連載
#14 #アルビノ女子日記
「履歴書に写真欄は不要」 アルビノの私が100%賛成できない理由
「一歩引いて見ている私がいる」
「見た目の印象により、書類審査で不当な扱いを受けないよう、履歴書から顔写真をなくそう」。そんな趣旨の署名キャンペーンが、ネット上で共感を集めています。生まれつき髪や肌が白いアルビノの神原由佳さん(27)も、賛同者の一人です。アルバイトの採用面接で、「ふつう」と異なる容姿を、担当者からネガティブに捉えられた経験ゆえの判断でした。その一方、写真欄を取り除くことに「100%賛成できない」という思いも抱いているそうです。外見にまつわる悩みとの向き合い方について、つづってもらいました。
「履歴書から写真欄もなくそう」キャンペーンが、署名サイト「Change.org」で今年9月から始まり、1万2千を超える署名が集まっている。
私も所属する「日本アルビニズムネットワーク」や、顔の変形やあざなど外見に症状がある人が、結婚や就活に苦労する「見た目問題」の解決を目指すNPO法人「マイフェイス・マイスタイル」などの団体が賛同している。
このキャンペーンの趣旨はこうだ。
「履歴書の顔写真からすり込まれる印象によって、その人の能力や人柄が適正に評価されない可能性がある。ましてや外見に症状がある人は、不利な扱いを受けてしまう恐れがある。そもそも履歴書は仕事の適正や能力を知るための手段に過ぎない。そうであるなら、顔写真は不要だ」
就活での外見差別をゼロにしようとの試みに、私も大方賛同し署名した。当事者にとって顔写真が大きなプレッシャーになっている。私もそうだった。履歴書の顔写真がなくなったら、就活しやすいと考える当事者もいるだろう。
ただ、私には「100%賛成」とは言えない思いもある。
学生時代、私はスーパーやアパレル、個人経営の飲食店など、いくつかアルバイトの面接を受けた。書類選考はなく、履歴書を持参しての面接だった。
どの担当者も私を見るなり、顔を険しくし、部屋の空気が重くなった。「髪は染められますか?」と聞かれたこともあり、私はいたたまれない気持ちになった。結果は、すべて不採用。「ひょっとして髪色のせいかな」との思いがよぎった。
だから、私は想像してしまうのだ。
履歴書から顔写真をなくし、外見に症状がある人が書類選考に通ったとしても、いずれは面接で採用担当者と顔を合わせることになる。そこで、「あっ……」と、その場が凍る、あの嫌な感じを、外見に症状がある当事者が味わってしまうのではないか。
目をそらされたり、表情を変えられたりしてしまったら、当事者は傷つく。面接で不採用になれば「やっぱり見た目のせいか……」と思ってしまうんじゃないだろうか。私の場合は、履歴書で不採用になるより、面接会場を凍らせて不採用になる方がよほどつらい。
履歴書の備考欄に、症状について記しておくという手もある。ただ、「文字を読んで知る」のと、「写真を見て知る」のでは違うのではないだろうか。事前に履歴書の顔写真を見ておけば、ある程度の心構えを採用担当者は持てる。その方が、当事者にとっても面接を受けやすいのではないだろうか。
キャンペーンに反対しているわけではない。応援もしている。ただ、一歩引いて見ている私がいる。
とはいえ、「顔写真を載せるか載せないか選べるようにしたら?」という立場も取りたくない。これでは同調圧力が働き、結局は顔写真を載せることに変わりはないだろうから。
ちなみに私は今、ソーシャルワーカーとして働いている。就活では不採用も経験したが、その理由はわからない。単純に私より職務能力が優れている人がいたのかもしれないし、髪色や弱視があることで難しいと判断されたのかもしれない。ただ、後者だとしたら落ち込むので、できれば考えたくはない。
就活では渋々、履歴書に顔写真を貼った。髪色が原因となって書類審査ではじかれないよう、備考欄に次のように記した。
「私には髪の毛や皮膚が白いアルビノという疾患があります。弱視もありますが、症状に関しては個人でできる対応をし、工夫したいと考えています。それでも難しい場合は、ご相談させていただきたいと考えております。疾患などについてご不明点がございましたら、面接時にご説明させていただきます」
履歴書という限られたスペースで、いかに自分のことを伝えられるかも一つのスキルなような気がする。これが功を奏したのか、大学時代のアルバイトの面接とは違い、面接で微妙な空気になることはなかったし、見た目について問われることはなかった。
履歴書の顔写真について考える中で、どうして福祉を仕事に選んだのか振り返ってみた。
高校生の頃は、何となく「一般企業は無理かな……」と思っていた。リクルートスーツ姿の就活生たちは、黒髪のひっつめ髪という画一的なスタイルをしていた。金髪の私はミスマッチのように思えたし、その集団に入っていくのは怖かった。
そんなとき、両親から「資格を取った方がいい」とのアドバイスを受けた。もしかすると、私が就活で苦労する可能性を考えてのアドバイスだったのかもしれない。私も「人の役に立ちたい」と考えた。その思いが、私を福祉の道へと向かわせ、社会福祉士と精神保健福祉士の資格をとることができた。
外見に症状がある人には、福祉従事者が多いとも言われている。「(この外見では)一般企業は難しいかもしれないから、資格をとろう」との思いが出発点の人もいるかもしれないし、「人の役に立ちたい」という夢が出発点の人もいるかもしれない。
私は福祉の仕事が好きだ。性に合っていると思う。ただ、こういう言い方もできるだろう。私が資格職を選んだのは、就活での差別から逃れるための戦略だった。一方で、将来の可能性や選択肢を自ら狭めてしまったのかもしれない。
もし、この社会が寛容で、リクルートスーツのような画一的なスタイルにとらわれることなく、人を見た目で判断しなかったら、今ごろ私はどんな仕事に就いていたのだろう。「福祉の仕事がしたい」と思っていただろうか。
「自分がアルビノじゃなかったら」「社会がもっと寛容だったら」、そんなことを考えるときもあるけれど、実際に見ることのできない世界を想像してもどうしようもない。
それよりも、当事者を「見る目」が変わるため私に何ができるかを、考える方がわくわくする。まずは、私のように面接でしんどい思いをしてしまう人がいることを知ってもらえたら、うれしい。
そして、今回のキャンペーンに賛成するにせよ反対するにせよ、外見にまつわる悩みについて考えるきっかけになればと願っている。
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