連載
#9 #戦中戦後のドサクサ
もはや、軍人でも脱走兵でもなくなった男たち…ある青年軍医の記録
敗戦後に知った「残酷な現実」
日本の敗戦を、赴任地で知った青年軍人たち。敵国の影におびえながら、故郷の街へと向かう中で、彼らは意外な光景を目にしました。とある男性の実体験をベースに、戦争がもたらした残酷な現実を、漫画家・岸田ましかさん(ツイッター・@mashika_k)が描きます。
1945年。所属先である、鹿児島の軍部から脱走した青年3人が、夜道を歩いていました。祖国の敗戦を知り、故郷へ帰ろうとしていたのです。知人の兵士や憲兵に気取られないよう、闇に紛れて、まずは県境越えを目指します。
息も絶え絶えにたどり着いた熊本では、空襲を免れた名所・熊本城の姿に、心動かされます。その後の移動手段は、普通列車です。何度も乗り継ぎ、一行は京都に至りました。
「こちらにご用事でありますか?」「ただの観光だ」。ひときわ背の高い、24歳の軍医が、部下の青年兵たちと語らいます。幸い、戦禍に見舞われなかった地域を歩きながら、彼は身の上話を始めました。「俺も、来るのは初めてだ」
川崎で生まれ育った軍医は、幼い頃から勉強に勉強を重ねてきました。中学校を飛び級するほど優秀でしたが、受験で失敗し、浪人の末に農業大へと進みます。そして獣医学を修め、卒業したのもつかの間、戦争が勃発。すぐに召集されてしまいました。
騎兵隊所属の少尉となってからは、旧満州国へ。国内に転任し、鹿児島へと移った後、戦争に負けたと知ったのです。勉強と戦争で塗り固められた青春――。平穏な京都の、清らかな空気を吸い込みながら、軍医は来し方を振り返ります。
短い休息を経て、3人は中部地方に歩を進めました。順調かに見えた旅路ですが、岐阜・名古屋に入ると、暗雲が垂れ込めてきます。どちらの街も、空襲で焼き払われていたのです。東海道線の駅も破壊され、関東地方に続く鉄路は、不通となっていました。
そのため太平洋沿いのルートが使えず、急きょ内陸部経由で大回りすることに。ところが、機銃掃射などの影響で、多くの路線が動いていません。やむなく、徒歩で移動しなければならない区間も、数多くありました。
日に日にやつれ、疲れ切っていく青年たち。その姿は、軍人でも脱走兵でもない。一刻も早く実家に帰ろうとする、一人の人間そのものでした。
大正期に生まれ、平成期に亡くなった男性の実体験がベースである、今回のエピソード。当時の「逃避行」の様子を、岸田さんが男性本人の親戚から聞き取りました。
男性は比較的裕福な家庭に生まれ、小さい頃から、医師を目指し勉強を続けました。途中で獣医師に進路変更し、やがて召集されます。その後も、尉官試験合格を目指すなど、自らの力で人生を切り開く人だったそうです。
実家への道すがら、男性は各地で空襲の爪痕を目の当たりにしました。岸田さん自身も、多くの場所が被害に遭ったことを知り、とても驚いたといいます。
「道中の様子を調べる中で、当時の鉄道が、全国的に激しい空襲に見舞われた事実を知りました。本編に登場する京都にも、実際には爆弾が落ちています。少尉たち一行は、被害が少ない地域を歩いたのではないでしょうか」
社会的なインフラを傷つけ、移動手段を無力化させる。そうやって、現代の私たちが、当たり前に享受できている自由を奪い去るのも、戦争の一側面と言えるのではないでしょうか。
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