連載
発達障害とパパになった僕は「だらしない」 それでいいと気づくまで
子どもが生まれたあとに分かった発達障害、うつ病、休職……。ASD(自閉スペクトラム症)・ADHD(注意欠如・多動症)の当事者でライターの遠藤光太さん(31)は、紆余曲折ありながらも子育てを楽しみ、主体的に担ってきました。小学生の娘、妻との7年間を振り返り、遠藤さんがいま感じていることとは。全18回となった連載の最終回です。
つい7〜8年前までこの世に存在さえしていなかった娘が、いま目の前でごきげんに食事をしている姿を見ていると、ふと不思議な気持ちが湧いてきます。「なんとか生き延びてこられたんだ」と感じるのです。
「パパ」になったばかりの頃の僕は、「しっかり者」でした。子ども時代は不登校気味で、違和感を抱きながらもなんとか適応しようとし、内面ではいつも混乱していたことを無意識に隠すくせがついていました。
表面的には「良い子」のまま、結婚し、娘が生まれると、きちんと将来の計画を立て、家族を強く導いていこうとしました。
本当は、怖くて不安で仕方なかったのだと思います。望んでいたはずなのに、僕は戸惑っていました。出産予定日が近づくにつれて、「ヤバい」と焦っていました。
そうして始まった子育ては、実際に「ヤバい」体験で、僕は不安を裏返して、「幸せなのだから、より一層しっかりしなければ」と考えていました。
僕が発達障害の診断を受けたのは、娘が生まれてしばらく経った後でした。その間に、抗えないうつが何度かあり、死を強く意識し、離婚も考えていました。発達障害を受容する過程にはいつも妻と娘がいて、僕にとっての障害受容は家族と切っても切り離せないものであり続けています。
「どうすれば生き延びられるのか」
「生きづらさはどのように解消できるのか」
「どんな仕事に就き、どんな人間関係を築くのか」
悩み続けている僕は、今でも発達障害を克服できていません。ただ、7年間の苦闘を経て、障害とも家族とも自分なりに関係性を築くことができ、ともに生きていく土台と覚悟ができてきたと感じます。
又吉直樹さんの小説『火花』に、強く印象に残っている記述があります。
「僕はただ不器用なだけで、その不器用さえも売り物に出来ない程の単なる不器用に過ぎなかった」
読んだ当時、「これは自分だ」と思いました。「不器用」な自分もあけっぴろげに書いて、見せてしまえばいい。せめて売り物にしてしまえ。そんな思いで、僕は自分のことを書いています。
自分の子育てが正解だとは決して思えません。ガチャガチャと音を立てながら、右往左往して、たくさん間違えて、愚直に取り組んできました。
「発達障害とパパになる」という連載を、今回まで書いてきました。今の思いは、「発達障害とパパになった」。ともに受け入れて、オリジナルな「パパ」の姿を作ってきた実感があります。
ただ、これからも「パパ」は続き、子どもや環境の変化は絶えることがありません。まだまだ不安は募ります。発達障害の特性は、コロナ禍のように未知の事態が起きたとき、どんな風に制御しきれなくなるか、わかりません。
仕事がうまくいかなくなり、収入がなくなったらどうしよう。立ち直れないほどのうつに襲われたらどうしよう。思春期になっていく娘と、どのように親子関係を築いていけばいいのだろうーー。不安なことを挙げればキリがありません。
しかし、どんなに辛いことが起きても「書いていれば生きていける」と思った夜が僕にはありました。これからも大変だと思いますが、「またあとで書いてやる」と思っています。僕はこれからも、生き延びていくために書いていきます。
7年前に娘が生まれた頃と比べると、僕はだらしなく、計画性のない人間になりました。
ぼーっと考えごとをしている時間は長いし、明日でもいい仕事は明日にまわしてしまうことも多いです。夜寝る前には娘と妻と3人で、いつも“非生産的”な会話をしていて、夜にはお腹を出して寝ていることを、家族に笑われています。
回っているコマを、「もっと速く」とわざわざ回さなくていい。そっと見つめて守ればいい。倒れそうになったときだけ、少し回してあげるぐらいでいい。「しっかり者」ではなく、だらしない自分でも家族がまわり続けていくように、これからも少しがんばりたいと思います。
地球が誕生してからの46億年を1年に換算すると、人類(ホモ・サピエンス)が生まれたのはなんと12月31日23時37分なのだそうです。そんな人類のなかで、ほんの31年だけを生き、たった7年だけの子育てを経験してきた自分の営みは、小さすぎて、途方もない気持ちになってしまいます。
子育てはきっと“秒”で過ぎ去っていくのでしょう。未来に開けている娘の人生において、思い出したときに少し心をあと押ししてもらえるような子ども時代であればいいなと思います。
発達障害の現れ方は人によって異なり、考え方も置かれた環境も違います。だから、僕の経験してきたことを誰かに押し付けたくはありません。誰かと比べないよう、心がけて書いてきました。
むしろ、まだ情報が多いとは言えない「発達障害」と「父親」という当事者性を念頭に置きつつも、一般論ではなく、個別の具体的な体験を書こうと試みてきました。
僕は「なんとかなる」と人から言われるのが大嫌いでした。「なんとかならないこともある」と何度も思っていました。「なんとかなっていない」自分が悔しくて仕方ありませんでした。
だから、「発達障害があっても父親になって子育てはできる」と大上段に構えて言うつもりはありません。もちろん「子どもがいる人生の方がいい」とも言いたくないです。
特性と、個人と社会との相互作用に応じて、やりたいことやできることは変わっていくなかで、不安や恐れを受け入れ、取り組んできたこの記録は、僕の子育ての小さな実相でした。家族、親子関係がいまのところ壊れずに、このように振り返って書き記せる状況にあるのは、ただ運が良かっただけです。何が良く作用したのか自分にもわかりません。
これからも相変わらず「不器用」に、七転八倒しながら子育てをしていくと思います。娘が今日もごきげんに過ごしている。嫌なことがあっても、家で少し発散して、また社会に出ていける。それは、親である妻と僕も同じでしょう。明日も家族がごきげんに過ごせるように、不器用でだらしない自分のままで、泥臭く生きていきます。
読んでくださった方々、本当にありがとうございました。
遠藤光太
フリーライター。発達障害(ASD・ADHD)の当事者。社会人4年目にASD、5年目にADHDの診断を受ける。妻と7歳の娘と3人暮らし。興味のある分野は、社会的マイノリティ、福祉、表現、コミュニティ、スポーツなど。Twitterアカウントは@kotart90。
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