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連載

#2 発達障害とパパになる〜子育て苦闘の7年間

娘が生まれて失った「1人の時間」 発達障害の父が悩む“くい違い”

ありのままの「自然」を受け止められませんでした。

0歳の娘の子育ては、幸せであり、怖いものでもありました=写真はいずれも筆者提供
0歳の娘の子育ては、幸せであり、怖いものでもありました=写真はいずれも筆者提供

目次

子どもが生まれたあとに分かった発達障害、うつ病、休職……。ASD(自閉スペクトラム症)・ADHD(注意欠如・多動症)の当事者でライターの遠藤光太さん(31)は、紆余曲折ありながらも子育てを楽しみ、主体的に担ってきました。0歳のころ、父親の都合や障害、予定に関わらず自然のままに生きていた娘。その「自然」を、システマチックに受け止めようとして“くい違い”を広げてしまっていたという遠藤さん。小学生の娘、妻との7年間を振り返る連載の2回目です。(全18回)

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連載】「発達障害とパパになる〜子育て苦闘の7年間」(https://withnews.jp/articles/series/104/1)

幸せで怖い0歳の子育て

生まれたばかりの娘は「自然」でした。

手足は無作為に動き、ときには自分でそれを見てキャッキャと喜んでいることもありました。同じように泣いているように聴こえても、「おなかがすいた」といった明確な理由があったり、なかったりします。排泄も自由です。“昨日”と“今日”で、全く異なる様相を見せました。

僕は、後にライターの仕事として、『バカの壁』(新潮新書)などで知られる養老孟司さんにインタビューする機会に恵まれたことがあります。「子どもは『自然』ですから」との言葉が印象的で、子育てを経験した僕はその言葉を肌で理解できました。子どもを迎えるということは、家のなかに「自然」が入り込むことなのだと思います。

発達障害のある父親の僕は、いくつかの特性が影響し、子育てに対して弱みを露呈してしまっていたように思います。僕にとって0歳の娘の子育ては、幸せであり、怖いものでもありました。

「自然」と発達障害の相性の悪さ

アパートの中にやってきた「自然」を前にして、僕は立ち往生してしまいました。

聴覚過敏の特性により、娘が泣きわめく声を怖く感じていました。どれだけ抱っこしてあやしても泣きやまない娘と、音を過剰に聴き取ってしまう特性を持つ僕は、うまく折り合いをつけられません。妻の仕事帰りを待って娘を抱きかかえながら、僕も涙を流してしまっている夜もありました。

また、特性上苦手とする「臨機応変な対応」の連続に、てんてこ舞いになっていました。

娘は生後3ヶ月から保育園に通っていましたが、発熱時には保育園から僕へ急に電話が入ります。業務をできるだけ速く引き継ぎ、周りに謝ってから早退してお迎えに行きました。それだけでも精いっぱいでしたが、娘と帰宅してからが本番です。「自分が対応しないとこの子は死んでしまうかもしれない」と、決して大げさではなく実感しました。「命」がいつも唐突に優先順位の一番上に入り込んでくるので、予定の全てがひっくり返り、大きなエネルギーを消費しました。

そして「1人の時間」を失いました。自分のペースへのこだわりが強いので、暮らしのなかに1人の時間を持てないと、余裕がなくなっていきました。妻が早くから職場復帰していたこともあり、家にいるときはなるべく自分が娘のケアをしようと構えていました。妊娠・出産を経た妻を労わる気持ちが強く、自分を客観視することができていませんでした。

「システム」が「自然」に立ち向かえない

平日は毎日決まった時間の電車に乗り、会社のあるビルのエレベーターから降りると、タイムカードを押し、パソコンと向き合う毎日です。びっしりと埋められたスケジュールは、ときには1分単位で切り刻まれ、終電で帰る日もありました。僕は、新しいプロジェクトの立ち上げメンバーになっていました。上司や同僚からは「パパになって、頑張らないとね」と。自分たちが働いて稼いだお金で、家賃やミルク代を払い、娘を養っているという自負や誇りは、良くも悪くも強大なものでした。

貯蓄計画も、出産の前後にかけて作りました。生活費や教育費を計算し、大きな模造紙を買ってきて、娘が成人するまでの計画を1年ごとのマス目に書きました。そして家や車を買ったり、毎年旅行に出かけたりといった“普通”の暮らしを娘に提供するには、いつまでにいくら必要なのかを1年ずつのマス目に落とし込み、まとめたのは18年分。出来上がってから計画を妻にも共有し、自らに発破をかけたのです。

毎朝決まった時間の電車に乗り、貯蓄計画を作り、システマチックに行動すればするほど、目の前にいる「自然」を受け入れられなくなっていきました。理想と現実が離れて、引きちぎれていっていました。

管理できない「子ども」を受け止めること

待ち望んだ娘の誕生は、僕たちにとって幸福なことでした。娘にミルクを飲ませ、オムツを換え、小さな爪を切りました。たくさん話しかけ、写真や動画をたくさん撮りました。そうした記憶や記録は大切に持っています。

ただ、発達障害の特性への無理解が、「自然」をシステマチックに受け止めようとした“くい違い”を、より広げてしまっていました。特性を理解し、「聴覚過敏の特性に対しては耳栓をする」などの対策ができていれば、いくぶん余裕を持って子育てができていたと思います。

父親の都合、障害、予定には関わらず自然に生きる娘ーー。計画通りに進められるはずもなく、娘を主体にしてスケジュールや働き方、暮らし方を柔軟に組み替えていく必要がありました。管理するのではなく、ありのままの「自然」を受け止めるための心構えや、周りの人との体制作りが必要だったのだろうと思います。

荒れ地となってから、僕たちの子育てはスタートしました。しかし、我が家はさらに荒れ果てることになります。僕に、うつがやってきました。

遠藤光太

フリーライター。発達障害(ASD・ADHD)の当事者。妻と7歳の娘と3人暮らし。興味のある分野は、社会的マイノリティ、福祉、表現、コミュニティ、スポーツなど。Twitterアカウントは@kotart90

◇   ◇   ◇
 
遠藤光太さんの連載「発達障害とパパになる〜子育て苦闘の7年間」(https://withnews.jp/articles/series/104/1)は、原則毎週水曜日に配信予定です。全18回でお送りします。

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