外からは見えないからだの「痛み」。「足の痛みで頭がいっぱい」「あちこち痛くて眠れない」――。ペインクリニックに勤める医師・北原雅樹さんのもとにはそんな患者の訴えが届くといいます。長引く「痛み」の治療にはどんな方法があるのでしょうか。YouTubeで動画を配信して「慢性痛」の情報を発信している北原さんに話を聞きました。
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北原雅樹さん:横浜市立大学附属市民総合医療センター・ペインクリニック内科部長。1987年東京大学医学部卒業。1991〜96年、世界で初めて設立された痛み治療センター、ワシントン州立ワシントン大学ペインセンターに留学。帝京大学溝口病院麻酔科講師、東京慈恵会医科大学ペインクリニック診療部長、麻酔科准教授を経て、2017年4月から横浜市立大学附属市民総合医療センター。2018年4月現職。専門は難治性慢性疼痛の治療。
――ほかの病院で痛みが改善せず、たらい回しにされた人やなかなか治らない患者を多く診察してきたそうですね。
痛みがなかなか改善せず、うちに来られる患者さんは多いです。全然よくならないと心理的に異常が起こったり、社会生活に障害が出たりしてしまう方もいます。
ペインクリニック(pain clinic)とは痛み(pain)の診断・治療を行う専門外来のことです。慢性や急性の痛みの原因を明らかにし、最適な治療プランを作成・実施して、痛みを治療します。
(横浜市立大学附属市民総合医療センター・
ペインクリニック内科ホームページより)
――どうしてそんなことが起きてしまうのでしょうか。
実は医療者も含めた多くの人が、急性と慢性の痛みの区別がついていないのが現状です。痛みを症状としてしかとらえておらず、治療する対象としてとらえていないんです。
日本に総合診療医制度がなく、それぞれの医師は専門分野を診療しているので、それ以外のことには詳しくない。「痛み」もその一つですね。
また、日本の医師が心理面での教育をほとんど受けていないことも影響しています。欧米では「行動科学」が医学部の基本科目の中に入っています。
――「痛み」には急性と慢性があるんですね。
歯を抜いたり骨折したり、おなかが痛くなったり……こういった痛みは「急性」です。
私たちは小さな頃からこの急性の痛みを経験して「痛み」を学びます。これは痛み止めなど薬を使うことで改善しますし、骨折だったら「動かさずに安静にしておく」という思考になります。
――慢性の痛みはどう違うのでしょうか。
同じ痛みではありますが、急性の痛みとは全く対処の仕方が違うんです。
たとえば腰痛や肩こり、原因不明の痛みが続くといった「慢性の痛み」には、病気などから起こる身体的因子だけではなく、心理社会的因子が影響しています。そういった痛みには痛み止めの薬が効きづらいんです。
長く続いた痛みには身体的因子だけでなく、心理的社会的因子が複雑に絡んでいることが多くあります。
痛みが強い時に来院し、投薬や注射などを行う従来型の治療では、限界があることも多いのが事実です。
慢性痛の診療は、患者さんを病気中心に診る従来型の医療モデル(生物医学モデルbiomedical model)ではなく、痛みの原因は心理的社会的因子が複雑に絡んだものであることを理解した医療者が行わなければなりません。
(横浜市立大学附属市民総合医療センター・
ペインクリニック内科ホームページより)
――
2010年の大規模な痛みの調査「pain in japan」では、慢性痛に苦しむ人が成人のうち2割以上いるとされています。北原さんはどのように診療しているのでしょうか。
初診に2時間をかけています。
患者さんには300問近くある問診票に記入してもらいます。紹介状やおくすり手帳を照らし合わせながら話を聞いていきます。
ある女性の患者さんは「足の痛みで頭がいっぱいになる」と受診されましたが、実は認知症の疑いがあることが分かりました。
問診票や女性の話すこと、夫から聞いたことを総合すればすぐに気づくのですが、ほかの病院では診断がつきませんでした。
初診料は2000数百円という現在の医療制度では、初診に2時間かけられるところはなかなかありません。
――初診はどんな風に進めていきますか。
痛みの治療ガイドラインにも書かれていますが、慢性痛の治療のゴールは痛みの寛解・緩和ではありません。「Quality of Life(QOL)の向上」です。
痛みの軽減は慢性疼痛治療の目的と最終目標の一つであるが、第一目標ではない。医療者は、治療による副作用をできるだけ少なくしながら痛みの管理を行い、患者の生活の質(QOL)や日常生活動作(ADL)を向上させることが重要である<
慢性疼痛治療ガイドラインより>
ですので、うちでは真っ先に「何が一番お困りですか?」と聞きます。痛みによって一番困っていることを聞くんです。
――痛みの症状ではなく、困っていることを聞くんですね。
最初は漠然とした答えしか返ってきませんので、深く掘り下げていきます。
「痛くて家事ができません」「どの家事ができませんか?」「お皿洗いがだめです。特に立ち仕事ですね」
――深掘りして聞いていくとどんなことが分かるのでしょうか。
「足が痛くてほかのことを忘れっぽくなってしまう」という訴えの患者さんは、詳しく話を聞くと、「何回も同じことを言ったと言われる」「外出後、鍵をかけたか不安になって家に戻る」など、認知症が疑われました。
実は夫から暴力を受けていた患者さんや、90歳の母を一人で世話しているけれど首と肩が痛くて眠れないと訴える患者さんもいらっしゃいました。
北原先生がYouTubeで解説する痛みの3要因。「心理社会的要因が影響しない痛みはない」といいます 出典:第4回 慢性痛講座「痛みの3要因」
――「痛み」にもさまざまな背景が隠れているんですね。
一人で介護していた方は、母を施設に預けたことで痛みが消えました。
そういった場合は、つらい状況や現実といった言語化できない何かが、身体化して「痛み」になっていると考えています。だから医者は全体を診療しなければなりません。
――患者さんの痛みは患者さんにしか分かりません。医師はどのように把握するのでしょうか?
もちろん問診には書いてもらいますが、診察ではあまり聞きません。
医者がまず「どこが痛いですか?」と聞いてしまうと、患者は医者の興味に応えようとしてしまいます。すると、痛みのことを毎日毎日考えて、痛みを探してしまうんですね。
ほかの病院ではやっているのかもしれませんが、うちでは「痛み日記」はつけません。逆に「できたこと日記」や「運動日記」をつけてもらいます。
――痛みに注目してしまうと、さらに痛くなるというのは実感があるような気がします。
禅問答のようですが、「痛み」の改善には痛みのことを忘れて、痛みから離れるのが大切なことです。
――実際にはどのように治療していくのでしょうか。
生活習慣の改善、運動療法、心理療法などを中心としています。補助的に薬物療法やその他の療法(神経ブロック療法など)を使うこともあります。
――そのために作業・理学療法士や公認心理師、鍼灸師といったチームで診療することが大切なんですね。
そうですね。
近年は特に心理療法の「認知行動療法」が注目されていますが、単純に運動不足や寝酒といった生活習慣を改善するだけで劇的によくなることもあるんですよ。
――自分の痛みはほかの人には分からず、家族や同僚・周囲の人に迷惑をかけるかも……と、言いにくい雰囲気があります。社会の「痛いと言いづらい」という状況を、北原さんはどう思いますか?
生理痛など、原因があってきちんと対処すれば痛みが止まるものから、理解していくことが大事ではないでしょうか。
生理痛や頭痛は、慢性痛に近い急性痛です。こういったよくある病気から「痛い」「ちゃんと休んで治療したら治る 」ことを分かってもらうことがいいのではないでしょうか。
一方、すべての疾患で休めばいいわけではありません。「ぎっくり腰」では、48時間以上の休息は社会復帰をかえって遅らせることが分かっています。
北原さんがYouTubeで発信している「北原先生の痛み塾」
――北原さんは、YouTubeで「慢性痛」の情報を発信されています。
急性・慢性の痛みの違いが知られていないことや、その原因が誤解されているという懸念から制作しました。
市民の意識が上がって賢くなり、「この医者は痛みについて分かってくれないな」と医者を変えたら、その医者も受診者が減って、勉強するだろうと考えたというのもあります。
――慢性痛の医師はどこで探したらいいのでしょうか。
慢性の痛み情報センターでは、痛みを専門的に診察している病院が検索できます。
慢性の痛み情報センターのサイト。厚生労働省「慢性疼痛診療システムの均てん化と痛みセンター診療データベースの活用による医療向上を目指す研究」研究班と日本いたみ財団が運営 出典:慢性の痛み情報センター
――「生理痛はみんな我慢している」という思い込みなど、私たちも自分のからだをあまり知らないという問題もありますね。
頭痛や生理痛といったよくある病気の対処法や、からだの教育も大切ですね。病院の受診の仕方も中高生ぐらいで教えた方がいいと思います。
以前、生理痛を我慢していた看護師さんがいて、「どうして?」と尋ねたら、自分の母から小さい頃に言われた「薬をのむと不妊になる」といったことを信じていました。医療職でも起こりえます。
なんでも薬で治そうという人と、絶対にのみたくないという人と両極端になっている面もあります。
――頭痛のときは、まず市販薬で対応することが多いと思います。
その薬をのむ頻度が多いときには注意が必要です。
月15回以上、頭痛の薬をのんでいたら、薬剤乱用性頭痛が起きている可能性があります。薬のせいで逆に頭痛が起きてしまった……ということです。
なかなか治らない、頭痛の頻度が高いなど、おかしいなと思ったら受診することをおすすめします。
――痛みを伝えやすい、信頼できるかかりつけ医を見つけることも大切だと感じました。
実は「予防できる慢性痛」もあります。
一つが皮膚の病気「帯状疱疹」です。帯状疱疹の治療後も痛みが残ってしまう神経痛を、ワクチンによって予防することができます。
対象年齢は50歳からで、この神経痛が慢性化する確率が6分の1に減ります。ステロイドや抗がん剤を使っている人には不活化ワクチンもあります。
もう一つが、骨密度の検査をして「骨粗鬆症」を防ぐことです。「いつの間にか骨折」なども話題になりましたが、ぜひ検査して自身の骨の状態を知っておいてほしいです。
頭痛や痛風、がんの治療時の副作用など――病気の痛みは我慢しなければいけないのでしょうか? 「子宮体がん検診が痛すぎて絶叫した」という婦人科検診の痛みを訴えたツイッターでの投稿が拡散され、ネット署名が集まるといった反響もありました。
フォーラム面では、病気や検診などの「痛み」との向き合い方を考えるアンケートを実施しました。
【フォーラム面アンケート】からだの痛み、どこまで我慢しますか?
多くの方にご協力いただき、869件の回答が集まりました。27日付の朝日新聞紙面でその声を紹介します。ぜひご覧ください。