連載
#31 現場から考える安保
YS11また1機ラストフライト 戦後初の国産旅客機、残り空自6機
戦後に開発された国産旅客機として今も唯一のYS11。半世紀前の量産機が様々に使われながら引退が進み、国内での現役は航空自衛隊の数機を残すのみです。3月、その1機がまた去りました。見納めの取材で空自の中枢、埼玉県にある入間基地を訪れ、これからを考えました。(朝日新聞編集委員・藤田直央)
今回引退するYS11は、空自で入間基地だけにある飛行点検隊に属しています。飛行点検隊は電波受信や撮影ができる航空機を使い、自衛隊で無線などを使う全国163の航空保安施設を上空から点検しており、最近の年間飛行回数は約300回。官民の航空機が飛び交う島国日本で安全運航を支えています。
旅客機から飛行点検(flight check)用に改造された空自の3機のYS11はFCと呼ばれて来ましたが、残るは最後の151号機のみ。空自に最初に納入されたYS11で、1965年に人員輸送機として配備され、92年からは30年間近く飛行点検にあたってきました。
引退飛行は快晴の3月17日朝。駐機場の151号機から給電車のプラグが外れ、双発のエンジン音が鋭さを増します。回転数を上げた低めのプロペラ音とともに機体が動きだし、ゆっくりと滑走路南端へ。いったん小さくなった機影が加速しつつ迫り、報道陣の前で飛び立ちました。
#航空自衛隊 入間基地にて、飛行点検機 #YS11 FCラストフライトその2 pic.twitter.com/hJfowlReLF
— 藤田直央 Naotaka FUJITA (@naotakafujita) March 17, 2021
やや強い風の中、基地上空を旋回する「8の字飛行」などを披露。FCらしい飛行として、滑走路の真上を飛びながら機体の底の内蔵カメラで路面のペイント表示を確認し、自機位置を補正する「カメラアップデート」も交えた約1時間でした。
#航空自衛隊 入間基地にて、飛行点検機 #YS11 FCラストフライトその3 pic.twitter.com/3vSkYHdA91
— 藤田直央 Naotaka FUJITA (@naotakafujita) March 17, 2021
151号機は着陸後、基地所属の消防車2台が左右からかけた放水のアーチをくぐり駐機場へ。エンジン音とプロペラの回転が収まり、機長が降りて飛行点検隊司令に敬礼し任務終了を報告。司令は「有終の美を飾る見事なフライトであった」とねぎらいました。
その後、機長を務めた渡辺潤一3等空佐(54)が151号機を背に取材に応じました。飛行8800時間のベテランパイロットで、YS11では1900時間。「手動操縦が風の影響を受けると難しく、特に151号機は着陸前の低速度で非常に力が必要です。乗りこなそうと愛着がわく面白い飛行機でした」と話しました。
YS11の歴史は空自でも長く、渡辺3佐の人生と重なっています。「中学2年の時に自衛隊のYS11に(体験で)乗りました。私も同じぐらいの年齢で大変愛着があります。飛び続けられたのは機体を設計した方々や整備の方々の努力あってこそです」
渡辺3佐はFC引退について「機体は頑丈なので飛び続けられたらと思いますが、部品が少なくなって維持できなくなっており、時の流れを感じます」と残念そうでした。YS11の引退全般の背景に通じそうですが、具体的にはどういうことなのでしょう。
YS11は敗戦後の占領下で禁じられた航空機生産の再開を受け、政府や三菱重工などが出資した国策会社で戦後初の国産旅客機として開発。零戦を設計した堀越二郎ら旧軍の戦闘機を手がけた技術者も参加し、1960年代に量産が進みました。
民間定期航路や自衛隊、海上保安庁などで広く使われ、輸出もされましたが、採算が合わず生産は1973年に182機で終了。ちなみにそれ以来の国産旅客機として2013年に初号機納入のはずだった三菱重工の「スペースジェット(旧MRJ)」は開発が難航しています。
ともあれ、YS11を飛ばし続けるために、古くなっていく機体の整備が年々大変になっていくという状況が半世紀近く続いているわけです。YS11がまた一機去るFCのラストフライトもそうした腐心の象徴でした。
官民挙げての開発で「機体は頑丈」でも、これも1980年代に生産を終えている英ロールス・ロイス社製の「ダート・エンジン」を含め、YS11の機能を保つには経年劣化する部品の交換が必要です。その部品が枯渇してきているというのが、渡辺3佐の語ったことでした。
YS11は民間定期航路から2006年に、海上保安庁から11年に、海上自衛隊から14年にそれぞれ引退。整備をするための交換部品の需給サイクルの縮小が、いま国内で唯一YS11を運用する空自を直撃しているのです。
#航空自衛隊 入間基地にて、飛行点検機 #YS11 FCラストフライトその1 pic.twitter.com/McSyHPPbFI
— 藤田直央 Naotaka FUJITA (@naotakafujita) March 17, 2021
空自がYS11を飛ばし続ける苦労は、飛行点検隊のFC引退で終わる訳ではありません。冒頭で空自にはYS11が数機あると書きましたが、正確には残り6機。これも入間基地にあります。電子作戦群に属するEAの2機とEBの4機です。
この6機は任務の秘匿度が高く、今回の取材で撮影を許されませんでした。空自のサイトにも載っていませんが、近年で有名になったのは電波情報収集機のEB。2014年に東シナ海の公海上空を飛行中に中国軍戦闘機に接近され、日本政府が「危険な行為」として抗議しました。
EAは電子戦訓練支援機です。通信や警戒監視のネットワークを狂わせる電子戦は、サイバーや宇宙と並び日本政府が防衛政策で重視する新分野で、自衛隊は周辺国と「競争段階」にあるとして取り組んでいます。EAやEBはその先端にいます。
同じYS11でもFCは引退するのに、EAやEBはなぜ飛び続けるのか。理由は様々ですが、大きいのは後継機の問題です。
飛行点検隊にはFCの他にU125が2機あります。FCはU125より短い滑走路で離着陸でき、U125はFCより高く飛べるので役割分担をしてきました。そこへ昨年以降に両機の特長を兼ね備えたU680Aが3機配備され、FC3機が順次引退できました。
かたや電子作戦群ですが、EAやEBの後継として期待されるのがRC2です。入間基地での昨年10月の配備式典で、航空幕僚長の井筒俊司空将(56)は「機体がC2であることから、YS11EBよりも早く高く長く飛ぶことが可能で、搭載機器の一新により航空自衛隊の情報収集機能はより強化される」と述べました。
C2は輸送機C1の後継で自衛隊最大の航空機であり、RC2はその改造です。燃料を多く積んで「早く高く長く飛ぶ」ことで空中で電波情報を多く集められますが、高額でもあり導入はまだ1機。それでYS11のEAやEBの出番が続くのです。
YS11はかつて民間機を中心に事故が続きましたが、FCは1971年以来の飛行点検を無事故で終えました。今後のEAやEBにも欠かせない整備にあたる心構えを聞こうと、入間基地での取材の最後に整備担当者を訪ねました。
格納庫と一体になった隊舎で話したのは、第2輸送航空隊検査隊の桑原裕太3等空曹(35)。ここ数年はYS11専属で整備にあたっています。
「メーカーでは技術者も減ってアフターサービスが難しくなっています。空自では民間の航空会社より整備に時間がかけられ、特に飛行前後は何人もで点検をします。諸先輩から受け継いだ機体なので、さびなどで不具合が出やすい場所の認識を共有しています」
「YS11に限りませんが、よそで事故が起きても、機材的にこういう不具合があったからかもしれないと受け止め、同種事案をなくすようフィードバックします。どんな事故も見逃さず、聞き逃さず、自分の仕事に置き直して事故が出ないようにします」
桑原3曹は、FCラストフライトで機長を務めた渡辺3佐と同様、約60年前のYS11設計者らの尽力に触れ「頑丈に造られている」と話しました。それを飛ばし続けるため自身も点検に尽力する姿勢は、FCを乗りこなそうと挑んだ渡辺3佐に重なりました。
交換部品の面でも事故の教訓の面でも、FC引退でまた減ったYS11を運用する空自の一人旅はますます厳しくなり、遠くない将来に終わりを迎えるでしょう。それでも、YS11に向き合うことで育てられた人々の技術と信念は受け継がれてほしいものです。
151号機が格納庫に戻った後も様々な航空機が飛び交う午後の入間基地を後にしながら、そう思いました。
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