連載
発達障害は理解しなくていい 約束守れない夫に妻がしてくれたこと
子どもが生まれたあとに分かった発達障害、うつ病、休職……。ASD(自閉スペクトラム症)・ADHD(注意欠如・多動症)の当事者でライターの遠藤光太さん(31)は、紆余曲折ありながらも子育てを楽しみ、主体的に担ってきました。自身が発達障害であることが判明した遠藤さんは、障害者として新しい仕事を始めます。娘が4歳になる頃には、特性を踏まえてコミュニケーションを取ることが、家庭にもいい影響を与えるようになりました。小学生の娘、妻との7年間を振り返る連載10回目です。(全18回)
娘が4歳になる頃、僕の障害によって壊れかけていた家族の輪郭(りんかく)が、ようやくくっきりと浮かび上がってきました。
きっかけは、僕が発達障害の診断を受けたことでした。それ以前は自分の特性がわからず、子育ても夫婦関係も仕事もうまくいかないことだらけでした。まさしく「負のスパイラル」です。
しかし診断を受け、自己理解が進んだことで、障害者雇用の経理の仕事で継続して働くことができるようになり、負のスパイラルが逆回転し始めました。
一時はいわゆる「カサンドラ症候群」(発達障害のあるパートナーとの関係がうまくいかず、周りに理解されにくいことの俗称)のようになっていた妻とは、関係の改善を試みました。
夫婦が最も困っていたのはコミュニケーションでした。一例として、言われたことを忘れてしまい、妻とのちょっとした約束を悪気なく破ってしまうことがありました。
特性に由来するコミュニケーションの齟齬は、一つひとつを見れば他の夫婦にもよくあることかもしれませんが、僕は積み重なって妻に大きな負担をかけてしまっていたと思います。
僕たちが取り組んだのは、視覚情報でコミュニケーションを図ることです。僕の特性として、ワーキングメモリ(作動記憶)が弱く、聴覚情報で聞いたつもりで、「うん」と返事をしている場合でも、次の瞬間には何を言われたか忘れていることがあるようでした。
そこで、大事なことは紙に書いて伝え合ったり、LINEで送ったりするようにしました。解決した問題のひとつは、妻が「これは食べないでほしい」と言ったおやつを、僕が忘れて食べてしまうことでした。「視覚情報で伝えてほしい」と妻にお願いしたところ、貼り紙ができました。
また、夫婦間で使うSlack(コミュニケーションツールの一種)を作成しました。
冷蔵庫の中身と不足しているもの、配達物の受け取り、テレビのハードディスクの残量、ゴミ袋の残り枚数など、あらゆる情報を1カ所に集約して、「聞いても忘れてしまう」という特性が「障害」にならないよう工夫しました。終わったタスクには「スター」をつけて、視覚的にわかりやすくしています。
これは、僕の経理の仕事を参考にしたものでした。医師は、僕のワーキングメモリが弱いことや特性をカバーしようとさまざまな「記録」をつけていたことを見て、「経理は向いているのではないか」と言いました。つまり、一時的には忘れてしまうことがあっても、経理の業務はあらゆる取引を帳簿や証憑(しょうひょう)に記録していくので、あとから必ず見て確認することができるのです。
毎日日記を書いていたのも、そのように確認できる安心感があったからだったのでしょう。夫婦のコミュニケーションを「見える化」したことは有効でした。
家族で1日、ショッピングモールへ買い物に行くときには、僕が疲れて不機嫌な態度で疲労を表してしまうこともありました。しかし発達障害がわかってからは、ショッピングモールのなかで別行動する時間を作り始めました。
いまでは慣れてきて、妻の方から「1人で行く?」と言ってくれるようになっています。「普通」ではないかもしれませんが、1人で落ち着ける時間があることによって、一緒にいる時間を家族それぞれがより楽しく過ごすことができるのです。
自分たちに合ったやり方を導入できると、「あんなに些細なことで喧嘩をする必要はなかったのではないか」という気持ちになります。これらは、障害者雇用の仕事で上司や同僚とさせてもらっていたような「合理的な調整」でした。
「発達障害に理解のある奥さんでいいですね」と言われることがありました。しかし、妻自身はそれを否定します。
「この人はこういうときこれ言ったら怒るよね、というのは、あなただけでなく誰にでも思うこと。もし発達障害を理解してほしいと言われたとしても、ピンとこない。一人ひとり違う」
発達障害当事者の夫婦と言っても、百組あれば百通りです。発達障害の「普通」にとらわれず、オリジナルの関係性を作っていくしかないのだと感じます。
建物では、原状回復することを「リフォーム」と言いますが、原状回復を超えて新たな付加価値を出すことを「リノベーション」と言います。僕たちは関係性が壊れたところから、夫婦のリノベーションを行なっていきました。それは、問題解決よりも「機会」の創出に力を入れることでした。
笑われるような話かもしれませんが、夫婦関係や家族の未来を見直すために僕が手に取ったのはP.F.ドラッカーの『マネジメント』(ダイヤモンド社)でした。
ドラッカーは「組織というものは、問題ではなく機会に目を向けることによって、その精神を高く維持することができる」と説きます。僕たち家族にはそれまで問題ばかりだったので、家族3人の「機会」を作ろうとしました。
家族の「機会」とは、テーマパーク、外食、イチゴ狩りなどでした。貯金がなく、毎月ひやひやしながら残高を確認していましたが、「機会」に支出できるように、経理として学んだ知識を活かしながら、生活費の構成を見直していきました。
障害者雇用の仕事は、休職する夢をたまに見ながらも、継続できていました。いつももたげていた頭の重さや身体の痛み、精神的なプレッシャーなどが減っていきました。
仕事も夫婦関係も子育ても、連動していると感じます。負のスパイラルに陥っているときは、方程式の変数が多すぎて何から手をつければいいのかわからず、お手上げ状態でした。
しかし、仕事を得て、夫婦関係の改善に着手し始めると、変数が減り、夫婦で協力して子育てにより注力できるようになっていきました。
ドラッカーは言いました。「組織が存在するのは組織自体のためではない。自らの機能を果たすことによって、社会、コミュニティ、個人のニーズを満たすためである」
家族という組織について、僕は「家族の機能とは何か」「妻や娘のニーズとは何か」を改めて考え始めていました。そして、「僕が生きづらい父親だからこそ、家族に還元できることもあるのではないか」と捉え直せる部分が見えてきました。
娘が4歳になる頃には、寝る前に「今日いやだったこと」を話す習慣ができ、7歳のいまも続いています。それはいま振り返れば、うつに苦しんでいた時期のとある体験が活きていました。
遠藤光太
フリーライター。発達障害(ASD・ADHD)の当事者。社会人4年目にASD、5年目にADHDの診断を受ける。妻と7歳の娘と3人暮らし。興味のある分野は、社会的マイノリティ、福祉、表現、コミュニティ、スポーツなど。Twitterアカウントは@kotart90。
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