連載
#28 帰れない村
300年超続いた田植え踊りが「途絶えてしまう…」 避難者の悔しさ
「ここだ、ここだ」
福島県二本松市にある浪江町役場・二本松事務所の一室。福島市で避難生活を送る三瓶専次郎さん(72)は懐かしそうに積み上げられた収納ボックスに手を掛けた。
中に納められているのは、旧津島村に伝わる伝統芸能「田植(た・う)え踊り」の衣装や道具たち。三瓶さんは2004年から、南津島集落の郷土芸術保存会の会長として、地域の文化と伝統を守り続けてきた。
道具が真新しいのは、原発事故後、放射能に汚染された集落から衣装や道具を持ち出すことができず、最近新調したためだ。今は新型コロナウイルスの影響で踊り手が集まれず、練習することさえできない。「このままだと、集落の伝統は途絶えてしまうな……」と三瓶さんは悔しそうにつぶやいた。
田植え踊りに参加したのは高校卒業後だった。津島では田植え踊りは毎年2月に行われ、「鍬頭(くわ・がしら)」などの役を演じる成年男子がそれぞれの衣装を身にまとい、集落の家々を回って「田植え」や「稲刈り」などの演目を踊る。農作業の順序を一通り踊って豊作を祈る伝統芸能で、300年を超える歴史があると伝えられている。
踊り手たちは毎晩のように「庭元」と呼ばれる世話人の家に集まり、三瓶さんも集落の兄貴分に厳しく踊りを指導された。大変だったが、地域の一員になれた気もして誇らしかった。
原発事故後、三瓶さんはなんとかして、その「誇り」を取り戻そうとした。
しかし、衣装や道具もなく、約40人いた踊り手もどこに避難しているかわからない。何より、旧津島村は全域が帰還困難区域になり、豊作を祈願するべき田んぼさえ存在しないのだ。
「なんとかして残せないだろうか」と三瓶さんは力なく言った。
「田植え踊りは我々にとって、異なる世代を結びつけ、地域のみんながわっと集まれる『ふるさと』そのものだったんだ」
三浦英之 2000年、朝日新聞に入社。南三陸駐在、アフリカ特派員などを経て、現在、南相馬支局員。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞を受賞。最新刊に新聞配達をしながら福島の帰還困難区域の現状を追った『白い土地 福島「帰還困難区域」とその周辺』と、震災直後に宮城県南三陸町で過ごした1年間を綴った『災害特派員』。
1/73枚