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意外にも親愛なる隣人「巨人」被災地を見た記者、出没情報呼びかけた
「巨人=いいヤツ」説は、世界共通ではない
「巨人の出没情報をお寄せください」。九州で文化の取材をしているわたしは最近、記事で情報を募り始めました。ここでいう巨人とは野球チームではなく、神話や伝説に出てくる巨大な人物のことです。わたしは「進撃の巨人」に出てくる人食い巨人のように、恐怖の存在というイメージを持っていました。ところが各地で語り継がれている昔話を取材していくと、巨人はただ大きくて力が強いだけではなく、善良で知的な顔も持っていました。巨人を知ること。それは人生を大所高所から見つめ直すことにもつながりそうです。(朝日新聞西部報道センター・真野啓太)
「ダイダラボッチ」という名前を聞いたことがあるでしょうか。
映画「もののけ姫」のクライマックスにも登場した、巨人界の有名人です。
ダイダラボッチの足跡が池になったり、山を運ぼうとして、こぼれた土が山になったり。そんな昔話が、日本のいたるところに残っています。名前は地域によって変わるようで、職場の先輩に聞いたところ、東海エリアでは海苔のCMに出てくる「でえたらぼっち」としても、知られているようです。
なぜ巨人を取材することにしたのか。それは2020年7月の熊本豪雨がきっかけでした。
被災地の光景が忘れられません。川が氾濫した地域は、それこそ巨人があばれまわったあとかのように破壊され、池の中には、誰かが投げ込んだかのように、ひっくり返った軽自動車が浮いていました。
圧倒的な自然の力と、先人たちはどう向き合ってきたのだろうか。新型コロナウイルスが流行していたこともあり、「人知を超えた力」について考えていたとき、思い浮かんだのが、巨人の存在でした。
「力の権化」である巨人の昔話の中には、先人が天災や疫病と折り合いをつけながら生きてきた、そのエッセンスが詰まっているかもしれない。そう思って取材を始めました。
巨人と聞いて、みなさんは何をイメージするでしょうか。
1990年生まれのわたしがSFやファンタジーの世界で出会ってきた巨人といえば、「風の谷のナウシカ」の巨神兵オーマ、「ハリー・ポッター」シリーズの巨人族とトロール、マンガ「GANTZ(ガンツ)」で地球を侵略してきた宇宙人、マーベル映画のハルク……。数えていくときりがありませんが、どの巨人も「人知を超えた力」を持ち、不条理な破壊や死をもたらす存在でした。
こうした物語の影響を受けていたため、わたしは当初、日本在来の巨人たちも、破壊者だと思い込んでいました。
ところが取材してみると、意外にも巨人たちは「いいヤツ」ばかりでした。
たとえば長崎県の島原半島に「みそ五郎」という巨人がいます。高さ約4メートルのみそ五郎の像が、南島原市役所の敷地に座っています。
みそが大好物で、1日に4斗(約72リットル)もなめたという巨人です。みそ汁に換算すると1万杯にあたります。
みそ五郎が住んだのは、30年前に大噴火した活火山、雲仙・普賢岳の近くです。「巨人は破壊者」という先入観を持っていたわたしは、みそ五郎を生んだのは火山への恐怖だろうと想像しながら、取材を始めました。
ところが地元の人たちに話を聞いてみても、みそ五郎の悪口を言う人はいません。「みそ五郎まつり」では群衆に囲まれ、大人気のようです。
昔話の中のみそ五郎も、よき隣人として登場します。腕力を生かして、田畑を耕し、土地を切り開き、かわりに住民からみそをもらっていたそうです。嵐の日には漁師の舟が海に流されないように、海に飛び込んでいったという逸話も伝わっていました。
恐怖の巨人と、みそ五郎のように善良な巨人。二つの巨人のイメージを、どう整理したらいいのか。専門家に聞いてみました。
民間の伝承を研究する民俗学者の小林忠雄・元北陸大学教授によれば、古くから人に悪さをするのは巨人ではなく、鬼や悪霊だそうです。
「巨人は非常に人間的なもの。民衆にとっておそれるべきものではなく、むしろ尊敬される、救世主のような存在です」
巨人伝説は、冒頭で触れたダイダラボッチ伝説のように、自然の風景のなりたちを説明するのが定番のパターンです。ぽつんと一つだけある大きな岩や高い木など、「なんでこんなところにあるのか」と思わせる変わった自然の風景を、「巨人が作った」と説明する伝説が多いそうです。
巨人を生むのは自然の「脅威」ではなく、自然への「驚異」とでも言えるでしょうか。
ただし「巨人=いいヤツ」説は、世界共通ではないようです。
イギリス文化が専門の佐藤和哉・日本女子大学教授によれば、欧米の神話や物語の世界では、巨人は敵対者として描かれることが多いようです。たしかにイギリスの有名な童話「ジャックと豆の木」で主人公が雲の上で出会う巨人は、人を食う鬼でした。
「恐怖の巨人」というイメージは、欧米の巨人観と近いようです。
取材をしてみて、もう一つ気が付いたことがあります。どういうわけか巨人は「記憶」と結びつけて、語られることが多いようです。
ノーベル賞作家のカズオ・イシグロは小説「忘れられた巨人」の中で、人間の集団の記憶を巨人にたとえていました。
物語は、昔のイギリスが舞台です。
作中では、先住民ブリトン人と移住民サクソン人が、かつて殺し合った過去を忘れて平和に暮らしています。人々の記憶を、魔法の霧が奪っているのです。住民たちが争った過去を思い出し、憎しみの連鎖が再び始まることを、登場人物の1人は「地中に葬られ、忘れられていた巨人が動き出します」(土屋政雄訳)と表現していました。
「負の歴史」を忘れた平和は、真の平和と言えるのか。問いかけてくる作品です。
「対立の記憶」を背負っている巨人は、九州南部にもいました。
「弥五郎(やごろう)どん」という巨人です。鹿児島県曽於(そお)市にある神社の秋祭りでは、身長が4.85メートルにもなる弥五郎どんの人形がパレードし、毎年、大変にぎわっているそうです。
いかめしい顔をしている「弥五郎どん」ですが、彼も地元では「守り神」として慕われています。モデルは九州南部の先住民「隼人(はやと)」のリーダーだったと、地元では考えられています。隼人の人々はその昔、九州南部を支配しようとしてきた勢力との戦いに敗れ、たくさんの死者が出たそうです。
巨人の物語や伝説は、ヨーロッパや九州南部にあった戦争の記憶を、時空間をひとまたぎして、現代人に思い起こさせることができる。不思議な力を持っています。
「進撃の巨人」もまた、民族の対立、集団の記憶、戦争と平和といった、人類がずっと抱え続けているジレンマを思い起こさせる、重厚なストーリーが魅力です。
巨人について調べてみると、彼らは必ずしも破壊者とは限りませんでした。自然をユーモラスに解釈したり、記憶装置として過去の出来事を思い出させたり。物理的な力よりもむしろ、知の力を与えてくれる存在でした。
「巨人と知」でいうと、おもしろいことわざがあります。「巨人の肩の上に乗る」という言葉です。先人たちの知の積み重ねを「巨人」とみなし、その上に現代人であるわたしたちが乗る。すなわち、先人たちがなしとげてきた成果があってこそ、今の技術や知識がある、という意味です。記事を読んだ編集者の先輩が教えてくれました。
先人たちの知を受け継ぎ、「巨人の肩の上に乗る」ことができれば、思い通りにならないことばかりのこの世界と、うまく折り合いをつけながら、生きていくことができるのではないか。そんなことを考えながら、取材を続けています。
そんなわけで、しばらくは、呼びかけを続けたいと思います。
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