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正真正銘「明治の和建築」がなぜ千葉トヨペット本社に? 数奇な歴史
稲毛海岸のバイパス沿い、突如現れる明治レトロの謎
千葉・幕張にほど近い稲毛海岸。巨大な純和風建築が、バイパス沿いの奥まったところに唐突にある。よく見ると自動車のディーラーだった。年季が入った風合いは、レトロ風味のようなフェイクではない。なぜディーラーがこんな形なのか? この謎建物に足を踏み入れて聞いてみた。(北林慎也)
かつては文人や財界人に愛された保養地でもあった、千葉市美浜区の稲毛海岸エリア。そのバイパス沿いにあるのが、千葉トヨペットの本社と旗艦店である中央店を兼ねる建物だ。
千葉トヨペットは、1924年に設立された米フォードの代理店「勝又商店」が前身。1956年にトヨタ自動車のディーラーとして設立された。トヨタ勝又グループの中核として千葉県内に、新車拠点53カ所と中古車拠点6カ所などを展開。従業員約1350人を擁する。
そんな全国有数の販社グループの本陣にふさわしい、威厳ある本社建物。もともとは、旧勧業銀行本店として東京・内幸町にあったという。
千葉トヨペットなどによると、この建物が内幸町から稲毛海岸にたどり着いた経緯は次の通りだ。
明治期の代表的な建築家の妻木頼黄らが設計した日本勧業銀行本店が1899年、東京市麹町区(現在の千代田区内幸町)に建てられた。
1926年、京成電気軌道(現・京成電鉄)に譲渡され、千葉県習志野市で運営していた遊園地「谷津遊園」に移築される。「楽天府」と名付けられ、食堂や売店、演芸場として親しまれた。
その後、1940年に千葉市役所の庁舎として、千葉市中央区長洲に移築。近くにあったルネサンス式建築の県庁舎と共に地元の名所となった。
そして、千葉市役所が建て替えられるのを機に1963年、千葉トヨペットが市から譲り受け、現在の場所に移築される。
千葉トヨペットは1964年秋から、当時の金額で1億7000万円をかけて修復。1965年10月に新たな本社建物として完成した。
現存する明治期の貴重な桃山式建築として1997年、国の登録有形文化財となった。
つまり築年数は122年、その間に3度も移築されたことになる。にじみ出る明治レトロな匂いは本物だった。
千葉トヨペット宣伝企画部の野崎勇治さんに、建物と敷地を案内してもらった。
中央の玄関から左右対称に伸びやかに広がる、水平基調の外観が特徴的な、洋風建築が多い妻木の作品のなかでは珍しい和風のデザイン。
屋根は建築当時の木造銅葺のままだが、骨組みは鉄筋コンクリート造に変わっている。しかし、正面玄関の車寄せや外観の色彩などは、風格を損なわないよう当時の姿を模して再建されたという。
再建当時は2階にレストランもあった。敷地にはテニスコートも設けられたという、稲毛海岸きってのハイカラな場所だった。
建物の中は意外にも現代風に改装され、事務的なオフィス空間が広がっていた。冷暖房も効いている。そのため、従業員は建物の古さをあまり意識することがない。
「中は意外と普通なんですね」と、少々がっかりした様子の見学者もいたという。
ただ、明治時代の和風テイストを今に色濃く伝える建物の外観は、極めてフォトジェニックでもある。
左右対称のきれいな構図が創作意欲をかき立てるのか、写真撮影に訪れるアマチュアカメラマンも多い。
建物を描いた絵画を、わざわざ額装して社に寄贈してくれる人もいた。写真と見まごう出来栄えで、そのまま玄関ロビーに飾っている。
建物に近づいて細部をよく見ると、造形の端々に丁寧な仕事が光る。
玄関の屋根と柱に沿う雨樋(あまどい)は金属製。細かな模様の装飾が施され、パイプの直線部分には複雑な凹凸がある。「おそらく一点物で、壊れたらイチから作らないといけないと思います」(野崎さん)
鬼瓦には、トヨタ勝又グループの社章が埋め込まれている。「勝」の字をマルで囲んだ造形だが、マルの形はよく見ると、「グループ(GROUP)」の頭文字「G」を模している。
最後の移築で入念な工事が施されたためか、建物はとても頑丈だ。
2011年3月の東日本大震災では、駐車場の地盤が液状化したり併設の建物が損壊したりする被害があった。しかし、本社建物にダメージはなかったという。
整備工場は本社建物の奥にある。正面からの景観を損なわないよう配慮したためだ。また、他の自動車ディーラーでよく見る車名の入ったのぼりや横断幕のような、派手な宣伝物は見られない。
他の従業員と同じく、普段はこの建物について意識しないという野崎さんだが、「こうして取材を受けて歴史を調べるとあらためて、すごい建物なんだと気付かされる」という。
そして、その「すごさ」ゆえに、この建物は国が認める文化財でもある。野崎さんも「ぜひ気軽に立ち寄って見てほしい」と呼びかける。
敷地を横切る遊歩道には桜の並木が植えられていて、散策に絶好の花見スポットでもある。毎年4月の第1土・日曜日には千葉トヨペット主催の「桜まつり」が開かれ、多くの地元住民が訪れるという。
だが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、昨年春は実施を見合わせた。今年も早々に中止を決めている。
社員らが手弁当で屋台を開くのが、この催しの名物。昨年の中止決定は野崎さんにとって、出店のため講習を受けて食品衛生責任者の資格を得た矢先の悲報だった。「毎年の楽しみにしている地元の人も多い。来年こそはぜひやりたい」
千葉トヨペットを営むトヨタ勝又グループは、国内有数の販売グループとして業界では知られた存在だ。千葉トヨペット以外にも、東京都内と埼玉県内でそれぞれ、別系列のトヨタ系ディーラーを傘下に持つ。
そんな勝又グループを始めとする全国の販社にとって昨年、大きな転機があった。トヨタが、長らく販売車種をすみ分けていた系列店のシステムを改め、どの店舗でもすべてのトヨタ車を扱えるようにした。
いまや国内の自動車販売台数は頭打ちで、トヨタはカーシェアリングやサブスクリプション(定額制)サービスの拡充、運転の自動化による次世代交通サービスの研究開発によって「モビリティカンパニー」への転換を図ろうと躍起だ。
このトヨタの方針転換の結果、同一商品を横並びで扱うことになる販売店間の価格競争は激しくなり、系列を問わず店舗の統廃合や販社グループの再編が進むとみられている。
千葉トヨペットの勝又隆一社長(現・勝又自動車社長)は、自社で発行する顧客向けフリーマガジンの中で「お客様一人ひとりのカーライフをサポートする分野や方法は変わっても、私たちがプロとして成長していくことこそが重要」と、意気込みを語る。
この千葉トヨペットが発行するフリーマガジン「レガーメ」は、新車情報の他に充実した地元グルメガイドも載る、本格派の情報誌。販売車両のロングドライブで観光スポットを巡る看板企画は、いずれも社内スタッフとその家族をモデルに起用している。
表紙写真は、本社建物をバックにした販売車両というのが定番だ。野崎さんは「アルファードを置いて撮ると、老舗旅館と宿泊客の送迎車に見えてしまう」と、広報担当者ならではの苦悩を冗談交じりに明かす。
だが、この建物だからこその傑作もある。
かつてトヨペット店の主力として君臨したマークIIの歴史を振り返った特集号では、自社で動態保存する初代コロナ・マークIIと最終型マークXとのツーショット写真が表紙を飾った。背景となった歴史ある本社建物が、昭和~令和のモータリゼーション史の濃密さを静かに物語る。
「100年に1度」といわれる大変革期に突入する自動車業界。歴史に裏打ちされた信頼と実績が、メーカーと販社とを問わずサバイバルの大きな武器となる。
明治からの激動の時代を生き抜いた本社屋を前に、野崎さんは謙虚ながら力強く語る。「これからも、当たり前のことを当たり前にやっていくだけです」
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