連載
#12 帰れない村
「地域の宝」と育てられた難病の長男、原発避難で激変した周囲の視線
「津島じゃなかったら、私は子どもを育てられなかったかもしれない」
福島県相馬市で避難生活を送る門馬和枝さん(53)は、旧津島村で暮らしていた頃の家族のアルバムをめくりながら、目尻に笑みを浮かべた。
3人の子どものうち、長男には先天性の軟骨無形成症という病気があった。足の湾曲や水頭症などのリスクを伴う難病で、成人した今も身長が約130センチしかない。
そんな長男を、津島の人々は「地域の宝だ」として他の子どもと分け隔てなく、大自然の中で温かく育ててくれた。どこへ行っても「元気かい?」「学校は楽しいかい?」と声を掛けられる。小学校の学芸会や神社のお祭りで、長男が劇や踊りを披露する度に、たくさんの拍手や声援が送られた。
長男はうれしくなって行事に積極的に参加するようになり、地域の人気者として明るく社交的な性格に育った。
そんな家族のようだったコミュニティーが原発事故でバラバラに砕かれた。
激変したのは長男への視線だ。町を歩いていても、遠巻きに指さされ、好奇の視線が注がれる。
長男は当時10歳。児童が計約120人の小さな小学校を選んだが、それでも津島の学校に比べれば「都会のマンモス校」。親に心配をかけたくないと思っているのか、長男は泣き言を言わないものの、「津島に戻りたい」と繰り返した。
津島では、長男のことを特にかわいがってくれていた近所のおばあちゃんがいた。おばあちゃんは故郷を離れて足腰が弱り、今は関東地方の老人ホームに入っている。
長男はおばあちゃんにたまに会いに行き、そこで昔のようにトランプをして過ごす。すべてが平和だった、津島の空気がその瞬間だけ戻ってくる。
「私は長男を通じて、原発事故で失ったものの大きさを知ったような気がします」と門馬さんは言う。
「人と人とが気兼ねなく交流できる地域コミュニティーが持つ温かさ。それは決してお金では買えないものでした」
三浦英之 2000年、朝日新聞に入社。南三陸駐在、アフリカ特派員などを経て、現在、南相馬支局員。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞を受賞。
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