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歌のお兄さんデビューから35年、坂田おさむが培った曲作りの極意
NHK「おかあさんといっしょ」第7代歌のお兄さん(1985~93年)の坂田おさむさん(67)。番組卒業後もシンガー・ソングライターとして活動を続け、「どんないろがすき」や「メダルあげます」などの曲は、今でも「おかあさんといっしょ」(おかいつ)で放送されるとSNS上で話題になります。オーディションの際、「こういうタイプのお兄さんがいても良いと思っていた」との声もあった坂田さん。番組を通じて得た経験は、その後の曲作りにも生かされていきました。
小学生のころ、ラジオ番組から流れてきたビートルズに影響を受け、音楽の道に入っていった坂田さん。大学在学中に誘われたバンドを経て、1977年に「BYE-BYE東京」という曲でシンガー・ソングライターとしてプロデビュー。その数年後、仕事で知り合った作詞家を通じて、NHKと接点ができます。
当初、NHKに関わり始めたのは「お兄さん」としてではなく、提供した曲の作詞・作曲という立場でした。
今でも人気の「はるのかぜ」(1984年)を作った後、坂田さんは番組のディレクターから、次の歌のお兄さんを決めるオーディションを受けてみないかと誘われました。
「せっかく言っていただいたので、受けさせていただいた」
「でもオーディション会場に着いて、正直違うところに来ちゃったなと思いました」
周りにいたのは、音楽大学や劇団の出身のような人たちばかりでした。
審査員から自分の好きな歌をうたってくださいと言われ、周りの人たちは「おかあさんといっしょ」で放送されている曲を歌っていました。そんな中、坂田さんは「ロックに近いような歌をうたいました。たぶん審査員のかたも『なんだこれ状態』だったと思います」。
オーディションでは、振り付けを教わりながら歌う曲もありました。声をかけてくれたディレクターのこともあり、「本当に一生懸命やりました」。
ただ、慣れない経験であまりにも疲れてしまい、お酒をのんだ翌日は二日酔いになるほど。そんな時、NHKから「坂田さんに決まりました」と電話がありました。思わず「なにがですか?」と聞くと、「歌のお兄さんです」との返事だったそうです。
後日談で、ディレクターからは「受かる受からないは別にして、参加者はみんな緊張しているから、(坂田さんが)周りの緊張を和らげる役目にもなるかもと思った」という、まさかの舞台裏事情も聞いたそう。
その一方で、「そろそろ、こういうタイプのお兄さんがいても良いと思っていた」とも言われたといい、坂田さん自身は「シンガー・ソングライターの要素をもった歌のお兄さんということだと理解しています」と振り返ります。
シンガー・ソングライターとして、番組出演時から曲をつくって歌っていた坂田さん。子どもたちの様子をみながら作ったという曲も少なくありません。その一つが、代表曲の「どんないろがすき」(1992年)です。
きっかけは、番組の収録スタジオで、女の子が坂田さんのところに寄ってきて、「あのね私、緑色が好き!」と言ってきたことでした。そうすると、ほかの子どもたちも自分の好きな色を坂田さんに伝えてくれました。実際に曲で発表したのは「ずいぶん経った後」でしたが、その一瞬で歌のイメージは出来たといいます。
実際の曲にする過程では、長女のめぐみさん(現在シンガー・ソングライターとして活躍する坂田めぐみさん)に歌って聞かせて、反応をみることも多かったそう。「『どんないろがすき』は娘が一番喜んでいたね」。
「どんないろがすき」って歌知ってます?この歌、子どもたちが(ヒントをくれたんだ)作ったんだよ。昔おかあさんといっしょのスタジオで女の子が「あのね私、緑色がすき!」ってわざわざ僕のところに来て言ったんだ。そしたら次々と子供達が自分の好きな色をにぎやかに言い始めたんだよ。(笑)
— 坂田おさむ (@sakata_osamu) January 22, 2020
人気曲のひとつ、「メダルあげます」(2015年)も、めぐみさんとの思い出が曲につながりました。小さな頃、坂田さん夫婦に折り紙で作ったメダルをプレゼントしてくれたそうです。
この曲の歌詞には、坂田さん自身が子どもの頃に抱いていた思いも影響していると明かしてくれました。
「お母さんにメダルあげますっていうことをまず考えた一方で、あんまりふだん日の目をみない物も、歌詞に入れたかった」
実際の歌詞には「お弁当箱さん」だけでなく、「レールさん」も登場します。「ふつうはどうってことないんですけど、電車を運ぶために頑張っているレールさんにもメダルを差し上げましょうと思いました」
その理由をきくと、少し考えてから、こう話してくれました。
「子どもの頃、みんながこれは良いねという時に、僕も良いと思う。でも『別のところに、もっと良いのがあったのにな』と思う子だったんです。誰も良いって言わないんだけど、おれ一人くらい良いって言ってもいいんじゃない?って」
「メダルあげます」をはじめ、現在も放送されるとSNS上で話題になることも多い坂田さんの曲。「子どもだけでなく、大人にも伝わるように意識して曲を作っているんですか」と聞くと、こう答えてくれました。
「それは結果だと思う。最初からオールラウンドを目指していることはないと思います。子どもだから歌詞をあえて簡単にすることもしないし、ちょっと哲学ぶるとかもしない。それは僕の子ども時代が許さないと思います。『これは、おまえ狙ってんだろ、正直じゃない』と」
坂田さんが曲作りで大切にしているのは「子どものときの自分が、おれの歌を聴いて喜ぶかどうか」と言います。
長く記憶に残るようにと、「そうしたい気持ちはもちろんある」けれど、「このフレーズを使えば、ずっとエバーグリーンだなと思うことはないですね。これをやったら、うけるだろうっていう作意は、たぶん子どもがすぐ見破る。自分の子どものころに照らし合わせるのが、僕は正解だと思っています」
そうした考えは、例えば試作した歌をめぐみさんに聞かせて笑顔になった時のように、「子どもの素直な状況」を見るようになってたどりついたそうです。
「これはどこかで見たな……俺だ、と気づく。子どもの頃の自分を娘にオーバーラップさせて気づいたとも言えます」
だから大人が感動するというのは「結果」なのだそう。「もちろん、例えば仕事帰りに電車で疲れたなって思うときに夕日とかを見て、こんな歌を子どもの頃に聞いたなとか、ふと思うようなことがあったらいいなと思います」
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