衝突の火種にもなってきた捕鯨ですが、作品からはグローバル化の中で失われつつあるその土地に根付いた生活が浮かび上がります。30年にわたって現地に通ってきた石川梵監督(61)に映画化のきっかけや苦労を聞きました。
石川梵(いしかわ・ぼん)
インドネシア・レンバタ島にある人口1500人ほどのラマレラ村が映画「くじらびと」の舞台です。小舟にのってマッコウクジラを追いかけ体ごと海に飛び込んで銛を打ち込むクジラ漁は、クジラからの反撃もすさまじく大迫力の映像です。
監督の石川さんが初めてこの地を訪れたのは1991年、31歳のときだったといいます。AFP通信を退社し、フリーの写真家になったばかり。「ニュースは性に合わなかった。旅をしていろんな経験をしたかった」と振り返ります。
雑誌社に持ち込んだ秘境取材の企画で訪れたインドネシアで、石川さんはラマレラの捕鯨の「噂」を聞いたそうです。「そういう話って半分以上、眉唾。それでも確かめないと、と思いました」
船で現地にたどり着くと、実際に昔ながらの方法で捕鯨が続けられていることがわかりました。「船小屋が並んでいて、そのなかに壊れているのがある。どうしたんですかと聞いたら『クジラにやられた』って。ドラマチックな始まりでした」
石川さんは翌1992年に、本格的な密着取材を始めます。連日みずから船に乗り込みますが、クジラは一向に現れなかったそうです。
結局この年は村に3カ月滞在したもののクジラは1頭も捕れず。再挑戦した翌年もクジラの捕獲はゼロだったといいます。
「毎朝6時に船に乗って、午後3時くらいまで海の上。本も読めない。働き盛りの30代にこんなことをしていて、人生大丈夫なのかと思いました」
しかも石川さんが訪れる直前や帰国した直後にクジラが捕れたこともあったそうで、村人の間では「ボン(石川さん)がいるとクジラが捕れない」などという陰口まで広まっていたとか。
「『ジンクス』という言葉では軽すぎるというか。面と向かって言われたことはありませんでしたが、とても信心深い人たちなので気になりました」
それでも「一度決めたからには」と通い続け、4度目の訪問となった1994年にようやくクジラを捕るシーンの撮影に成功しました。
「捕る瞬間はもちろんドラマチックですが、クジラ漁の大部分は船の上で待つ忍耐の時間。それをしみじみと感じました」と石川さんは振り返ります。
当時、日本からラマレラ村に行くためには、飛行機や船を乗り継ぎ最低でも3日かかったといいます。そこへ石川さんはたびたび訪れて取材を続け、今回の映画は主に2017年から3年間かけて撮影した映像をもとにつくりました。
写真集などでもすでに発表しているこの題材をなぜ映画にしようと思ったのでしょうか。石川さんは技術と文化の変化がきっかけだったといいます。
ひとつは技術。先にも触れたようにこの映画ではドローンによる空中からの撮影が大活躍します。石川さんは「海の上の撮影はものすごく不自由。小さな船の上では人の顔も映せないしクジラもよく見えない。それがドローンで全部解決しました。90年代には考えられなかった映像が撮れました」と話します。
もう一つは文化です。
石川さんは2010年、13年ぶりにラマレラを再訪します。その際、ラマレラを題材にした写真集を村の老人に見せた際、こう言われたそうです。
「この本をいまの(村の)若い者たちにみせてやってくれ」
石川さんが初めて訪れたときに比べ、現在の村には電気が通り、スマホを持つ若者も多い。船にエンジンがつくなど変化にさらされる村の様子を記録することは、現地に暮らす人たちへの貢献になるのではないかと考えたといいます。
「文化の多様性というものがグローバリズムのなかでどんどん淘汰(とうた)されている。ラマレラの未来をきっちり映像に収めることは大事なことだと思いました」
確かに映画のなかでは、釘一本使わない船造りや鯨肉の配分の方法など、「大迫力の映像」だけではない、彼らの生活のあり方がきめ細やかに描かれています。映像を見ていると、地球上のいたるところにあったはずのその土地に根付いた文化に思いをはせるとともに、すっかり「グローバル化」してしまった自らの生活を振り返らずにはいられません。
ありがたいことに、石川さんは続編映画も計画しているそう。今回の登場人物の1人にこれから訪れる、ある「選択」を軸に「ラマレラの未来の象徴的なものが撮れるのではないか」といいます。
文字どおり命をかけて自然と関わる彼らの生活は、私たちが失いつつある大切な何かを思い出させてくれます。と同時に、彼らの生活も未来永劫続くものではないのかもしれない、もしも彼らの文化が廃れてしまうとすれば私たちにとってそれが意味するものは何なのか、とも考えさせられます。
今回の映像を通して突きつけられた問いを胸に、次回作を待ちたいと思いました。
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