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お金と仕事

元ヤクルト捕手の高橋敏郎が、プロ野球選手だった自分を赦すまで

ある日、言われた「ずっと嫌いなままなんだろ」にドキリ

元ヤクルト捕手の高橋敏郎さん=栃久保誠撮影
元ヤクルト捕手の高橋敏郎さん=栃久保誠撮影 出典: 朝日新聞

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27才。4年間のプロ野球人生、終わりは急にやってきた。ある日、突然球団から戦力外通告を突きつけられた。青天の霹靂だった。「小中高大と、野球で上がってきた。勉強もせずに野球さえできていれば、進学できた。だから、初めて他人に野球を辞めなさいと言われて、頭が真っ白になった。自分から野球を奪われたら何も残らないと絶望したんです」。(ノンフィクション作家・菅野久美子)

「もう二度と野球なんかやらない」

高橋敏郎さんにとっての戦場は、土とグラウンドと球。野球に人生の全てを賭けてきた。それしか知らない。自分にはそれ以外の居場所はない。ずっとそう思っていた。契約金は母校への寄付と税金などで消えた。野球選手に豪遊はつきものだ。球団の寮を出たら、持ち金はほとんど残らなかった。そのため賃貸住宅を借りるお金もなく、当時付き合っていた彼女の家に転がり込んだ。とにかく野球を忘れたくて、道具などの荷物は全部段ボールに詰めて実家に送り、野球関係の友達とも連絡を絶った。

実家は山形県。地元からプロ野球選手が出るとなれば、故郷に錦で、期待も大きかった。
「地元が東北の田舎なので、小さい頃からスポーツはサッカーか野球しかなかったんです。山形だとプロ野球選手になっただけで周囲から凄く期待されるんですよ。球団をクビになったときに、そんな地元の期待も全部裏切ってしまったと感じたんです。だから当時は実家にも帰りたくなかった。あ、こいつ球団をクビになった情けない奴だ、よく帰ってこれたな、とみんなに見られる気がした。被害妄想なんですけど。だから、Uターンという発想はなかったんです」

引退後は、悔しくて情けなくて、行き場のない無力感に毎日襲われた。全て、自分が悪い。自分の才能の無さが憎い。そして、何よりも野球が憎い――。あれほどまでに大好きだった野球がなぜだか憎くてたまらなかった。もう、二度と野球なんかやらない――。そう決めて、床に突っ伏して、泣きじゃくり、自分を呪う日々もあった。

しかし、働かなければと何とか自分を奮い立たせ、都内で不動産の営業職を見つけた。

ヤクルト入団が決まり、帽子をかぶせてもらう高橋敏郎さん=2002年12月2日、石巻グランドホテルで
ヤクルト入団が決まり、帽子をかぶせてもらう高橋敏郎さん=2002年12月2日、石巻グランドホテルで 出典: 朝日新聞

パソコンの電源がわからなかった

野球に明け暮れた人生。パソコンも触ったことさえない。高橋さんにとって実社会は球団時代とはまったくの別世界、別宇宙と言ってもいい。

サラリーマンになって、満員電車を初めて経験した。朝起きて、スーツを着て、髭を剃って、電車に乗り込む。早朝の電車の中は、押し合いへし合いの戦場のようだった。電車のガラスに顔面を押しつけて貼りついているサラリーマンが目に入った。あぁ、自分も同じか、落ちぶれたなと感じた。プロ時代は、移動手段は高級自家用車かタクシー、または遠征用のバスだった。そのため、ぎゅうぎゅう詰めの電車は慣れず、出社するだけでドッと疲れた。かつては肩が強いと、ことさらコーチに褒められたものだ。しかし満員電車の中では大きい体はただ邪魔なだけだと気づき、小さく身を縮めた。

「初めて出社した日、自分のデスクが用意されていたんですが、デスクトップパソコンの電源のつけ方がわからなかったんです。どこのボタンを押したらいいか。でも、周りはあいつ元プロ野球選手だという目で見ている。だからこっちも変なプライドが出てきて、パソコンすら使えないということを知られたくない。なにをしたかというと、キョロキョロするとカッコ悪いから、ずっと偉そうにパソコンをにらんで、腕を組んでたんですよ。そしたら、周りが気づいて電源を押してくれたんです」

名刺交換の仕方も、電話の取り方も内線のつなぎ方もわからない。資料のコピーの仕方も全くの不明だった。しかし、徐々にこれではまずいと感じ、年下の同僚や事務員に頭を下げて、社会人として基本的なマナーを尋ねる日々が続いた。自宅に帰ると、ビッシリと書いたノートを見返して電話対応の仕方を何度も口に出して練習した。

ある日、上司から取引先にファクスの送信を頼まれた。しかし何回送っても、紙は手元に残ったままで、しまいには取引先から大量のファクスが届いているとクレームがきた。

「ファクスは紙を入れたらそのまま紙も飛んでいくと思っていたんですよ。データだけを転送するという発想が無かった。それで『おかしいなぁ』と思いながらも、馬鹿正直に何回も送っていた。今となっては笑い話ですが、当時は必死で、まさに完全な浦島太郎状態でした」

高橋さんは、そんな失敗を数え切れないほど体験しながらも、努力を重ねていく。そして着実に社内で営業成績を上げた。不動産会社を三年ごとに転職。住宅の売買賃貸仲介、投資家向けの収益物件の売買、オフィスの移転業務などに携わり、業界を一回りして、順調にキャリアを積んだ。

がむしゃらに働き、野球選手だった過去は封印し、見ないようにした。

それでも、野球で培った体格の良さは隠せず、営業先でも顧客に「何かスポーツやってたんですか?」とよく聞かれる。しかしその度に「何もやっていません」と誤魔化した。過去にプロ野球選手だったことは、消し去りたい過去だった。野球の「や」の字に触れるだけでも嫌悪感が走った。

営業先の不動産の査定などで人の家に入ると、子どもの持つバットやプロ野球のグッズがふと目に入る。その度に胸が苦しくて、たまらなくなった。野球へのわだかまりは、サラリーマンとして社会を生きていても心の片隅にあって離れず、暗い影を落としていた。

栃久保誠撮影
栃久保誠撮影

「ずっと野球が嫌いなままなんだろ」にギクリ

転機となったのは、プロ引退後10年が経った頃だ。ある不動産関係の社長と知り合ったとき、プロ野球選手時代の話を渋る高橋さんに社長はこう言った。

――高橋。お前、野球を辞めてから、ずっと野球が嫌いなままなんだろ。

ギクリとした。図星だったからだ。社長は言葉を続ける。

――誰でも終わりがいつかはくるんだよ。だけどお前のこれからの人生はプロ時代に比べて長い。ずっと続くんだ。逆にそれを売りにしたらみんな胸襟開いてくれるよ。物事の考え方を変えたほうがいい。

それは、野球をこよなく愛する社長なりの激励の言葉だった。社長はプロ引退後に崩れ落ちる選手を数多く見てきた。そんな選手たちが、みんなこれまで大好きだった野球を嫌いになっている。高橋さんには、そうなってほしくなかった。

「社長の言葉で、ハッとしたんですよね。そうか、もう過去の自分を赦してもいいんだって思えた。その頃からプロ野球選手だった自分は凄かったのかもしれないと思うようになりました。プロ野球に行くのは相当難しくて、3年続けるのも大変なんですよ。それを4年やった自分は頑張ったなと初めて思えるようになったんです」

過去の自分を赦すということ、そして、そんな自分と向き合うということ。プロ引退後、ずっと抱いていた複雑な野球への愛憎――。それが10年越しに寛解した瞬間だった。

高橋さんの中で、何かが変わりつつあった。社長のアドバイスを受けて、元プロ野球選手と名刺に入れることにした。その直後から、初対面の顧客と野球話で盛り上がることがぐっと増えた。仕事の契約にも自然と繋がるようになる。

これまで自分を覆っていた硬く重い殻が、みるみる間に溶けていくのを感じた。

高橋さんはその後、会社員人生に終止符を打ち、今年いよいよ念願の独立を果たし、不動産会社を立ち上げた。

よく考えれば、今の仕事にも野球と同じ達成感を感じることが多い。

「キャッチャーって、相手のチームを研究したり分析して仮説を立てて実行するんです。相手のバッターが何を待ってるか、変化球か、ストレートなのか、エンドランなのか、スクイズなのか、走るのか、全部考える。例えばオフィス営業も同じなんです。今コロナ禍ですが、中には利益を上げている業種もある。どこの業種が潤っているのか調べて、増収増益だったり、支店を増やしていたら本社も移転するんじゃないかと目をつけて仮説を立てて営業活動をする。そういうところは野球と似ていると思いますね」

もちろん、不動産の営業は空振りも多い。しかし契約が取れた瞬間と、かつてキャッチャーとして活躍していたときに、配球が見事にハマった瞬間の快感は全く同じだ。

栃久保誠撮影
栃久保誠撮影

グラウンドから去っても人生は続く

「最近、草野球を始めたんです」

高橋さんが人懐っこい笑みを浮かべながら、私をまっすぐに見つめて照れくさそうに語る。

「お客さんから頼まれて野球を教えたり、少年野球を教えに行ったりしてるんですよ。週末になると毎週、草野球をやってますね。今まで勝負の野球だけの人生だったけど、初めて勝負じゃない野球を始めてみることにしたんです。昔は打てなかったり、勝てないときは悔しさがあったけど、今は試合で失敗しても飲みに行ってみんなと笑いあえる。全く野球をやったことない人もちょっと教えると、みるみる間に上達するのも見ていて嬉しい。勝ち負けじゃない野球、それが今は、楽しいんです」

――もちろん僕も昔みたいには、打てないんですけどね――

高橋さんはそう言うと高らかに笑った。高橋さんは、今ようやく野球と再会することになった。あれほどまでに憎んだ野球と10年越しに再び出会い、新鮮な思いで向き合っている。

かつての野球を封印した自分はもういない。私の目の前の高橋さんは、少年のように目を輝かせながら野球の話をしている。

その横顔が、現役時代の高橋さんの姿とふと重なる。あの頃、ファンサービスを誰よりも大事にしていた。そして、力強くバットを振った、輝かしいあの瞬間(とき)の高揚――。

きっと野球を好きな心にプロもアマも垣根はなくて、ただ水平線の先に純粋な楽しさや喜びがあるだけなのだ。高橋さんは、きっとそれに気づいている。だから、凄まじい葛藤や苦しみを乗り越えて、また野球をしようと思ったのだろう。

栃久保誠撮影
栃久保誠撮影

野球だけに支えられた人生と、そして、終わらないその後の人生。いつの日か社長が高橋さんに伝えたかったように、グラウンドから去っても人生は続くのだ。その人生をどう生きるのか。誰しもが人生の紆余曲折を経て、現在(いま)を生きている。それは元プロ野球選手に限ったことではない。

私は、絶望の淵に立たされながらも、そこから立ち上がり新たな道を歩み始めた高橋さんの横顔に、人生の底知れぬ豊かさを見た気がしたのだった。

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