連載
#31 #カミサマに満ちたセカイ
絶縁した親の死を悲しめない…水野敬也さんが思う「心残り」の対処法
「心の引っかかり」と向き合うことの大切さ

普段、なかなか意識することがない、自分や家族の「死」。介護やお葬式、遺産相続など、考えるべき課題は山ほどあります。しかしネガティブなテーマに思え、つい遠ざけたくなる人も多いのではないでしょうか。死を見据えた働き方とは? 絶縁した家族の死を悲しめないのは、いけないこと? 人気小説『夢をかなえるゾウ』シリーズ著者の水野敬也さんが、葬儀のプロフェッショナルと、トークイベントで考えました。(ライター・雁屋優)
2020年12月23日、「カゾクトーク~『夢をかなえるゾウ』水野敬也さんと考える仕事と家族と死」と題したオンライントークイベントが、withnewsと葬儀系ベンチャー「よりそう」の共催で開かれました。
作家。愛知県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。著書に『夢をかなえるゾウ』シリーズ、『人生はニャンとかなる!』シリーズほか、『運命の恋をかなえるスタンダール』『顔ニモマケズ』『サラリーマン大喜利』『神様に一番近い動物』『たった一通の手紙が、人生を変える』『雨の日も、晴れ男』『四つ話のクローバー』『ウケる技術』など。
株式会社よりそう・執行役員CMO/ファイナンシャルプランナー。1976年生まれ。立教大学経営学部経営学科卒業。新卒で博報堂に入社後、マネーフォワード事業責任者を経て2020年4月より現職。ファイナンシャルプランナー(FP)と終活ガイド上級の資格を持つ。FPとして年間1,000件以上の家計相談にのった経験を活かし、現職とともにFPとしても活動するパラレルワーカー。
朝日新聞withnews記者。2013年に報道機関に入社し、地方を拠点に事件事故・行政などの現場で取材を重ねる。2018年5月に朝日新聞社へと移り、現職。宗教を「生きづらさを癒やす営み」と再定義し、その現代的なあり方を取材する連載企画「カミサマに満ちたセカイ」を担当している。
「最後の仕事だったら、どちらを選ぶか」
『夢をかなえるゾウ』最新巻では、余命宣告をされた主人公が家族のため、お金を稼ぎます。その中で、自分が死んでいくことを見据えたお金の作り方や稼ぎ方、働き方を意識するわけですよね。
それは、周りの人に死を考えてほしかったら、まず自分が死を考える、というスタンスそのものです。自分の死を見据えた働き方、資産形成についてのお考えを、お二人にお伺いしたいです。
水野
僕は自由な働き方をしているから、締切がないんですよ。だから仕事をするときに、AとBと企画があると「今病床で、これが最後の仕事だったらどちらを選ぶか」と、死を意識して考えないとぶれるんですね。
自分の命を何に使うかって、いったん決めても、他の情報を入れると、すぐに違う流れに持っていかれてしまう。いかに死を握りしめておくかが、重要だと思います。
神戸
秋山さんはいかがですか?
秋山
私は子どもがいて、その子が親の死後お金で困ることがないようにと、がむしゃらに働いてきました。一方で、「子どもと向き合う時間ってどうしているんだっけ」とも、ふと思いました。
子どものためを一番に考えているはずが、子どもとの時間を大切にできていないんじゃないか。そんなジレンマを、今の話のなかで感じました。いつか必ず「終わり」がくる。その中でできる最善のことや、時間配分を考えていくことが人生なんだな、と考えています。
「悲しめない死」もあっていい
ここからは質疑応答に移りたいと思います。非常に大切な質問が届いているので、こちらに触れさせて頂きたいと思います。
たいていの場合、親族との別れは悲しいものですが、私は父との関係がひどいもので、父の自死前に5年間絶縁していました。ふつうの人はあるであろう、寂しい、悲しいという感覚もわからない。当時どう受け止めていいかもわかりませんでした。怒りも憎しみも行き場をなくしました。単純に愛する人の自死でない場合の向き合い方は何ですか。
今までの議論は、家族は助け合えて、お互いに力を尽くしていくべき存在という前提で展開してきました。そうは思えない状態で、身近な方を亡くされる方もいらっしゃると思います。お二人は、この質問をどう受け止められたでしょうか。
水野
この質問をされている時点で、この方は何か気にかかっていることがあると思うんですね。問題は気にかかっている理由です。恐らく、二つ挙げられます。「社会通念上、ふつうは悲しむべきだ」という理由と、「悲しめない自分って何だろう」と自分自身の問題として引っかかっている、という理由ですね。
後者は向き合う必要がある。もっとこうしたかったな、と思うなら、それを近くの人にしてあげたり、自分を救うためにやっていったりする必要があると思います。前者であれば、気にする必要がないと思いますね。
神戸
自分の心の引っかかりと、どう向き合うか、考えるところから始めるのがいいかもしれませんね。
秋山
何らかの引っかかりを持って質問されているんじゃないかと、私も思います。親との関係性がよくなかった自分の人生ってどうなのかなと思っているのか、世間体の話なのか。僕もわからなかったんですけど、人と向き合う中で、ともに過ごした時間は命だと思うんですよね。
人と向き合っていられる時間が命だとするなら、その時間が親との関係ではうまくいかなかったということなんですね。一緒にいると、苦しくて離れてしまったことは、その方にとって決して間違っているというわけではないと思うんです。
だから、気に病むことはないと思います。ご自身の時間の使い方として、会わなくなったこと、死に目にも会わなかったこと、それも含めていいんじゃないかと思って頂きたいです。わだかまりを感じて苦しいのであれば、「そういうことも感じていいんじゃないか」と思って頂ければと思います。
死を考えることは、愛する人と向き合うこと
最後に改めて、「死」との向き合い方について、お考えを教えてください。
水野
僕は秋山さんの言葉が、ずしんと来るなと思いました。死に近いお仕事をされて、いろんな経験があって、僕自身が「ビフォー水野」だったというのは感じました。
ところで、まだ「天涯孤独になってしまったらどうするか」という質問に答えられていません。僕は持ったことがない不安ですが、秋山さんもおっしゃったように、同じ経験をされている方がいらっしゃいます。その言葉を聞いてほしいな、と思いました。
秋山
私もこういう時間をいただけて、感謝しております。死と向き合うことはタブーとされがちです。でも死を考えていくことで、時間の使い方とか、愛する人との向き合い方が具現化されたり、一歩動く勇気をもらったりすると思います。
天涯孤独の方に関しては、肉親関係以外にも、コミュニティをつくるということが精神的にも重要だと思います。成年後見人などもあります。死後の対応をしてくれる方がいないと、入院できないということもあるので、後見人とか信託サービス、自治体のサービス等、調べてみるといいと思います。
神戸
お二人とも、ありがとうございました。