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「大使、泣いてる?」和歌山とトルコ、130年前から続く〝大切な縁〟
イラン・イラク戦争では政府を後押し
「泣いてる?」。大使の言葉をメモしていた私の手が、思わず止まりました。 1月26日、和歌山県庁を訪れたハサン・ムラット・メルジャン駐日トルコ特命全権大使(当時)は、声を震わせてこう言いました。「私の次の任地はアメリカですが、本当に日本から離れたくないです」。大使の言葉には、約130年前までさかのぼる和歌山との縁がありました。(朝日新聞和歌山総局記者・藤野隆晃)
1月26日、ハサン・ムラット・メルジャン駐日トルコ特命全権大使が、和歌山県庁を訪れました。昨年10月に地震が起きたトルコ。この日は、和歌山県と串本町が中心になって集めた義援金約782万円を、トルコ側に渡す贈呈式でした。また、大使の離任が決まっていたため、別れの場でもありました。
仁坂吉伸知事、串本町の田嶋勝正町長との記念撮影の後、大使は感謝の言葉を語りはじめました。
「私が日本に来た時から、みなさんが私にみせてくださった友情やおもてなしの心を思い出すだけで、胸がいっぱいになります。私の次の任地はアメリカですが、本当に日本から離れたくないです」。時折、声を震わせ、鼻をすすりながら、言葉を続けていました。
なぜ大使はここまで深く感謝を示したのか。きっかけは約130年前までさかのぼります。
1890年9月、親善使節団を乗せて来日したエルトゥールル号は、東京での3カ月の滞在を終え、トルコへの帰路につきました。しかし、台風に遭遇。現在の和歌山県串本町にある大島・樫野崎沖で座礁しました。500人以上が亡くなり、生存者は69人という大事故でした。事故直後から献身的に対応したのが当時の大島島民。生存者の救助や手当てだけでなく、殉職者の遺体捜索や引き上げ、埋葬もしました。日本全国からも多くの義援金や物資が寄せられたといいます。
一方、トルコが日本人を助けたこともありました。1985年3月、イラン・イラク戦争が起きていたイランの首都テヘラン。現地の日本人救出にトルコ航空の2機が向かい、計215人が脱出できました。エルトゥールル号遭難後の大島の人たちの献身が、トルコ政府を後押ししたとされています。
エルトゥールル号遭難と、テヘランからの救出。二つの大きな出来事だけでなく、いずれかの国で災害が起きれば支援をする、といった絆は今も続きます。今回、和歌山県と串本町が義援金を集めたのも、この深い関係の延長線上にありました。
メルジャン大使は「130年前に遭難したトルコ人を助け、今回は地震という被害で陸上で困難な状況におちいったトルコ人を助けてくださった。トルコと日本は災害大国。あってはならないことですが、日本で自然災害が起きた際、いつでもトルコ人が隣にいるということを忘れないでください」と語りました。
大使が贈呈式で示した感謝は、出席した和歌山県側の人にも強い印象を与えました。「ああいった最後の別れははじめて。感動しました」。こう語るのは串本町の田嶋町長です。
田嶋町長によると、歴代のトルコ大使はエルトゥールル号の遭難で殉職した人の慰霊を、非常に重要と考えていました。
2014年にはセルダル・クルチ大使(当時)が遭難現場に潜り、遺品の引き上げや、記念プレートを海底に設置しようと計画。荒天で実現しませんでしたが、この経緯を聞いたメルジャン大使も沖縄で講習を受け、海に潜ろうとしていたといいます。しかし、メルジャン大使の潜水計画もまた、実現しませんでした。
また、メルジャン大使はエルトゥールル号の慰霊祭のみならず、事故現場から近い大島中学校が2019年に閉校になる際、式典に出席しました。新型コロナウイルス感染拡大の影響で実現しませんでしたが、離任にあわせて串本を訪れることを切望していたといいます。
1月の義援金贈呈式。田嶋町長は、大使と串本の思い出をまとめたアルバムを手渡していました。「串本とトルコの歴史を一生心にとめてほしいなと発案しました」。渡された大使は、じっとアルバムを見入っていました。
田嶋町長は、友好のきっかけになった場所の町長として、歴史をつなぐ必要があると考えています。「先人がおこなったことが今でも評価されている。この地で生まれた子どもたちに、伝えていかないといけないですね」
次世代にも友情は引き継がれています。2月4日、和歌山県新宮市立城南中学校の生徒会役員5人が会議室に集まりました。オンライン会議システムでつながったのは、トルコ大使館。画面の向こうでメルジャン大使がほほえんでいました。
「何か社会に役立つことを」と考えていた生徒会が、和歌山県と串本町がトルコ地震に対する義援金を集めていることを知り、昨年12月に校内に募金箱を設けました。約1週間でしたが1万1千円以上が集まったといいます。学校単位で寄付をしてくれた城南中に感謝しようと、トルコ大使館から中学校と交流したいと申し出がありました。
「募金をしていただき、ありがとうございます。世界のどこにいっても、みなさんや和歌山の人たちのあたたかさを色々な人に伝えたいと思います」。募金の経緯などを尋ねながら、大使は中学生たちに語りかけていました。
生徒会の小口篤紀会長(2年)は「こんなに感謝されるのかと、うれしかった。トルコの人といつか直接会って話してみたいです」と話しました。
和歌山県串本町の住民たちが献身的に救出したことから始まった、日本とトルコとの深い絆。先人たちは130年以上、両国の間の縁を次世代へと伝え続けてきました。
2年前、私の次の勤務地が和歌山と決まった後に、エルトゥールル号の話について学びました。日本とトルコが長年友好関係にある、ということは知っていました。ただ、2国の友好のきっかけまでは知らなかったので、「和歌山が原点なのか」と思ったことを覚えています。
約130年前の出来事に対して、目の前にいる人がその時から続く縁によって涙ぐむとは。メルジャン大使の涙を和歌山県庁で見て、私は驚きました。「それほど日本とトルコにとって大きな出来事だったのか」と。私はこれまで、トルコの人と接する機会はほとんどなく、エルトゥールル号の話がどれほど歴史的な意義をもつか、体感することがなかったのです。
一方、和歌山県内の中学生がオンライン会議を通じてトルコ大使と交流する場面にも立ち会いました。距離も、コロナ禍による制約も、技術によって軽々と越えていました。都心部と違い、周囲に海外出身者がほとんどいない地方。自分が住む地域の歴史や、地元が世界とつながっていることを知る、貴重な機会になったと感じました。こうした取り組みの積み重ねが、次の世代、そのまた次の世代へと地域の歴史をつなぐ大きなきっかけになっているのでしょう。
「私も次世代に伝えよう」。記者として、そして和歌山で生きる者として、そう思うきっかけになったメルジャン大使の涙でした。
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