戦後初の国産旅客機・YS11半世紀の歴史 晴れ舞台もトラブルも…
2021年、ラストフライトに臨む航空自衛隊の飛行点検機YS11FC=3月17日、埼玉県の空自入間基地。藤田直央撮影(以下同じ)
ラストフライトで離陸するYS11FC
ラストフライトで「8の字飛行」をするYS11FC
ラストフライトで入間基地上空を飛ぶYS11FC。下は輸送機C1
ラストフライトを終え放水のアーチをくぐるYS11FC
ラストフライトを終え飛行点検隊司令に報告するYS11FCのクルー
改造前の旅客機の趣を残すYS11FCの機内
YS11FCの機内にある飛行点検装置
YS11FCのコックピット
YS11FCの操縦桿
YS11FCの窓。"Dart sound"はYS11FCに積まれた英ロールス・ロイス社製の「ダート・エンジン」特有の高音のことで、「ダート」は英南西部の川の名にちなむ
1964年、東京五輪の聖火を運んで宮崎空港に着陸するYS11=朝日新聞社(以下同じ)
1966年、愛知県豊山村の三菱重工で量産されるYS11
1968年、沖縄の南西航空が那覇-石垣・宮古島線に就航させるYS11の1番機引き渡し式で、羽田空港で花束を受ける乗務員
1971年、北海道で東亜国内航空のYS11が墜落し乗客・乗員計68人全員が死亡した事故現場で、捜索にあたる自衛官(手前)と、検証をする警察官(奥)
1977年、南硫黄島付近で新島誕生の兆しと見られる変色水域を観測する海上保安庁のYS11
1979年、片方の車輪が出なくなる故障が起き、羽田空港にそのまま着陸する東亜国内航空のYS11
1988年、鳥取県の米子空港で滑走路を行き過ぎて中海に突っ込んだ東亜国内航空のYS11
1990年、全身大やけどの治療でソ連・サハリンから海上保安庁のYS11機で札幌に着き、医師団に運ばれるコンスタンチンちゃん
1990年、平成の即位の礼に参列する外国要人の送迎で羽田空港に着いた航空自衛隊のYS11
1999年、退役後に展示保存されることになり、羽田空港でクレーンでつり上げられたYS11の量産初号機
2001年、東京都三鷹市の航空宇宙技術研究所で行われた落下実験で変形したYS11の胴体
2006年、国内定期便からのYS11引退にあたり福岡空港で日本エアコミューター機の出発を見送る空港職員たち
2007年、千葉県芝山町の航空科学博物館での展示で内部が分かるように外板が取られたYS11
2009年、海上自衛隊小月航空基地で滑走路を行き過ぎて田んぼに突っ込み、大型クレーン車でつり上げられる海自のYS11
2011年、マニラの空港で整備を受ける日本から輸出されたYS11
2018年、航空機整備会社「エアロラボインターナショナル」による復活イベントで高松空港を発つYS11
2020年、展示のため車に載せられ東京都内の道路を通るYS11の胴体=国立科学博物館提供
2020年、茨城県筑西市の博物館でのYS11量産初号機の展示に向け、エンジンを取り付ける技術者たち=朝日新聞社