連載
#27 金曜日の永田町
「ワクチンの開発はできる」と言ったのは誰? 自民を覆う五輪の呪縛
「差別禁止」は抵抗、執念で優先した法案
【金曜日の永田町(No.27) 2021.05.30】
菅義偉首相が東京五輪・パラリンピックを開催する意向を示した5月28日、オリパラ前の成立を目指していた法案が自民党の事情で見送られました。菅さんの求心力が低下するなか、私たちの社会や政治のアップデートを妨げている呪縛とは――。朝日新聞政治部の南彰記者が金曜日の国会周辺で感じたことをつづります。
5月28日。またもや金曜日の夜に、菅さんが記者会見を開きました。9都道府県の緊急事態宣言を6月20日まで延長するという内容です。
今年に入ってから、東京都に緊急事態宣言が出ている日数は、5月28日までの148日間のうちすでに107日間。まん延防止等重点措置の13日間も含めれば、8割以上の日が「日常」を奪われていることになります。
記者会見に先立つ衆参両院の議院運営委員会での質疑では、自民党議員からも「多くの国民の方々の自粛疲れを感じる」との声が上がりました。
「このところ、毎週のように宣言の延長とか、地域の追加とかを繰り返されて、国民が宣言を信用しなくなっている要因となっている。本当に6月20日に解除できるのでしょうか。政府は今回の延長を本当に最後にすると。そのような覚悟があるのか」
記者会見でそう問われた菅さんは、「感染対策の切り札のワクチン接種」と「従来の感染防止策」の二つを挙げ、「今回は二正面の対応で何としても封じ込めたい」と語りましたが、「最後にする」という明言は避けました。
その一方で、東京五輪・パラリンピック開催については、「関係者と協力しながら、安全・安心の大会に向けて取り組みを進めております」と発言。4人の記者から重ねて問われましたが、同趣旨の回答を繰り返しました。
こうした五輪ありきの姿勢には世論の批判が強まっていますが、菅さんに多少の同情を込めて、質問をしてみたいことがあります。
「昨年3月、『2年延期』ではなく『今夏開催』をIOC(国際オリンピック委員会)に提案した当時の安倍晋三首相の判断、責任についてどう考えるのか」
当時、大会組織委員会の会長だった森喜朗さんの証言によれば、森さんが「2年(延期)にしておいた方がいいのではないですか」と心配するなか、「ワクチンの開発はできる。日本の技術は落ちていない。大丈夫」と言って、1年延期を決めたのは、安倍さんでした。
安倍さんはその後の記者会見で、「再延期の選択肢はないのか」と問われても、「政府としては来夏に、人類が新型コロナウイルス感染症に完全に打ち克った証として、完全な形で東京大会を開催したい。日本だけで感染が終息すればいいということではない。開催するうえで、治療薬、ワクチンもきわめて重要だ」(昨年5月25日)と表明。翌6月のインターネット番組では、「早ければ年末くらいに接種できるようになるかもしれない」と語り、「ワクチンについては来年前半までに全国民に提供できる数量を確保することを目指す」(同年8月)と約束して、菅さんにバトンタッチしました。
「2年延期」であれば、当面のコロナ対策に集中し、より多くの人に望まれる形での開催も可能だったでしょう。菅さんも、「1年延期」が話し合われたIOCとの電話協議に官房長官として同席しているので連帯責任はありますが、足元の医療提供体制も整わず、ワクチン接種も遅れるなか、コロナ対策とオリパラ開催という二兎を追いかける菅さんの呪縛は、安倍さんの提案から始まっているのです。
さて、菅さんが改めてオリパラ開催を訴えた5月28日。オリパラ前の法整備を目指して、与野党で合意されたある議員立法について、自民党が見送りを表明しました。
LGBTなど性的少数者をめぐる「理解増進」法案です。
2014年2月のソチ五輪で、ロシアの「同性愛宣伝禁止法」が国際的な批判を受け、IOCが同年12月、五輪憲章に性的指向による差別禁止を加えたことを契機に、日本の対応が問われるようになりました。
しかし、安倍政権時代は進みません。当事者らの声を踏まえて「差別解消」に向けた具体策を盛り込んだ野党案と、差別禁止の規定が明記されていない「理解増進」にとどまる自民党案との溝が深く、停滞していました。
「(自民党の)理解増進法案については、ちょっと理解できない。なぜ、差別解消法案ではダメなのかと。世の中の機運と、永田町の温度には、まだ相当差がある。このまま停滞していると、すぐ(オリパラの)2020年がきてしまう」。現在、自民党会派に所属する細野豪志衆院議員(当時は野党)も2017年5月、このような批判をしていました。
認定NPO法人「虹色ダイバーシティ」が今年3月16日に公開した資料では、57カ国で性的指向に関する差別に対して広範に保護する法律が作られており、G7で国レベルの同性パートナーへの法的保障がないのは日本だけです。
「オリパラ前最後のチャンス」となった通常国会の会期末が迫るなか、自民の「理解増進法案」の法律の目的と基本理念に「性的指向及び性自認を理由とする差別は許されないものである」と明記する修正を加えることで、与野党が5月14日に合意。ようやく今国会成立で動き出しました。
ところが、自民党右派の議員が「差別は許されない」という表現を問題視します。
野党との修正協議にあたった元自民党政調会長の稲田朋美さんは、「性的少数者に対する不当な差別や偏見はあってはならない」という安倍さんの国会答弁を踏まえて修正案をつくりました。
それにもかかわらず、「差別の定義がはっきりしない」「訴訟が頻発する」「活動家に利用される」と言った反対論が噴出。「『差別はあってはならない』に戻すべきだ」「差別の前に『不当な』と入れるべきだ」と、安倍さんの答弁通りに再修正する意見が相次いだのです。
さらに、安倍さんが出身の自民党最大派閥・細田派の議員から、差別や偏見に基づく発言が繰り返されます。
「体は男だけど自分は女だから女子トイレに入れろとか、アメリカなんかでは女子陸上競技に参加してしまってダーッとメダルを取るとか、ばかげたことはいろいろ起きている」(5月19日)
「生物学的に自然に備わっている『種の保存』にあらがってやっている感じだ」(5月20日)
5月27日には産経新聞が、安倍さんがかつて反対して止めた「人権擁護法案」と「差別の定義が不明確な点がそっくり」で、「同様の危険性と弊害がある」と指摘する論説委員のコラムを朝刊で掲載。その中では、元財務相の故・中川昭一さんが「もしこの法律(人権擁護法案)が成立したら、私の政治生命は3日、安倍さんは1週間で終わるのだそうだ」と語っていた発言を紹介し、「人権擁護法案の愚、繰り返すな」と訴えていました。
そして、翌28日に開かれた自民党の最終決定機関の総務会でも「『差別は許されない』とあるが、差別について訴訟がおこることを懸念する」といった異論が続いて意見集約が難航。国会対策委員会の幹部から、国会での審議時間の確保が難しいという意見が出されました。
実際には、事前に与野党合意された議員立法であれば、会期末であっても、与野党が工夫して成立させることは可能です。しかし、差別や偏見に基づく発言で当事者たちをさんざん傷つけたあげく、「国会審議からすればなかなかタイトな審議になってしまう」と言って、今国会提出が見送られることになったのです。
与野党で合意されていた法案が成立すれば、政府は内閣府に担当部署を設け、「理解増進」に関する基本計画をつくることになります。自民党が終盤国会で、与野党合意の法案よりも優先したのは、同じく内閣府に担当部署を設けることになる「土地規制法案」です。
安倍政権が「安全保障等の観点」を理由に昨年7月の「骨太の方針」で打ち出したもので、それを引き継いだ菅政権が今国会に提出しました。
外国資本が自衛隊基地周辺や国境離島の土地を購入していることへの不安の声を受けて土地の利用規制をはかろうとする必要性は、多くの与野党が認めていますが、問題は法案の中身です。
法案は外国の工作員が取得した土地を収用する規定はない一方で、調査や規制の対象は、外国資本にかかわらず広く住民に及ぶからです。
「いわば『覚悟の工作員』に対して何ほどの『抑止力』となるというのでしょうか。せいぜい、調査対象として監視しているぞ、いつでも調査できるぞと言う程度の効力しかありません。他方、善良な市民にとっては調査の対象とされ、監視されることは、理由のない圧力になります」(公明党顧問の漆原良夫さんのブログ)
このように与党・公明党からも異論が出ていましたが、政府提出法案の提出期限を越えても粘る自民党右派などの執念で、3月26日に国会に提出されました。
そうしたなか、5月21日に衆院内閣委員会で始まった審議で、自民党のトップバッターで質問に立ったのは、法案を長年推進してきた杉田水脈氏です。
「安倍さんが『杉田さんって素晴らしい』というので、萩生田(光一・現文部科学相)さんとかが一生懸命になってお誘いして」
桜井よしこ氏が自身のインターネット番組で語っていますが、杉田氏は2017年10月の衆院選で、比例中国ブロックで比例単独候補の最上位とされて当選。翌年7月には月刊誌「新潮45」への寄稿で、同性カップルを念頭に「子供を作らない、つまり『生産性』がない」と主張して、辞職を求める抗議デモが自民党本部前で起きました。この時も、安倍さんは「『もう辞めろ』ではなく、まだ若いから、注意をしながら、仕事をしてもらいたい」と注意にとどめました。
その杉田氏は土地規制法案の質疑で、基地建設に反対する抗議活動に対して、「例えば、全国から派遣される反対派の人々によって起こる交通渋滞やプラカードを持った活動家が道路を占拠するなどによって、救急車などの緊急車両の通行の妨げになるなど、そういった影響も耳にしております。 また、フェンスに結ばれたリボンやガムテープで止められた横断幕、派遣された人々に支給されているお弁当のゴミなどが風に飛ばされるなどして、基地の中に入ってしまうことも十分に考えられます」と一方的な見方を示したうえで、次のように政府へ求めました。
「不法占拠による座り込みや道路交通法を無視した抗議活動についても本来であればこの法案によらずとも、取り締まることができる行為でありますが、本法案に照らしてみても、一見して直ちに重要施設の機能を阻害しているように見えなくても、そこから派生する影響等も十分に考慮して、本来の目的を果たしていただきたい」
こうした杉田氏の発言は「結局、基地や原発に反対する住民の監視・妨害に使われるのではないか」という疑念を高めましたが、自民党は5月28日午前、「参考人質疑などもきちんと行うべきだ」と質疑の継続を求める声を押し切り、衆院内閣委員長の職権で土地規制法案を採決。会期内成立に向けて前進させ、その数時間後に、LGBTなど性的少数者をめぐる「理解増進」法案の見送りを決めたのです。自民党右派の望み通りの結果となりました。
「現実政治を取材する立場にとって悩ましいのは、『イメージは自己実現する』という法則の作用です。『彼は強い』という評判がいったんできると、周りがそれを前提にして動く。その結果、本当にその意向が実現するというわけです。(中略)リクルート事件の責任を負って竹下登氏が首相の座を退いた後も、竹下派は政策のかじ取りばかりでなく、政権の命運にも大きな力を振るっています」
30年前、「再選ほぼ確実」とみられていた海部俊樹首相が退陣表明に追い込まれ、宮沢政権が誕生する政局の舞台裏を描いた「竹下派支配」(朝日新聞社、刊行は1992年)で、当時の朝日新聞政治部長が巻頭言にこのように綴っていました。その上で冷戦終結後の時代に対応できない政治への危惧も記しています。
「一つの派閥が政権の陰で『支配』を誇っている水面下で、自民党は全体としてかつての柔軟性と復原力を失ってはいないでしょうか。あたかも、自民党が長期政権を謳歌している背後で、日本の政治に対して国民が関心と信頼を失っているのではないかと懸念されるように」
社会のアップデートを妨げている、いまの政治に通ずるものを感じる指摘です。
「私はまだ諦めていない。国会はまだ、2週間以上ある。与野党で審議し、今国会で成立させたい」
5月29日もこのように「理解増進」法案の今国会成立を訴える稲田朋美さんのツイートを引用した「稲田龍示」氏のアカウントは、こうつぶやいていました。
〈南彰(みなみ・あきら)〉1979年生まれ。2002年、朝日新聞社に入社。仙台、千葉総局などを経て、08年から東京政治部・大阪社会部で政治取材を担当している。18年9月から20年9月まで全国の新聞・通信社の労働組合でつくる新聞労連の委員長を務めた。現在、政治部に復帰し、国会担当キャップを務める。著書に『報道事変なぜこの国では自由に質問できなくなったのか』『政治部不信 権力とメディアの関係を問い直す』(朝日新書)、共著に『安倍政治100のファクトチェック』『ルポ橋下徹』『権力の「背信」「森友・加計学園問題」スクープの現場』など。
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