連載
孤独より「親子関係を外に出す」 発達障害の僕がたどり着いた子育て
子どもが生まれたあとに分かった発達障害、うつ病、休職……。ASD(自閉スペクトラム症)・ADHD(注意欠如・多動症)の当事者でライターの遠藤光太さん(31)は、紆余曲折ありながらも子育てを楽しみ、主体的に担ってきました。最近は小学生の娘の友達と仲良くなったり、サッカークラブのパパコーチになったりして、「親子関係を外に出す」ことを試みています。小学生の娘、妻との7年間を振り返る連載17回目です。(全18回)
娘と一緒に、保育園や小学校へと僕もよく行っています。
保育園で友達だったAくんは、僕を見つけると「おい!手出せ!」と言って、荒々しく“タッチ”をし、「強いだろ〜」と誇ります。Bくんは昆虫が好きで、クワガタや蝶(チョウ)の精密なイラストを描いて、「ここが触覚なんだよ」と教えてくれました。
父親として娘のサポートをしているつもりだったのに、僕が娘のクラスメイトたちと「友達」になっていっていました。娘も話に入ってきて、「Aくんよりも強いよ!」と僕の手を強く“タッチ”して遊んでいました。
娘が小学2年生のいま、一緒に学校へ行くと、昇降口で「学校行きたくない」と泣いている子がいます。また、教室内の授業になじめずに廊下で過ごしている子どもたちの中には、通級(指導)の先生や補助の先生のサポートを受けながら、教室に入ったり、他の教室で過ごしたりしている子もいます。
そこには、教室にはなじめなくてもそれぞれが豊かな感性を持った子どもたちのコミュニティがあります。4年生の“先輩”で、机を廊下に出して外から覗くようなかたちで授業に参加しているCちゃんは、自分のペースで何かを作って過ごすのが好きです。娘と一緒に寄って行って「今日は何作ってるの?」と尋ねると、「図工で使う道具を作ってみんなにあげてたらなくなっちゃったから、売り切れ!」と教えてくれます。
僕たちは、親子で一緒になってコミュニティのなかに入っていきます。
娘とふたりで大きな公園のアスレチックフィールドに行ったときには、一緒に同じコースにぶつかっていき、クリアしていきました。遊んでいる他の人たちからの視線に、何とはなしに晒されていると、親子関係がちょっと風通しの良いものになると思っています。
店内で本を読める書店に行って、ふたりそれぞれの好きな本を一緒に読んでいることも多いです。仕事に連れて行ったこともありました。娘が「休みたい」と言って休んだ日に外で打ち合わせがあると、先方におことわりを入れて、一緒に向かいました。
また、娘は地域のサッカークラブに入っています。保護者たちのボランティアによって運営されているクラブで、僕も“パパコーチ”として一緒に参加しています。他の親子も多く参加しているので、地域の関係性が作られてきています。
僕はそうしたカジュアルな関係性づくりはあまり得意ではありませんでしたが、親子関係をどんどん外に出していくことによって家族がより健全で持続可能になっていくと理解し、がんばっている最中です。1年以上経ったいまでは、気軽に話せる“パパ友”がいますし、娘もたくさんの大人たちに見守られ、育ててもらっています。
ちなみに、この連載「発達障害とパパになる」を書くことも、親子関係を外に出していく行為のひとつだと思っています。僕たち親子のことを知ってもらうことで、閉じられがちな子育てがより開かれていけばいいと思っています。
社会学者のピエール・ブルデューは『ディスタンクシオン』で「文化資本」という概念を示しました。「文化資本」はある意味では残酷な考え方で、経済的な豊かさに限らず、階級や資格が、世代を超えて引き継がれていきやすいことを指摘します。
経済的な豊かさや階級、資格に、僕は自信がありません。
しかし、一緒に外へ出ていく姿勢もまた、「文化資本」と考えられるかもしれません。親子関係を外に出し、一緒にコミュニティに入っていき、親子だけの閉じた関係性を外に広げていきながら社会に溶け込んでいく営みも、「文化資本」のひとつの形態として引き継げるのではないか、と。いま僕が持っている「資本」を探して、最大限に生かし、僕たちなりの「文化資本」を引き継いでいきたいと思っています。
この考えには、僕自身の実体験が強く影響しています。
障害には「社会モデル」と呼ばれ、障害が個人のなかにあるのではなく、社会との関係性にあるとする考え方があります。例えば、視覚障害のある人が案内板の情報を受け取れず、取るべき行動がわからなかったとき、障害は個人のなかにあるのではなく、視覚以外の情報を提供していなかった環境側との相互作用によって生じていると考えます。
発達障害も同じです。当事者の僕は聴覚過敏の特性があるため、会社員時代にはオフィスの音環境が苦手でした。しかし、上司と相談した上で、座席の配置を調整したり、耳栓やイヤフォンをつけて業務にあたったりして「障害」を薄めていきました。会社でしてもらった配慮や、妻と作ってきたコミュニケーションのやりやすい方法は、「資本」になっていきました。
社会との関係性に目を向け、行動することによって、生きづらさが緩和されていった経験は、子育てに生かされました。
娘の人生には、良いことだけではなく、さまざまな困難もあるでしょう。困難にぶち当たったとき、孤独に受け止めるのではなく、社会に自分を投げ出して、周りの人と一緒に取り組めば、解決できる可能性は高まると僕は実体験から感じています。
親は、子どもが頼れる人をひとりでも多く増やしたり、本人の特徴や特性を知って周りの人に伝えるフォローをしたりする、コミュニティマネージャーのような役割があると思います。
加えて、ただマネジメントをしているだけでなく、一緒に地域に出て行き、ときには他の子どもたちとも友達になったり、地域の担い手になったりしていく、プレイングマネージャー(選手兼任監督)のようでもあります。
親だけが子育てを抱え込むのではなく、コミュニティマネージャーやプレイングマネージャーとなって、みんなで支え合っていきたいです。
子育ての途中で、僕は孤独に打ち震えていました。うつがひどく、何もかもがうまくいかないときには、家族がすぐそばにいても「いつ離れていってしまうか」と不安で、誰にも相談できず、車の通らない細道で夜中を過ごしていたこともあります。
いまでは、孤独を避け、地域やインターネットに自分や親子関係を開いていくことで、孤独感が解消されました。そして、娘と僕のそれぞれの主体性を尊重し、いまは風通しがよく健全な関係を築けていると思います。
次は最終回です。「子育て苦闘の7年間」を振り返り、いま描いている未来を記したいと思います。
遠藤光太
フリーライター。発達障害(ASD・ADHD)の当事者。社会人4年目にASD、5年目にADHDの診断を受ける。妻と7歳の娘と3人暮らし。興味のある分野は、社会的マイノリティ、福祉、表現、コミュニティ、スポーツなど。Twitterアカウントは@kotart90。
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