コラム
「ああはなれない」パラ選手に抱いた劣等感、運動諦めたアルビノの私
「スポーツは無理」の前にできたこと
9月5日の閉幕が間近となった、東京パラリンピック。障害があるアスリートの活躍ぶりが、連日報道されています。目や髪の色が薄く生まれる遺伝子疾患・アルビノの雁屋優さん(26)は、同じアルビノの選手たちに注目してきました。弱視や日焼けのしやすさなど、運動には不向きな症状と向き合いつつも、大舞台に立っているからです。一方、学生時代は疾患のため、体育の授業すら満足に受けられなかった雁屋さん。選手の姿を見て「身体を動かせないと、自ら諦めていた部分があった」と気付いたといいます。大会から考えたことについて、つづってもらいました。
東京パラリンピックが開幕し、連日さまざまな競技の試合結果が報道されている。新型コロナウイルスの流行で、開催には賛否両論が飛び出た。元々オリンピック・パラリンピックの開催について賛成というわけではない私は、基本的には関連ニュースをチェックしない。
しかし、「アルビノ」の言葉が見出しに入っていれば、話は別だ。アルビノは、髪や目の色が薄く生まれる遺伝子疾患で、弱視を伴う人が多い。肌は紫外線に弱いので、日常的に日焼け止めクリームを塗って生活している。つまり、視覚障害がある上に、日焼けに弱い。私も同じだ。
スポーツをするには、不利な特性である。アルビノの人がスポーツをする難しさを、アルビノとして生きてきた私自身が、よく知っている。だからこそ、私は、アルビノのパラアスリートに注目するのだ。
東京パラリンピックでは、日本からはゴールボールの欠端(かけはた)瑛子選手、ザンビアから陸上のモニカ・ムンガ選手、スペインからのトライアスロンのスサナ・ロドリゲス選手など、アルビノの選手を見かける。アルビノのパラアスリートの誰とも直接お話したことはない。しかし、その活躍は自分事のように誇らしく思えた。
私自身は、得意なスポーツはあまりなく、スポーツそのものへの思い出も、決していいものとは言えない。その理由を、アルビノによる弱視や、日焼けへの弱さに完全に押しつけていた時期もあった。障害によりできないことを数え上げてしまう時も、いまだにある。
そんな私に、アルビノのパラアスリートたちは、「アルビノでありながら、スポーツを楽しみ、自分を高めることもできる」と可能性を示してくれている。スポーツの方面の才能はまったくない私でも、このことには、わくわくする。感動をもらっているのではない。アルビノのパラアスリートによって、私の持つ「アルビノだから、できない」という呪縛が、力強く解かれているのだ。
アルビノのパラアスリートと私は完全に同一ではないが、近しく思える。自分の「ありえたかもしれない可能性」を示されて、誇らしい。同時に、複雑な思いもある。私は、パラアスリートのように、強くもなければ、特別でもないからだ。
私は、あんな風にはなれない。そのこともわかっているからこそ、劣等感にさいなまれる。
私が身体を動かすことを明確に嫌いだと思ったのは、物心ついたくらいの年頃だ。普通級の保育園や小学校に通い、障害のない園児や児童と一緒に学んだ。
先述したように、私には弱視がある。ほとんどの運動、とりわけ球技は楽しめた記憶がない。例えばドッジボールをしても、周りの子どもは、自分に見えないときも、ボールが見えている。そんなもの、楽しいわけがない。
集団競技において、弱視を理解しない周囲の子どもたちから、「やる気がない」と責められ、元々低かったモチベーションは完全にゼロになった。運動の苦手な子どものための特別ルール(バレーボールのサーブを他の子よりも前から打つことができる、など)があっても、どうにもならなかった。
さすがに、中学校後半にもなれば、私の身体能力の低さを責める生徒はいなくなったが、今度は別の問題が発生した。体育の授業中、立て続けに2回、眼鏡が破損したのだ。それも、球技の試合への参加時に起きた、ボールが見えていなかったことによる事故である。
私の使う眼鏡は、度がきつく、薄型加工などの特殊な加工がいるため、高価である。体育教師に、「試合形式のときは見学する」ことを勧められ、私は反論もなく、その言葉に従った。
まったくスポーツをしてこなかったように思えるが、実は小学校入学前から、スキーのスクールの短期コースに毎冬通っていた。日に焼けやすい肌を守るため、あらゆるもので顔を覆い、それでも露出する部分は、リフトの上やレストハウスで日焼け止めを何度も塗り直した。そのかいあってか、小学生と高校生の頃は、スキーの授業において、上級者クラスに入ることができた。
ただ、危険はあった。大事には至らなかったが、とにかくよく転んだ。真正面から一回転したこともある。スキーのジュニア検定の取得に励んでいた頃、インストラクターから「あなたの視力でこれ以上のスピードを出すのは無理だし危険なのではないか」と言われ、その冬に挑戦をやめた。
高校では、屋外で行われるマラソンの授業も、体育館から見学することになった。水泳の授業にいたっては、プールサイドにすら立っていない。日焼けを危惧されてのことだ。しかし、アルビノでパラ水泳に出場したことのある笠本明里選手や、先述したトライアスロンのスサナ・ロドリゲス選手は、日焼けの問題をクリアして、競技を極めている。
日焼け止めクリームを塗り直す時間を設ける、性能のいい日焼け止めクリームを使うなどの工夫の余地が私にもあったかもしれないと、彼ら・彼女らの姿を見て思う。
しかし、そんなことは、私自身も体育教師たちも、知らなかった。体育の授業において、障害のある児童・生徒に身体を動かす機会を提供する方法を考える前に、「できないから、やめておこう」と判断してしまった。
体育の授業だけでなく、習い事としてスポーツをするのにも、障害者には壁がある。インストラクターは障害についてわからないことが多く、「責任がもてない」と入会すら断られてしまうことがあるのだ。
作家の岸田奈美さんのnoteにも、弟の良太さんがダウン症のためにスイミングクラブへの入会を断られたり、介助者が必要だと言われたりしたエピソードがある。その後、良太さんは水泳ができる場を見つけられたようだが、障害者がスポーツをする際の壁について、考えさせられるエピソードだ。
しかし、どうすれば障害者が身体を動かしてスポーツをすることを楽しめるのかを考え、学んでいる人々はいる。高校時代に出会った教育実習生は、屋内でもできる、球技以外の運動を教えてくれた。また私が通った大学には、障害があったり、運動が苦手だったりする学生向けの体育の授業もあった。
障害があっても、スポーツができると簡単に言い切ることはできない。心拍数の上昇をはじめとした、運動による負荷に耐えられない障害者の方もいるからだ。誰もがパラアスリートのように、超人的に躍動できるわけでもない。そのことを期待するのも、される必要もない。
それでも、今多くの人々が思っているよりはずっと、障害者はスポーツをすることができる。
私自身、プロ選手になるのは難しいかもしれないけれど、かといって身体を動かすことを諦めなくてもいい。それに、パラリンピックで活躍する人々の姿を見て、卑屈になる必要もない。競技のみならず、健康維持やストレス解消のための運動だってあるのだから。大切なのは、自らの可能性を閉ざさないことだ。今は、そう思えている。
スポーツをしたい気持ちがあるのなら、「障害があるから、スポーツはできない」と決めつける前に、できることはある。本人や周囲の人たちが、医師や体育教育の研究者をはじめとした専門家や、先輩当事者に相談するなど情報収集して、「どうしたらできるのか」を模索していくことで、可能性は広がるだろう。
そうした姿勢が広まれば、障害者がスポーツをする環境を整えることにもつながり、より多くのパラアスリートの誕生も期待できるはずだ。
最後に、私に「スポーツをする」という選択肢の存在を示してくれたアルビノのパラアスリートの方々に敬意を表したい。
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