連載
#3 #戦中戦後のドサクサ
「アメリカさん」のメイドになった私 胸高鳴らせた面接の意外な結末
「鬼」と呼ばれた人々の下で働いた理由
終戦直後の横浜。17歳の少女・ユキエは、電機店(小規模経営の金属加工業者)に勤務しています。ある夏の日、友人が突然職場を訪れ、思わぬ提案をしてきました。
「あんた、こんなところで働いている場合じゃないわ。アメリカの女中(メイド)に行きましょ!」
聞けば、市内に進駐している米兵の家庭で、ハウスキーパーを募集しているとのこと。月給は1500円。何と、当時の勤務先からもらっていた額の3倍です。
1945年5月29日、横浜は米国機による空襲を受け、全域に大きな被害が出ました。ユキエが住む井土ケ谷地域も焼け野原となり、貧しい長屋生活を送っていたのです。大幅に給料がアップするという夢のような話に、ユキエは胸を高鳴らせます。
しかし米国人について、「鬼」「敵国人」と教えられていた頃の話です。米兵たちが町中に入ってきたことを知るや、父がユキエに「坊主頭にして、顔に墨を塗れ!」と告げたことも。
それは、乱暴されないように、との配慮から出た言葉でした。とはいえ、ユキエは驚くばかり。戦争によって植え付けられた、米国への強烈なマイナスイメージは、それほどまでに人々を不安にさせていたのです。
かといって、またとないチャンスを逃すわけにはいきません。ユキエは友人と一緒に、米軍関係者の家が立ち並ぶ、本牧(ほんもく)地域の駐留地へと向かいます。
面接会場に着くと、同じように職を求める女性たちが集まっていました。しばらくして、部屋に入ってきたのは、米国人の男性。通訳を引き連れています。
“I hire you!”(あなたを雇います)。その「アメリカさん」は、候補者を見回した後、ユキエにそう伝えました。会話を交わすまでもなく採用され、あまりのあっけなさに、ユキエも思わずびっくりです。
晴れて転職が決まったことを記念して、近所のお姉さんが、新しいワンピースをあつらえてくれました。シラミだらけで、ぼろぼろの衣服を着続けてきた彼女にとっては、うれしさもひとしおです。
そして、ついにやって来た出勤初日。朝5時半に起き、「職場」の最寄り駅がある千代崎町まで、市電で向かいます。下車後、10分ほど歩くと、米国風の邸宅が見えてきました。
玄関では、若い女性が出迎えてくれました。“Please come in!”(どうぞお入りなさい)。促されるまま部屋に入ると、意外な光景が広がっていたのです。
電気コンロ、冷蔵庫、掃除機……。「これ、何!?」。見たこともない道具を目にし、興奮するユキエ。いきなり面食らった彼女には、どんな生活が待っているのでしょうか?
今回の作品は、横浜に住む女性(90)の親族から、岸田さんが聞き取った過去が基になっています。
親族によると、女性は当時、両親と妹・弟との5人暮らし。兄もいましたが、出征先で戦死したそうです。さらに空襲によって住まいを追われ、何度も引っ越さざるを得なくなったといいます。
生活は貧しく、13歳の頃から働き、学校にもほとんど行けなかった女性。苦しい中でも、力強く生き抜こうとする姿勢に、岸田さんは胸を打たれたと振り返ります。
「面接を始めとしたハウスキーパーの経験は、定番の思い出話として、お孫さんなどに伝えてきたものと聞きました。何度語っても、情報は細部まで変わらないそうで、かつての状況を今に伝えるエピソードです」
「女性ご本人の驚くほどの行動力と、米兵宅での就労という貴重な経験について知り、ぜひ漫画で紹介させて頂きたいと考えました。戦中戦後の体験には様々なものがありますが、米国のことを何も知らない、一人の日本人の生き方を教えてくれるお話だと感じます」
岸田さんには、ユキエの日常を、3回にわたって漫画化してもらいます。
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