連載
#105 #父親のモヤモヤ
「週7日勤務」の仕事人間から主夫に、男性を変えた妻の将来と母の死
学生時代はバスケ一筋でした。教員をめざしたのも、バスケに携わりたいと思ったからです。大学卒業後、教員になって顧問になった時は「夢がかなったと思いました」
26歳で結婚。翌年、第1子を授かりました。
家庭に関わっていましたが、「仕事人間」であることに変わりはありませんでした。
部活の朝練にあわせ、早朝から自宅近くの学校に行き、体育館の鍵を開けていったん帰宅。朝食をとって再び学校へ。部活が終わった後は、子どものお風呂と寝かしつけのために帰宅し、また仕事に戻る。そんな日々でした。
「休日は試合もありますし、『週7日勤務』でした」
一方の妻は、3人の子どもの産休と育休、そして職場復帰を繰り返していました。
2017年4月。主夫になった理由はいくつかあります。
同じ教員の妻自身のキャリアも考えました。「結婚して10年、目いっぱいやらせてもらいました。今度は、妻の番だと思いました」。生徒に慕われている妻のフォローをすることは、間接的に教師を続けることになる。そうも考えたそうです。
母親の死も影響しました。
亡くなったのは、主夫になる3年半前でした。難病を患い病床に伏せていた当時、うまく言葉が発せなくなっていました。母親にとって孫にあたる、中島さんの子どもが七五三で撮った写真を見せに行った時のことです。ひらがなの書かれたボードを指さしながらこう伝えたそうです。
「なにもできなくてごめんね」
亡くなったのはその翌日。62歳でした。
「忙しくしていることが親孝行と思っていました。それも間違いではないと思います。でも、大事な人と限りある時間をどう過ごすか、それを考えさせられました」
父親もがんで闘病中です。妻に、気持ちを打ち明けると意外な答えが返ってきました。
「退職して主夫はどう? お義父さんとも、家族との時間も取れると思う」
ただ、いざ「主夫」になった自分を想像すると、当初は強い抵抗感があったそうです。
「主夫? 周りにどう思われるだろうか?」
それでも、決断しました。
待っていたのは、ガラリと変わった生活でした。
朝は長男と長女の登校準備。お弁当作りや髪結いもしました。自宅では、1歳の次男の面倒をみながら家事。夕方になれば、寝かしつけまで息つく暇もない時間が続きました。
教員だった時、保護者の自宅に電話をする際、「専業主婦」家庭の場合も不在がちなことを不思議に思っていました。
「出たり入ったり、家庭は、とにかくやることにあふれています。当時の保護者の方に謝りたい気持ちです」
子どもたちの反応も変わりました。これまでは、特別な時間を過ごす父親だったのが、日常も寄りそう主夫になりました。
当初は、元教師の肩書も邪魔したのか、子どもに不安を打ち明けられたり、相談を受けたりすると、「導く」ことに気がまわりがちだったそうです。
長男が小学5年の時、ささいな相談を受けたそうです。いつものように諭すような口調になったかと思えば、それに反発した長男と、いつしか声を荒らげるほどの言い合いになりました。
その時、泣きながら長男が言いました。
「僕はお父さんのレベルに達していない。ダメ人間だ!」
頭を殴られたような衝撃でした。
「ただ話を聞くとか、居場所になるとか、そういうことが必要なんだと思うようになりました」
中島さんの価値観や、接し方も少しずつ変わっていきました。
主夫になり、妻に支えてもらった10年に対する感謝の気持ちがいっそう大きくなったそうです。「家に誰かがいてくれる状態で仕事をすることが、こんなに楽しいなんて」。妻の言葉にも、主夫になった意味を感じています。
中島さんは、地域の自治会やPTAにも参加。大好きなバスケには審判員として携わっています。家計を支えるため、パート勤務もしています。
教え子や元同僚には、こう投げかけられます。「教員に戻らないんですか」「もったいないよ」
ただ、中島さんはこう思います。
「教師を続けていれば、教師として幸せな時間が待っていたかもしれません。でも、主夫として家族と濃密な時間を過ごすことができました。視野も広がりました。今もまた、幸せなんです」
「男は仕事」「女は家庭」という固定的な役割分担の意識は、社会に根強く残っています。そうした中、立場を逆転させた「主夫」という立ち位置で見えてくるものは何でしょうか。
「主夫になってはじめてわかった主婦のこと」(猿江商會)の著書で「主夫芸人」を名乗る中村シュフさん(41)に聞きました。
中村さんは、2歳から9歳まで3姉妹の父親。妻がフルタイムで働き、中村さんが家庭の中心を担っています。
大学で家政学を専攻し「家庭」「保健」の教員免許を取得しています。卒業後はお笑い芸人となり「M-1グランプリ」にも出場。準決勝に進んだこともあります。
30歳。二つ目のコンビを解散し、身の振り方を考えていた時のことです。当時付き合っていた妻に「家庭に入ってほしい」と頼まれました。
「付き合っていた時から、一人暮らしの妻の元に通い生活のサポートをしていました。大学で家政学を学んでいましたし、家庭の中心になることに抵抗感はありませんでした」
そうして主夫になった中村さんは、性別で区別せず「シュフ」「非シュフ」と表現します。ただ、男性の多くが「非シュフ」であり、女性に負担が偏っていることは事実です。そうしたことを念頭に、主夫の立場から、妻を不快に思わせる原因を四つ挙げています。
「家事に流れがあることを理解していない」「派手な家事=ハデカジだけやろうとする」「自己満足」「恩着せがましい」――。
「『出産と授乳以外は何でもできる』と言われます。その通りだと思います」。それでも、と中村さんは続けます。
「出産や授乳だって、協働はできます。私は授乳中、のどが渇く妻用にストローをさしたペットボトルを常に持っていましたし、リクエストに応じておもしろい話で笑わせるようにしていました。男性に出来ないことは、かなり限られています」
中村さんは、家庭をやりくりすることを「デザイナー」という言葉で表現します。
「1日のどこにどんな家事や育児を配置するのか。組み立てるのが『シュフ』です。『権利』があるとも言えるでしょうか」
そして、そこに魅力と難しさがあると話します。「どんな組み立てがよいか、正解はありません。極端かもしれませんが、朝食を焼き肉にしてもいいんです。家族それぞれの希望にそいつつ、笑顔を最大化する。それがシュフの役割だと考えています」
家庭に関わることの意味を話す一方で、「シュフ」以外の顔を持つことの意義も説きます。「私が芸人の立場で働くことは、日常では使わない頭と体を活性化させる『積極的休養』の意味合いもあります。別の顔を持つことで、シュフ時間の疲れを癒やすことになる。結果的には、シュフ時間にもよい影響を及ぼしています」
19日、20日に配信予定の #父親のモヤモヤ は「主夫」がテーマです。記事に関連した取材班トークを20日10時にSpacesで予定しています。
— 父親のモヤモヤ📚『妻に言えない夫の本音』発売中 (@titioyamoyamoya) June 17, 2021
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