3.11から今年で10年。最近でも地震や台風や大雨など様々な自然災害が頻発しており、支援のあり方は常に問われ続けています。岩手を中心に東北の被災地に寄り添い続ける女優・創作あーちすとの、のんさんは地元とつながるために「仕事」として訪れることが大切だと言います。様々な災害支援の現場を取材されてきた荻上チキさんは災害時に善意のデマが飛び交う現実から「支援訓練」の重要性を説きます。それぞれの立場から復興支援の今後について考えます。
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※クリックすると特集ページに移ります(タイトルイメージは、女優・創作あーちすと のんさんの原画を元に作りました)。
のんさんと、荻上チキさんによるトーク「新しい復興支援」は、3月26日、27日に開催された「ジャパンSDGsアクションフェスティバル」のセッションとして企画されました。司会はFUKKO DESIGN理事の木村充慶がつとめました。
木村:のんさんは岩手を中心に東北の様々な被災地に行っていますよね。
のん:はい、いろいろと行かせてもらっています。3年前には全線開通する直前の三陸鉄道の沿線を見に行きました。もうすぐつながるという時に、周りはどのような感じなのかなということで見させてもらいました。
木村:三鉄の周りは実際にどんな感じでしたか?
のん:たとえば、大槌町のお魚屋さん。こちらのご主人はすぐにお店を再開させたのですが、すごく力強くて。被災直後はまだ帰ってきづらい空気があるけど、自分が真っ先にお店を構えることで、みんなが帰ってきやすい空気をつくりたいとおっしゃっていました。それがすごく素敵だなと思いました。
木村:元の場所に戻りたいという自分の思い以上に、周りの人のためにやったと。
のん:そうですね、みんなが帰ってきたらいいなという思いでやってらっしゃるといっていました。荒巻シャケをバックに撮ったのが良い思い出です(笑)
荒巻シャケをバックにお魚屋さんと一緒に(LINE NEWSより)
チキ:立派なさけですね。
のん:すごく、おいしそうでした(笑) あと、刺し子のプロジェクトをやっているところにうかがって、刺し子を教えていただきました。
木村:刺し子というと、縫い目を線として柄をつくる刺繍(ししゅう)のようなものですかね。
のん:そうですね。いろんな柄があります。全国のお店でも販売しているところです。みなさん優しくて、すごく温かく迎えてくださって。刺し子で、めちゃくちゃかわいいブローチをつくりました!
地元の方に刺し子を習うのんさん(LINE NEWSより)
木村:普通に楽しんでいるという感じですね(笑) 復興支援という意味合いかなと思ったのですが、のんさん的には、どういう気持ちで行かれたのですか?
のん:私は東北にお世話になっているという気持ちが強いので、とても思い入れがあるんです。東北のいいところ、例えば、おいしいものだったり、景色がきれいな場所だったりを知ってもらいたいなとか、復興が進んでいる中で、復興のために尽力されている人のこととかを広めていきたいなとか、色々な気持ちがあります。
木村:チキさんはのんさんの活動をどう感じましたか?
ドラマ「あまちゃん」の力を語る荻上チキさん。DVDも所有しているという==近藤浩紀撮影(ソー写ルグッド株式会社 協力フォトグラファー)
チキ:三陸鉄道はのんさんがドラマ「あまちゃん」で演じていた舞台ですよね。非常に多くの被害を受けた場所ですが、こうやってドラマの舞台に使われるということによって、「ドラマの聖地」になるわけですよね。
そうすると、多くの人たちが、災害支援のためではなく、ドラマの聖地巡礼のために遊びに行きます。遊びに行ったついでに支援をするという格好だったり、あるいは支援するつもりはなくても、写真を撮ったり、ご飯を食べたり、お金を使ったりする。それが結果的に支援になると思います。
のんさんが支援のためではなくて、ご縁があるから活動を続けていることと同じように、のんさんの活動を応援するようなファンの方たちも、支援のためではなく、のんさんに影響されて遊びに行き、そこで、ご縁ができて通い続けるようになるということになる。そうしたことがとても大きな力になると思います。
木村:ご縁が結果的に支援につながるんですね。
チキ:そのような縁は継続しますよね。その中でもやっぱり地元の鉄道、バス会社、タクシーの方々、漁師とか、いろいろな方々がドラマ、のんさんの活動を応援していますよね。今でも行くと声かけられたりしますよね?
のん:そうですね。みなさん親戚みたいに思ってくれています。「おかえり」と言っていただけますね。
チキ:いいですね(笑) その時は、なんて言われるのですか?
のん:あまちゃんって言っていただくときもあるし。
チキ:あきちゃんとか?
のん:そうですね、それもあります。でも、のんっていう名前をみなさん知っていただいていて、「のんちゃん、おかえり」と言っていただくことが多いです。
チキ:ホームになっているのですよね。そうしたつながりというのは、視聴者の方とか色々な方々にも印象が残るものなので、「じゃあ、行ってみよう」、「あ、ここはあまちゃんの舞台だったから行ってみよう」というように現地に行く、一歩を踏み出すきっかけにもなりますよね。
プレハブを利用したラーメン屋さんに入るのんさん(LINE NEWSより)
チキ:他にも、プレハブを利用したお店が連なるような商店街とかもご覧になりましたか。
のん:うかがいました。みなさんすごくポジティブにがんばっていらっしゃって。プレハブでやってらっしゃるラーメン屋さんにもうかがったんですけど、「またお店を構えるのが決まったのでしっかり頑張りたい」とおっしゃっていて、すごく明るく迎えていただきました。
チキ:災害直後ですと、電気もなく、明かりがなかったのですよね。そこにお店ができて、街に明かりがついた。そこに食べに行ける。温かいものが食べられる。しかも、行くと人々と出会える。「あ、どこどこに行ったの?」と再会も果たせるようになります。
お店というのは本当にいろいろな役割があるので、ものを売るだけじゃないんだなということがよくわかると思います。
木村:のんさんは今年の2月に「東日本大震災復興10年 復興応援コンサート」と銘打った配信ライブをやりましたよね。
のん:はい、やらせていただきました。(「あまちゃん」の音楽を担当した)大友良英さんなど色々なミュージシャンの方々とやりました。また、釜石にいる地元の方たちと、「この街は」という私が東北を思って作った曲を一緒に歌ったりしました。
2月に行われた「東日本大震災復興10年 復興応援コンサート」で歌うのんさん(本人提供)
木村:地元の方々と一緒に歌ってどうでした?
のん:すごいうれしかったですね。みなさんと同じ気持ちになれている感覚があって感動的でした。終わった後に、「東京とつながっている感じがしてうれしかった」と言ってくださった高校生の方がいて。私もその思いがつながっている感覚があって、また改めて東北とつながっていたいなという気持ちになりました。
木村:のんさんにとっては「つながる」というのがとても大切なんですね。
のん:そうですね。思い出ができると、その場所が大切になるので。この場所が好きとか、このご飯が好きとか、そういう自然な気持ちで関わっていけるような気がします。
チキ:「つながる」の反対は「忘れられる」とか、「見捨てられる」ということだと思うので、高校生の方の反応はすごく印象的ですよね。要はつながっているような感じがするのは、それをきっかけに、やっぱり支えられているという実感を得られるということでもあると思うのです。
私は被災地支援をしている方々に取材をしてきましたが、「お金で貢献する」、「人の力で貢献する」、「継続的に関心を持っているよというのを伝え続けることで応援する」など、いろいろな形の支援があるんですよね。その中で、ライブとかコンサートを通して、東北の方にまなざしをむけるというのはとても大きな役割だと思います。
木村:多くの人をつなげていますよね。ちなみに、つながり続けるために「仕事をつくる」という視点もあるなと思うのですが、のんさんはどうでしょうか。
近藤浩紀撮影(ソー写ルグッド株式会社 協力フォトグラファー)
のん:私も東北でお仕事をさせていただく機会がたくさんあるんですけど、やっぱり仕事にすると、生活の一部になっていくので、時間に追われずに関われるような気がします。
木村:休みの日にボランティアで関わるということでは限りもあるし、仕事にした方がしっかり時間をかけていろいろなことができますよね。
チキ:「仕事にする」というは被災者の方にとっても大事な視点です。被災されると、「家も仕事もなくなってしまった」、「人との関わりもなくなってしまった」っていう喪失感に加えて、「今から何をすればいいのかわからない」、「何もできない」という無力感を感じてしまう。
その無力感を補うために、役になっているという「有用感」はとても大事だと思います。「仕事がある」、「仕事があると、人に喜んでもらえる」、「人に喜んでもらうと、自分には役割があるんだ」ということが確認できる。そうしたようなことがあるんです。
木村:仕事が自分の役割を生むんですね。
チキ:災害支援には「キャッシュフォーワーク」という概念があって、被災地のために炊き出しをするとか、洋服を無料で配るとかじゃなくて、その次の段階にいくために、被災地の雇用を作って、その雇用を被災地の方々につとめてもらって、それをお金に変えるというような活動があるんですね。
例えば、釜石では「和RING-PROJECT」というプロジェクトがありました。あちこちに瓦礫(がれき)が落ちているんですけど、その瓦礫をただ片付けるだけじゃなくて、瓦礫を加工して、それをキーホルダーに変えて販売をする。そうすると、瓦礫を集めてきて、それを切り開くために、様々な建築関連のお仕事をされている方がまず働ける。それを今度はヤスリかけてニスを塗ってという加工するのに、様々な避難所であるとか、あるいは仮設の住宅で暮らしているような方々、特に女性の方がパートで一個一個磨いて、キーホルダーに変える。
そして、今度はそれをお店が販売するということで、職人さん、パートの方、お店に雇用、お金を落とすっていう、そういうことをやっているんですよね。あまちゃんでも、「浜のミサンガ 環」をモチーフにして、ミサンガを作っていましたよね。あれは漁師の方々の使えなくなった網を使ってミサンガを作って販売されるというものでした。のんさんもずっと付けていましたよね。
被災者たちがガレキからキーホルダーをつくるプロジェクト(災害支援手帳より)
のん:はい、つけていました。
チキ:あのミサンガがあまちゃんの中で使われることで、「あのミサンガ、自分もほしい」、「じゃあ自分も買いに行ってみよう」、「これ、漁師の方々の網をリサイクルして、使えなくなってしまった破れた網をリサイクルしてミサンガにしてるんだ」という形で物語を知ります。そうすると、誰がどういう被災をしたのかということを学べる、というすごい重要な役割があると思います。
木村:のんさんは岩手を思って曲を作られましたよね。
のん:はい。「この街は」という曲です。もともと岩手で流すTVCMの楽曲ということで依頼をされて作ったんですけど、東北全体、東北を思って作ろうと私は決めて詩を書きました。
初めは、東北を応援するような詩にしようと思って書いていたのですけど、直接的に頑張れというにはおこがましいなと。みんなが頑張っているときに、がんばれって追い込めないという気持ちがあって。
それで、改めて地元の人たちが「ここが素晴らしいところなんだ」というのを再確認できる曲になったらいいなっていうふうにたどり着いて、今の詩になりました。
木村:特に大切にした言葉はありますか。
のん:そうですね、「この空は心地いい」とか、「この山は気持ちいい」とかですかね。東北の風景を思い浮かべられるような詩を意識しました。
木村:聞かれた方のリアクションはありましたか?
のん:岩手のみなさん、「この街は」を知ってくれていますね。テレビのCMで流れているので、「毎日聞いているよ」と言ってくれたりもします。歌に残したというのをすごくうれしく思っていてくださる方がたくさんいらっしゃいました。
チキ:ドラマ「あまちゃん」の中でも、地元というのが一つのキーワードになっていますよね。また、のんさんとよく一緒に活動されているミュージシャンの大友良英さんも、福島の子供たちと踊れる音頭を作ったりして、その地域特有の音と記憶を結びつける活動をされていると思います。
一度、地域コミュニティーがものすごく打撃を受けたからこそ、その後の風景を語るために、今まであったものを復興することだけでなく、これからを語る上で、新しいものを作って、それを結びつけるという活動は大事です。特にアーティストの方々が中心になって、そのような活動をされているわけですね。
木村:アーティストだからできることはありますよね。
チキ:もちろん、支援はたくさんあって、ものを送るとかは、ものを持っている方だと動きやすいです。一方で、アーティストの方や、コメディアンの方って、初めのころ、結構悩まれているという声を聞いたんです。自分たちに何ができるんだろうかと。
でも、そういった創造性のあることでできる支援ってとてもたくさんあるんです。その街のアイコンをつくるとか、曲をつくるとか、ドラマを作るとか。そうしたものを通じて注目を集めることはもちろん、新しい風景をともに描くことができるんです。アーティストの方々には、本当にいろんな役割があります。のんさんの力を生かし、曲を作るというのはとてもいい表現だと思う。
木村:最近だと、のんさんは絵も描かれましたよね。久慈の公共施設「yomunosu」に寄贈されたと。
のん:はい、図書館や、案内所、カフェなどがあったりして、観光にきた人も、地元の人も集う場所ということなんですけど、そこに飾る絵を描いて欲しいというふうに言っていただき、描かせていただきました。みんなが集う場所ということで、リボンをたくさんはりつけた絵を書きました。
久慈の公共施設「yomunosu」に寄贈したのんさんの絵(本人提供)
木村:リボンを貼った絵なのですね、面白いですね。絵にはどんな思いを込めたんですか。
のん:これは1人の女性を描いているんですけど、みんながここに描かれた女性みたいに、yomunosuに集まってきて欲しいなという思いで描きました。
木村:地元の人も遠くの人も同じような形で来て欲しいという思いで。
のん:そうですね、やっぱり、あまちゃんの聖地として巡礼してくれる人もいるんです。私が絵を描いて、それをもとめて観にきてくださる方がいたら、それはうれしいなと思って。少しでもお力になれるんだったらいいなという気持ちがすごくあります。
木村:10年経ってもこうやって応援してくれるというのは地元の人にとってもうれしいですよね。
のん:でも、私は恩返しがしたいと思ってうかがうんですけど、逆にみんなにおかえりといってもらったりとか、おいしいご飯をいただいたりとか、その度に逆に元気付けてもらっているので、この関係はずっと永遠に続いてくのかなと思います。
木村:恩返しという感じなんですね。
のん:んー、そうですね。思い入れがあるから、より東北に行っているというところはあるかもしれないですね。
木村:チキさんは、今後の災害にどうやって向き合うのが良いと思いますか。
チキ:国とか行政の支援というのは公平というのが問われますけど、民間の支援って、贔屓(ひいき)が大事なんですよ。贔屓というのは悪い言葉としてよく使われますけど、商売とかだと、ご贔屓にしていただいてありがとうございますとか、私のことを思い出してくださってありがとうございますとか、いい意味で使われますよね。
「たまたまそこに縁があった」、「たまたまそこに家族がいる」、「たまたまちょっと前にそこに行ったことがある」、あるいは「何かを支援しようと思った時に、たまたま最初に行ったのが、その土地だった」という、「たまたま」というのが縁になるのですよね。そこを贔屓して、支援し続けていくというのが民間支援のよりよいところなんですよね。
近藤浩紀撮影(ソー写ルグッド株式会社 協力フォトグラファー)
木村:民間だからこそ、その「たまたま」のことをやれますよね。しかも、のんさんのようなアーティストの方の力が合わさると色々な広がりが生まれますよね。
チキ:被災した地域に対して、その土地に特性に合わせて、どんな支援ができるのか。例えば、久慈であれば、そこにはドラマが作られたという一定の物語というものがあって、それにちなんだ形で支援がどうやってできるのか、というのが大事になるわけですよね。
やっぱり創作できる方というのは、ある種スタンプラリーのめぐるスポットをつくるようなそんな力があって、「あそこにペイントがあるからそこによってみよう」、「あそこにあまちゃんハウスがあるから行ってみよう」とか。そういう「行ってみよう」をちょっとずつ増やしてくれるんです。だから、最初のきっかけは縁なんですけど、縁をより深くするために、様々な活動をすることが意味のあるものとして発揮されているんだろうなと思いますね。
木村:多くの人に復興支援に関わってもらうにはどうしたらよいと思いますか。
のん:そうですね、東北で言えば、まずは東北の良いところを知っていただきたいなと思いますね。私自身はドラマをきっかけに本当に思い入れができて、次第に、ここの地域も復興がんばっているんだとか、知っていることが広がっています。一度東北のことが好きになると、努力せずに支援というか、東北を盛り上げたいという気持ちが湧いてくるのですよね。そうした自然な形で、気持ちを注げるように、気持ちが膨らんでいったらいいなと思います。
木村:復興支援をしようというのではなく、地域の方々と関係を作り、そこから関係が深くなっていき、自然とそれが支援になるという流れですかね。
のん:自然に思えると、なんの壁もなく関われていけるのかなと思います。
木村:のんさんはSDGsでも「努力のハードルを下げる」ことが大切と言っていますが、同じですよね。
近藤浩紀撮影(ソー写ルグッド株式会社 協力フォトグラファー)
のん:SDGsのゴールも同じなんですけど、自分が知らなかっただけで、自分も実はSDGsしていたかもって気づくことがあったりとかします。例えば、マイボトルとかマイバックとか、なんか身の回りのことから始められたらいいですね。
木村:できるところから始めるのは大切ですよね。チキさんはどうですか?
チキ:この10年間、たくさんの災害がありましたね。例えば、地震、津波、噴火とか、台風、風水害など、ほんと色々な災害がありました。それでも、多くの人たちは被災しない側に回るんですよ。その支援の方法をあらかじめ知っておくのと、知らないのとでは、やはり大きな違いがあります。
「何をしていいかわからない」状況なのか、「これができるということを知っている」状況なのかで、ファーストアクションが変わってくるところがあるんです。私が「災害支援手帖」という本を書いたのも、東日本大震災の時には、災害に関する「支援デマ」というのが結構広がったのが大きいです。
福島とか宮城とか色々な自治体の役場の住所をTwitterとかに貼って、「ここに物資を送ろう」という書き込みが氾濫(はんらん)したんですね。それは総じてやっちゃダメな支援なんです。被災している自治体は得てしてインフラも打撃を受けていて、職員も忙しい。そんな状況で必要かどうかもわからない物資がどっとやってくると、残念ながらそれは「支援ゴミ」になってしまう。
そのため、支援の物資を送る時には、まずは後方支援という形で、一度物資を取りまとめるところに集めて、そこで分類して、必要だと手を上げてくれたところに対して送る。そういうような流れになります。
木村:東日本大震災以降、最近の災害でも同じような問題がよく発生しますね。
チキ:はい。なので、物資についてはそのような流れを知っておくことが、とても重要なんです。私は避難訓練と同じように「支援訓練」をしようと話すんですけど、支援の種類、やり方を知るというのがとても大事ですね。創作などに関してもアーカイブすることが大事です。
のんさんはじめ、色々な方々が行ってきた活動をまとめ、次に災害が起きた時はそれからヒントを見つけてもらい、「自分はこうしてみよう」と思われる方が出てくるようにする。支援のレパートリーを知ってもらえるようにできたらいいなと思います。
トークセッション終了後、今回の感想をのんさんに投げかけると、「やってきたことに自信が持てない部分もあったけど、これでよいんだと勇気づけられました」と答えました。
でも、のんさんのほど長い期間にわたって、被災地と関わり続けているタレントは、そう多くはありません。
「自信が持てない」というのはどういうことなのか、気になってたずねると、こんな本音が返ってきました。
「もちろん、全く自信がないわけじゃないですけど、いろいろなことをやらせてもらっている中で、むしろ自分の方が元気付けられることが多かったんです。なので、バランスとして、自分の方が恩恵を受けてしまっているのではと気になっていたんです」
復興支援というと、被災した人に「してあげる」という意識になってしまいがちです。しかし、のんさんは「被災者」と「支援者」という関係ではなく、同じ目線で「つながる」関係を大事にしているように感じました。
また、「つながり」を続けるために、「仕事にする」という視点もありました。やはり、ボランティアとなると、一時的な関係になってしまいがちですが、仕事を通してつながることで、日常の関わりとなり、つながりが継続しやすくなるのかと思います。のんさんが今でも岩手や岩手で根強い人気があるのは、つながりを保つための強い思いがあったからだと思います。
荻上チキさんからも、支援につながるための「縁づくり」の大切さ、仕事を作って被災地に雇用を生み出す「キャッシュフォーワーク」などについての言及がありました。
その中でも、避難訓練ならぬ「支援訓練」については特に今、必要だなと感じました。多くの災害が発生している今だからこそ、しっかり過去の教訓を生かさなければいけません。支援策として「新しい取り組み」をもとめる風潮もありますが、必要となるものの多くは過去の経験に裏打ちされた「すでにある取り組み」と言われています。だからこそ、改めて「支援訓練」をして、できる支援を確認する必要があると思います。
東日本大震災から10年が過ぎた今、今後も東北に寄り添っていくことはもちろん、今後の災害に対する支援のあり方もしっかり考えていく必要があると感じました。
〈SDGs最初の一歩〉大事だけどよくわからない…? そんな「SDGs」について身近な出来事を通じて「自分ごと」として考える企画です。実は、あなたもすでにSDGsやっているかも!?(タイトルイメージは、女優・創作あーちすと のんさんの原画を元に作りました)