連載
#29 帰れない村
原発事故後、避難先での10年は大切な時間 でも、僕のふるさとは…
「津島の風景は今も僕の心の中にあります」
千葉県で大学生活を送る門馬史朗さん(20)は、軽やかに笑った。
「都会の生活と比べると、ずいぶん不便なところもありますけれどね」
旧津島村で生まれ、10歳まで過ごした。先天性の軟骨無形成症があり、身長は約130センチ。でも、小さい頃、深く悩んだりはしなかった。
周囲がいつも支えてくれた。運動会、学芸会、神社のお祭り。たくさんの声援を受けたり、拍手を浴びたり。気がつくと、いつも笑顔の自分がいた。子どもながらに毎日が楽しかった。
記憶の中の人々は、誰も敬語を使わない。
「他人のおじいちゃんやおばあちゃんも、自分のおじいちゃんやおばあちゃんと同じ。大人も子どももみんな家族みたいで、地域がまるで一つの『家』のようだった」
原発事故で相馬市に避難した後も、前向きに生きようとがんばった。いくつもの出会いがあり、多くの人に助けてもらった。
高校を卒業し、大好きな英語を上達させたいと、外国語学科を選んで関東の大学に進学したのも、相馬市で知り合った多くの友人の励ましがあったからだ。「将来は英語を使った仕事に就きたいと思っています」
1月、浪江町の成人式に出席した。津島小学校の同級生と再会した時、何年も会っていないのに、まるで昨日まで一緒にいたかのような親密さで話ができることに驚いた。
同時に少し寂しくもなった。「もし、僕があのまま津島にいられたら、地域の人も一緒に成人式を祝ってくれたのにな、と思って」
原発事故までの10年と、原発事故後の10年は、自分の中で同じくらい大切な時間だ。
「でも、僕のふるさとはと聞かれれば、僕は『津島です』と答えると思います」
三浦英之 2000年、朝日新聞に入社。南三陸駐在、アフリカ特派員などを経て、現在、南相馬支局員。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞を受賞。最新刊に新聞配達をしながら福島の帰還困難区域の現状を追った『白い土地 福島「帰還困難区域」とその周辺』と、震災直後に宮城県南三陸町で過ごした1年間を綴った『災害特派員』。
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