連載
#2 コウエツさんのことばなし
「〝せいさい〟よだつじゃないの?」鬼滅で割れた校閲記者の〝見解〟
「よく知られた漢字」だから起きた珍現象
「鬼滅の刃」(きめつのやいば)は、人食い鬼に家族を奪われた主人公が、鬼を倒していく物語。作中には、刺激的で、ちょっと悩ましい「ことば」が満載です。コミックス1巻に出ている「名セリフ」を巡りネット上で気になる声を見つけました。「〝せいさい〟だと思ってた……」。これは一体? 真相を調べました。(朝日新聞校閲センター記者・田辺詩織)
「鬼滅」の名セリフといえば、コミックス1巻に登場する「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」がまず思いつきます。
鬼になってしまった妹・禰豆子(ねずこ)の命乞いをする主人公・炭治郎(たんじろう)に向かって、鬼殺隊(きさつたい)の冨岡義勇(とみおかぎゆう)が一喝する場面です。
「生殺与奪」――日常生活ではなかなか見聞きしないことばですが、力強くてかっこいい印象ですね。意味は「生かしたり殺したり、与えたり奪ったりすること」。読んで字のごとし、です。冒頭のセリフをかみくだいて言えば、「自分の人生の主導権を他人に握らせるな」といったところでしょうか。
さて、この生殺与奪、なんと読むのが正しいのでしょう?
コミックスには「せいさつよだつ」のふりがなが。もちろんアニメも「せいさつよだつ」です。ところが、ネット上などでは「『せいさい~』と読むのだと思っていた」と、「殺」をサツではなくサイと読むという声を、いくつも見かけます。
たしかに「相殺」(ソウサイ)のように、「殺」をサイと読む場合もありますね。ただ、辞書を引いてみても、セイサイという読みを挙げているものは、調べた限りでは見つかりませんでした。
私の職場・校閲センター(朝日新聞や朝日新聞デジタルの記事を点検する部門)の仲間たちに聞いてみよう! ということで、同僚を対象に「生殺与奪をどう読むか」をアンケートしてみました。
すると、回答した42人のうち9人が「セイサイヨダツ」という読み方もある、と思っていることが判明。さらにそのうち3人は、セイサイという読みを「学校で習った記憶がある」と答えました。
「ことばの専門集団」と呼ばれることもある、校閲記者。その中でも見解が分かれてしまうとは。「校閲殺し」の鬼滅の刃、おそるべし!
――というわけで、そのワケを探ってみました。
まず、一般の社会生活で漢字を使う際の目安として示されている「常用漢字表」を見ると、「殺」の項では、複数の読み方が挙げられています。
「サツ」「ころす」のほかに、「サイ」「セツ」がありますね。ひらがなは訓読み、カタカナは音読みです。
文教大学兼任講師の舘野由香理さんが、詳しく解説してくれました。「韻書(中国の字典)では、殺は2種類の韻(読み方)が紹介されています」。
意味によって読み方が分かれているといい、日本に渡来する際にさらに分かれて「そぐ、省く、小さくなる」はサイ、「ころす、死ぬ、そこなう」はセチ、セツ、サツ、といった読み方になったのだそうです。
確かに、「殺害」(サツガイ=殺すこと)や「黙殺」(モクサツ=無視すること)などはサツ、「相殺」(ソウサイ=互いに差し引きすること)や「減殺」(ゲンサイ=少なくすること)はサイと、意味によって読み方がちゃんと分かれています。
つまり、生殺与奪の「殺」は「殺す」の意味なので、読みはサツがふさわしい、ということになるのです。
――とすると、セイサイという読み方は、やっぱり間違いなのでしょうか?
日本語・中国語の音韻史に詳しい、文教大学文学部教授の蔣垂東さんにうかがってみると「一種の慣用的な読み方であって、間違いとまでは言えないでしょう」という答えが返ってきました。
「生殺」の読み方が2通りできてしまった背景を、蔣さんは「生も殺もよく使う字で、漢籍を訓読した資料などでも、読みがなを付けること自体が少なく、読み方が確定してこなかったのではないか」と推測します。
「生殺与奪」は、中国では紀元前から見られる四字熟語で、日本にも古い時代に入ってきました。が、「よく知られた漢字の組み合わせだからこそ、わざわざ読み方に言及しなかったのでは」というのです。
「ちゃんと読めて当たり前」とみんなが思って放っておいたら、いつしか読み方に「揺れ」が生じてしまったのかも――そうだとしたら、皮肉なことですね。
ちなみに「相殺」も、ソウサイとソウサツの2通りの読み方があります。ソウサイは「相反する要素が互いに差し引きされること」ですが、ソウサツはもともと「互いに殺し合うこと」を意味します。なるほど「サツ=ころす」と対応していますね。ただ現在は「差し引き」の意味で「ソウサツ」と言う人もいるようです。
校閲センター内のアンケートでも「相殺(ソウサイ)からの類推で、生殺(セイサイ)と読むと思い込んでいた」(40代・男性)というコメントがありました。サイという読み方について、蔣さんは「特に明治時代に入ってから、相殺は法律用語としてソウ『サイ』という読み方が確定したことが大きいですね」と指摘します。
「鬼滅~」というタイトルにひかれて作品に触れた人や、そこで初めて「生殺与奪」という熟語を知った人もいるでしょう。
作品の世界観をよりよく表現するため、制作者はいかにして人々の心をつかむことばを選ぶか。悩んだ末に選び抜かれたキーワードこそが、作品の人気を支え、さらに広げていくのでは。――鬼滅の刃を通じて、「ことばのチカラ」にあらためて思いをはせたのでした。
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