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連載

#16 マスニッチの時代

iモードのCM〝忘れられた場面〟「平成ネット史」が伝える令和の未来

ドリキャスでネット、小室哲哉の楽曲配信

平成の30年間で劇的に変わったインターネットの世界
平成の30年間で劇的に変わったインターネットの世界 出典: 朝日新聞

目次

人々の生活になくてはならない存在になったインターネットですが、その発展の歴史は平成の歴史(1989年から2019年)に重なります。パソコン通信から始まり、ウィンドウズ95、iモード、iPhone、SNS……。そして令和に入り、リモートワークや、キャッシュレスが急速に進んでいます。そんなネットの歴史をまとめようと挑戦したのが、2019年にNHKで放送された『平成ネット史(仮)』です。とらえどころのないネットの世界の「過去と未来」は番組制作陣にどのように映ったのでしょうか? 中心となった2人の言葉から平成の先にある「令和ネット史」について考えます。

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#マスニッチの時代
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『平成ネット史 永遠のベータ版』(幻冬舎)
 

ネットのきっかけは「ドリキャス」

話を聞いたのは、NHK『平成ネット史(仮)』取材班の、神原一光さんと、角田知慧理さんです。2019年(平成31年)1月にNHKのEテレで放送された『平成ネット史(仮)』は、2021年(令和2年)に『平成ネット史 永遠のベータ版』(幻冬舎)として書籍化されました。

1980年(昭和55年)生まれの神原さんと、1985年(昭和60年)生まれの角田さん。この5歳の違いが、ネットの多様性を象徴する要素になっています。

まず、ネットに触れたきっかけについて。

 

神原さん

大学に入って、パソコンが置いてある専用の教室で体験しました。当時、常時、ネットにつながっているパソコンは大学にしかありませんでした。家では定額制の電話サービス「テレホーダイ」で夜な夜なネットをしていました。サイズの重い画像はカクカクしながらダウンロードしたのを覚えています。

 

角田さん

ドリキャス(セガが1998年=平成10年に発売したゲーム機「ドリームキャスト」)です。コントローラーで操作しながら友だちのサイトを見ていました。学校とは違うもう一つの遊び場という感じでした。また、ネットで知り合った仲間たちと、ドリキャス越しにトランプの大富豪で遊んだりもしていました。

さっそく、家庭環境による違いが現れていますが、神原さんの体験は、1977年(昭和52年)生まれの筆者とも重なります。一方、「父親が早くからパソコンを触っていた」という角田さんはちょっと珍しいパターンかもしれません。ただ、今やゲームとネットは切っても切り離せない関係になっています。

神原さんの記憶に刻み込まれた「画像カクカク」は、ネットと通信速度の関係を考える上で重要です。電話回線からADSL(2001年=平成13年から展開された「Yahoo!BB」によって広まったブロードバンド回線)になり「画像カクカク」のストレスはなくなりました。神原さんは、このような通信速度の変化がネットの発展に大きな影響を与えたと指摘します。

角田さんの原体験であるドリキャスは、ネットがあらゆるものに接続される「IoT(Internet of Things)」の世界の先取りと言えます。「IoT」はスマホの通信速度が劇的に速くなる「5G」時代の主戦場になるとされています。ゲーム機だけでなく、医療分野における遠距離での診断や手術、自動車の自動運転など、高速回線による常時接続が現在進行形で世の中を変えようとしています。

角田さんが初めてネットに触れたドリームキャスト。右端の小さな「ビジュアルメモリー」は携帯型ゲームとして使えた
角田さんが初めてネットに触れたドリームキャスト。右端の小さな「ビジュアルメモリー」は携帯型ゲームとして使えた
出典: 朝日新聞

「ピーピーピーピーヒョロロロ」

次に考えたいのが、ネットのユーザーの変化です。パソコン通信の時代は専門知識のあるマニアの世界だったネットですが、今では生活インフラとして老若男女にとって欠かせない存在になっています。ネットの大衆化についても2人のスタンスは微妙に違いがありました。

 

神原さん

印象的だったのが小室哲哉さんの「TK Gateway」(1996年=平成8年開設)です。日々の動きが発信されるだけでなく、楽曲データの配信まで行われる先進的なサイトでした。「nakata.net」(1998年=平成10年開設)では、イタリアのチームに移籍した中田英寿さんの情報が、今のツイッター(2008年=平成20年、日本版スタート)のような感覚で直接発信されるようになりました。そして初代iMac(1998年=平成10年発売)のおしゃれなデザインは、インターネットがみんなのものになった象徴ではないかと思います。

 

角田さん

「iモード」がスタートした1999年(平成11年)の2年後、高校1年生になった時には、ほとんどの同級生が「iモード」などのモバイルインターネットができる携帯を持っていて、それがないと仲間に入れないほどでした。「写メ」などによるコミュニケーションが当たり前になり、手のひらにネットもできるモバイル端末が一気に広がるきっかけになったと思います。

神原さんが強調したのはネットとエンタメの結びつきです。放送された『平成ネット史(仮)』をあらためて見返すと、「電車男(2005年=平成17年に実写化)」「FLASHアニメ」「初音ミク(2007年=平成19年)」といった、ユーザーに身近な出来事が中心になっています。「iモード」のCMには広末涼子さんが「銀行振り込み」をアピールする場面もありましたが、実際、ユーザーが使ったのは「絵文字」に代表されるエンタメ的なものでした。

神原さんは「番組では、ビジネス上の競争という側面ではなく、カルチャーにこだわった」と明かします。それは、当時の角田さんのような「普通の高校生」にネットが広まることが「平成ネット史」の核心だと思ったからです。

一方の角田さん。番組作りに際して向き合ったのが「インターネット老人会」でした。「インターネット老人会」とは、神原さんや筆者を含む、ネットがマニアのものだった時代を知る人たちをあらわすネットスラングです。当時を懐かしがりながら「ピーピーピーピーヒョロロロ」というネット接続時の電話回線の音を懐かしむといったコミュニティーを指します。

そんな「インターネット老人会」にまつわる投稿を「見まくった」という角田さん。「その時代の人たちは自由でカオスで、何でもできるネットを愛しているネット大好きな人たちだった」と言います。同時に「今の若者たちは、パソコンとネットが結びつかない。ネットとリアルの差がないという感覚の違いを実感しました」と振り返ります。

エンタメから広がったネット。それはやがて、多くの人のコミュニケーションの定番スタイルとして定着するとともに、「持っていないと仲間に入れない」(角田さん)という存在になりました。

便利な面はあるのになかなか広まらない「マイナンバー」のような事例を考えると、新しいサービスが広がるきっかけに「使って楽しい」というきっかけがあったことは見逃せません。

NTTドコモでiモードを生み出した左から夏野剛さん、松永真理さん、榎啓一さん=2005年、朝日新聞
NTTドコモでiモードを生み出した左から夏野剛さん、松永真理さん、榎啓一さん=2005年、朝日新聞
出典: 朝日新聞

ネット上の「信用」が人生を左右する

ネットは情報発信の構造を変えました。メディアにとっても無関係ではいられないこの変化について、2人はどのように考えているのでしょうか?

 

神原さん

ニュースポータルのようなサービスが全てを変えた。巨大なユーザーを抱えているネット事業者に対してメディア側が翻弄(ほんろう)されたのが平成だったのではないでしょうか。その上でメディアにしかできないことは何か、考えなければいけなくなっています。エンタメの世界で言えば、「ニコニコ動画」(2007年=平成19年開設)のようなサービスから紅白歌合戦に出場するアーティストが生まれています。その時、メディアに求められるのは情報を発信するだけでなく、情報の「目利き」のような役割かもしれません。

 

角田さん

大学生だった時にブログ(代表的なサービス「ココログ」は2003年=平成15年開始)が広まりました。ホームページを作る専門知識がない人も発信できるようになったのは大きく、個人がメディアになりました。そのような環境においてテレビ局や新聞社など既存のメディア側には「全部さらけだす」姿勢、情報のトレーサビリティー(履歴管理)が求められている気がします。様々な主張を両立させて提示するのもメディアの役割になっているのではないでしょうか。

書籍『平成ネット史 永遠のベータ版』の最後は、ネットの未来に割かれています。そこでキーワードになるのが「信用」です。

番組にも出演した評論家・批評家の宇野常寛さんは、ネットでの評価が存在感を増している状況について、次のように指摘しています。

<いまのテクノロジーとか情報環境を前提に考えると、その「信用」を必ずしも「お金」という形にしなくてもいいって気づき始めているってことなんですよね>
『平成ネット史 永遠のベータ版』(幻冬舎)

既存のメディアの存在感が小さくなっている理由の一つに挙げられるのが「信頼感の低下」です。神原さんは、これまでの「上から目線」と言われていた情報発信をユーザーと同じ「横から目線」に変える必要があると強調します。その指摘は、「絵文字」などユーザーに身近なエンタメ的側面から圧倒的支持を集めた「iモード」の姿に重なります。

角田さんが番組を作るに当たって使い倒したのがツイッターでした。

「あなたにとっての『平成ネット史』を募りました。人によって様々なネット史があることを前提に構成を考えました。一つの答えがないのがネットです。だから、番組名に(仮)を入れました」

ネットの本質を突き詰めた結果、大事にしたのが、何かを決めつけず、多くの人を巻き込む姿勢でした。

【写真左】新しい元号「平成」を発表する小渕恵三官房長官(当時)=1989年1月7日/【写真右】新元号「令和」を発表する菅義偉官房長官(当時)=2019年4月1日、首相官邸、西畑志朗撮影
【写真左】新しい元号「平成」を発表する小渕恵三官房長官(当時)=1989年1月7日/【写真右】新元号「令和」を発表する菅義偉官房長官(当時)=2019年4月1日、首相官邸、西畑志朗撮影 出典: 朝日新聞

マニアの世界から、エンタメ要素を足がかりに大衆化し、ブログ、SNS、銀行決済まで広まったネット。その足跡は、個人の間のコミュニケーションや、社会への情報発信、金融などもともと存在していた様々な分野にネットが「信用」され定着していった歴史と言えるかもしれません。

「令和のネット史」を考えた時、もはやネットそのものが社会になりつつあります。書籍『平成ネット史 永遠のベータ版』では、ネット上の行動が信用情報として評価される未来も語られています。

実際、中国ではアプリでの行動履歴が、金融取引にまで影響するようになっています。ネット上の「信用」が個人の人生を左右する未来はそこまで来ているのかもしれません。それは、これまでの古い慣習やしがらみからの開放とともに、当然、個人情報の取り扱いなど新たな課題を突きつけます。

番組に「ネットの歴史上の人物」として出演した堀江貴文さんは、ネットとの向き合い方について次のように述べています。

<変わっていく世界に合わせて「自分を最適化」し続けていくしかない>
『平成ネット史 永遠のベータ版』(幻冬舎)

変化が避けられないのだとしたら、それを受け入れ主体的に向き合う。「令和のネット史」は、何かの〝代わり〟や〝おまけ〟としてのネットではなく、「ネット=自分そのもの」について真剣に考える歴史になるのでしょう。

 

人々の関心や趣味嗜好(しこう)が細分化した時代に合わせて、ネット上には、SNSやブログ、動画サービスなど様々なサービスが生まれています。そんな中で大きくなっているのが、限られた人だけに向けた「ニッチ」な世界の存在です。ネットがなかった頃に比べれば手軽に様々な情報を得ることができるようなった一方、誰もが知っている「マス」の役割が小さくなったことで、考え方の違う人同士の分断を招きかねない問題も生まれています。膨大な情報があふれるネットの世界から、「マスニッチの時代」を考えます。

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