連載
#2 アップリンクのいない渋谷
アップリンク渋谷の閉館、佐々木敦さんの嘆息「文化の場所が動画に」
見続けた街の「ひとつの終わり」
渋谷のサブカルを支えた映画館「アップリンク渋谷」が閉館します。記者も片田舎の中学生時代から映画館目当てで通ってきた渋谷が、今はすっかり変わってしまったように思えます。渋谷の宇田川町に26年間、事務所を構える佐々木敦さんに、変化を聞きました。(朝日新聞記者・田渕紫織)
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コロナ禍で映画館の閉館が相次ぐなか、閉館が決まった日本の代表的なミニシアター「アップリンク渋谷」。寂しさを抱えて、ライバル館の支配人や「ミニシアター育ち」という映画監督らを訪ねた。【記事はこちら】
緊急事態宣言下の休日の日中。スクランブル交差点の人出は、コロナ前より少し少ない程度でした。109は休業中。待ち合わせに指定された渋東シネタワー2階の喫茶店も、同じビルに入る「TOHOシネマズ渋谷」の休業とともに閉まっていました。取材日時点で、11館ある渋谷の映画館の中で、7館が休業中でした。
インタビューは、渋谷のミニシアターが次々と閉館してしまう寂しさを佐々木さんにぶつけることから始まりました。
――アップリンク渋谷の閉館、5年前のシネマライズの閉館に引き続き、色んな意味でショックでした。
閉館を知って「来るべきものが来たな」と思いました。
ただ、閉館と言っても、アップリンク吉祥寺やアップリンク京都は残るわけで、アップリンクの撤退というよりは、渋谷からの撤退なんですよね。
これはユースカルチャーの衰退や変質と無縁ではないと思います。
――それでもなお、個性的な映画館は渋谷に集まっていますよね……。
1980~90年代、渋谷は間違いなく若者文化の中心地でした。世界の中でもレアなレコードショップが集まっていて、渋谷に行けば世界的にも新しい音楽が聴けたのと同じように、新しい映画が見られる街というのが売りだったんです。
だから、僕が26年前、迷うまでもなく自動的に渋谷に自分の事務所を構えたのと同じように、渋谷の老舗ミニシアターたちも、必然的に渋谷を選んだんだと思います。
――今もたくさん若者は集まってきていますが……。
今もたしかに渋谷は若者の街だけれど、文化との結びつきは薄くなっている。
もちろん昔からアムラーや109的な世界はあって、でも表裏一体としてアングラ映画をかけているミニシアターがあった。
でも、裏にあったサブカルの方がどんどんへたっていった結果、ハロウィーンやサッカー日本代表戦の時以外は注目されない街になってしまいました。
――私は今30代半ばですが、「渋谷」「センター街」と聞くと、特別感と同時に、中高生時代を思い出して独特のコンプレックスも感じます。
僕の事務所は宇田川町の真ん中にありますが、1990年代だともっとダーティーな、危険な雰囲気がありましたよね。中東系の人が路上でテレカを売っていたり、テレカ以外のものも売っていたり。
センター街を「バスケットボールストリート」と呼ぼうとしたあたり(10年前)から、浄化が始まり、よくなっていった部分もあれば、一緒に色んなものも消えていったのだと思います。
――今の10代、20代の渋谷に関する感覚は違うんでしょうか?
緊急事態宣言下の今も(飲食店の時短要請時間の)20時を過ぎても渋谷に向かってきたり、センター街のはじっこの真っ暗な中で路上飲みをやったりして、若い子は集まってきている。
無軌道な若者というのは間違いなく今も昔もいますが、受け止める文脈や環境から、ユースカルチャーの部分がしぼんで、消えてしまったんでしょうね。
そういう意味で、アップリンクが閉まるのは、渋谷のひとつの終わりの象徴だと思います。
――代わりにどこの街に移っているんでしょう?
それが、ないんですよね。文化の居場所が動画配信やサブスクの世界に移っていったということなのでしょう。
――渋谷のミニシアターには、有楽町や新宿のミニシアターと違う、独自の雰囲気があります。
新しいタイプの、若い、先鋭的な国内外の映画作家の作品をかけているということに尽きると思います。世界的な評価が定まっていない、異端の監督をどんどん推していた。サブカルの中でも特にとんがった部分ですよね。
特に、アップリンク、ユーロスペース、イメージフォーラムの3館。
これにシネマライズを加えて「渋谷の四角形」だったのが、シネマライズが5年前になくなって「三角形」になり、今度はアップリンクもなくなって「二辺」になった。
渋谷のミニシアター文化の最後の砦のひとつが去って、いよいよエンディングテーマが聞こえてきてしまったという気持ちです。
――渋谷の映画館の中でも、アップリンクは異色の存在だったように思います。
アップリンク渋谷は近年は二番館的な映画館として存在意義がありましたが、以前はもっとカルト的な映画が多かったように思います。
変わった上映方法も特徴でした。何年も前、七里圭監督の映画「眠り姫」を、映像一切なしで真っ暗な中で音だけ流すという上映を見ました。空間の感覚がなくなって、徐々に狂っていくストーリーと相まって、怖かったですよ。忘れられません。
パワハラの問題(※)は全く擁護できませんが、このタイミングでの閉館だというなら、おそらくコロナ前から決まっていたのではないでしょうか。
――コロナ下の渋谷は今、どう変わりましたか?
飲食店に注目が集まりがちですが、そのほかの渋谷の店は今も、映画館と本屋とタワーレコードとデパート以外はたいてい普通に営業しています。開けないと潰れてしまうミニシアターを除いて。
緊急事態宣言を受けた休業要請の線引きに「生活必需品」という謎の言葉が出てきて、特に本や映画や音楽などの文化がいじめられていると感じます。
いじめられて、文化の中の人が声を上げても、それ以外の人たちの中に「いいんじゃない?」という空気があるのを感じて、胸が苦しくなる思いです。
私も見て見ぬふりしていたかも――取材を終えて
「渋谷」や「センター街」と聞くだけで、高揚感と同時に、気後れを感じるのは、世代的な感覚でしょうか。
中高・大学生時代、渋谷のミニシアターに向かう途中は、まさに気後れして、下を向いて早歩きしていていました。
それでも、映画館に着くと、聞いたこともない映画の話をしたり見たこともない服を着たり分厚いサブカルの本を読んだりして上映を待つ大人たちがロビーにいて、世界中の実験的映画を見て、時に打ちのめされて、有楽町や新宿で映画を見るのとは違う特別感がありました。
自分は映画館に育ててもらったのに、コロナ禍で映画文化がますますしぼんでしまっている現実に対し、どこかで諦め、見て見ぬふりをしていないか。自問しました。
アップリンクとは
1987年、映画の配給会社として設立。
1995年、渋谷・神南にイベントスペース「アップリンクファクトリー」を開設し、映画も上映。2004年、宇田川町に「日本一小さな映画館」と銘打って「アップリンクX」を開設。CNNで取り上げられる。2006年、二つを統合した映画館「アップリンク渋谷」を開く。
2018年にアップリンク吉祥寺、2020年にアップリンク京都を開設。
2020年、元従業員の男女5人が、在職中に代表の浅井隆代表からパワーハラスメントを受けたなどとして、浅井代表とアップリンクを相手どり、損害賠償請求を求める訴訟を東京地裁に起こし、同年、和解した。(※)
アップリンク渋谷は、映画設備の老朽化などを理由として、2021年5月20日に閉館。
コロナ禍による観客の激減も重なった。
配給した映画は、黒沢清監督の「アカルイミライ」やグザヴィエ・ドラン監督の「わたしはロランス」、アレハンドロ・ホドロフスキー監督の「エンドレス・ポエトリー」など、国内外で多数。
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