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「施設か地域か」…アイスとビールから始まる革命 議論に欠けた存在

「聞き取れない言葉」を「聞く」

地域に住むか、施設に住むか。その選択に「意思表明が困難な人の意志」はどのくらい反映されるのだろうか=写真はイメージです
地域に住むか、施設に住むか。その選択に「意思表明が困難な人の意志」はどのくらい反映されるのだろうか=写真はイメージです 出典: pixta

目次

障がい者が地域で暮らすために必要なことはなにか。様々な場面で議論が交わされて久しいですが、車いすユーザーの篭田雪江さんは、やまゆり園事件の被害者のその後を追ったテレビ番組を見て、ある違和感に気がついたといいます。1日の終わりに缶ビールを飲む先輩、同僚と表情でのやりとりを楽しんでいた男性――。いずれも「意思表明が困難な方」であり、篭田さんの知人です。彼らの声を聞くことが欠かせない理由を、綴ってもらいました。

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事件後、アパートで暮らす男性の「自由」

先日、相模原市の障害者施設、津久井やまゆり園の事件から4年たち、これに関連して放映された番組を興味深く観た。(NHKハートネットTV 「特集 相模原事件から4年“施設”vs“地域”を超えて 第1回“パーソナル”な暮らしをつくる」)

今、施設は建替作業が進んでいる。その完成後、入所者に元通り施設に戻るか、あるいは施設を離れて地域で暮らすか。本人や家族に意思確認をしているという。

番組ではやまゆり園にいた尾野さんという男性に主なスポットが当てられていた。尾野さんには知的障がいと自閉症がある。10歳から自傷行為があったため、障害児施設に入所した。その後移ったやまゆり園で長く生活していたが、事件後はアパートに移り、重度訪問介護のヘルパーの介助を得ながら地域で暮らしていけるかを体験する様子が放映されていた。

そこでは尾野さんがヘルパーと共にスーパーへ買い物に出かけ、好きなカレーを食べ、アイスをかじる風景が映し出されていた。ごく平凡な日常の光景。食べ過ぎで吐いてしまったり、大声を出したりするということもあるようだが「会った頃より表情がどんどん豊かになり、自分を出してくるようになった」というヘルパーの言葉があった。

その言葉通り、尾野さんが楽し気に笑う表情が印象的だった。自分の時間、もっと大げさに言えば自分の人生を、自分で好きなように過ごす。1日のスケジュールが決められた施設では得にくかっただろう自由を、心から楽しんでいる姿があった。

【津久井やまゆり園での事件】
2016年7月、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で重度障害者19人が殺害された。「生産性のない命には価値がない」と主張した植松聖死刑囚に対する判決は3月に確定した。

身体障がいがあっても保障された「自由」

尾野さんを見て思い出したひとがいる。私が夏で退職した前職場である社会福祉法人の就労継続支援A型で、今も印刷業務に就いている男性の先輩だ。

先輩は脳性麻痺が原因の身体障がいを負っている。両腕は平泳ぎのようなかたちで固まっている。歩行も困難なため車いすに乗っているが、脚を床におろし歩くようにして自走することは可能だ。発声にやや難があるが日常会話に支障はない程度。従事しているDTPソフトを使った編集作業も、固まった両手を器用に動かしながらキーボードやマウスを操作し、仕事をこなしていた。

先輩は普段、敷地内にある寮で生活している。寮には障がい者施設やグループホームのように決められた1日のスケジュールや行動の制限はあまりない。宿直が数人、交代で常勤しているが、日常業務は夜の見回り程度で、「万一の事態」に備えてという一面が強く、ひとりひとりの生活の介助をしているわけではない(自分のことは自己責任で行える、周囲とのいざこざは避ける、掃除当番や門限を守ってもらう、問題と思われる事態を起こした場合は退去を促されるといった制限はあるが)。

一見無責任、あるいはデメリットとみられるかもしれないが、その分入居者の行動の自由はかなりの部分で保障されている。

障害者が「自由」を持って生活するために必要なこととは=写真はイメージです
障害者が「自由」を持って生活するために必要なこととは=写真はイメージです 出典:pixta

1日の終わりにロング缶2本

先輩は大変なビール党である。仕事が終わり、寮の厨房から出される夕食を摂って一日の区切りがついた後、ロング缶二本を乾き物で飲みながら、バラエティ番組やドラマを観るのが楽しみ。週末もすぐ隣にあるスーパーへ買い出しに出かけたり、時々バスに乗って映画を観に行ったりと、その生活を楽しんでいる。

さて、実は先輩はもう60歳を超えている。私の前職場の定年延長は5年が最長なので、職場や寮にいられるのはあと2、3年だ。

私が退職する1年ほど前、上司との雑談で聞いた話がある。先輩が60歳を迎えた際、退職して介護の行き届いた障がい者施設に移ったらどうか、という話を上司は持ちかけたらしい。

確かに先輩は加齢もあってか、膝関節の手術のため入院したり、週に二度訪問リハビリを受けるため早退するようになったりと、ここ数年はからだの衰えが進行していた。また健康診断を受けた時、肝機能の悪化も指摘された。そういった状態のため、これから生活していく上で万一が起きないとも限らない。例えば酔ってトイレに行き転倒したり、外出時に横断歩道を渡り切れなかったり、などだ。

そうした生活、健康上のことを加味して上司は提案したようだ。だが先輩はそれを拒み、定年延長を選んだという。自分の生活ペースを崩されたくなかったのだ。そんな雑談の最後、上司が言ったひと言が忘れられない。

「○○さんは、よっぽどビールが飲みたいんだなあ」

【自己決定】
対人援助にかかわる援助者の行動規範の一つに「バイスティックの7原則」がある。「自己決定」は7原則のうちの一つ。
サービス利用者自身は、自らの問題は自らが判断・決定する自由があるという理念に基づく。ただし、その自由は、自己決定能力の有無などの条件がつくという考え方が一般的。

「おひたしに醬油かけますか?」に、にっこり

もうひとり、番組を観て思い出したひとがいる。

私の前職場に就労継続支援B型が創設された際、そこに移ってきた男性である。ここでは仮にOさんとする。入ってきた当時は五十代はじめだったろうか。具体的な障がい名はわからないが、当初はやや前屈みになりながらも歩行ができたが後に車いすになった。手の関節の固まりは前述の先輩より強く、食事はスプーンを握りしめ、やや苦労しながら食べているように見えた。発声も、前述した先輩より困難で、私は会話を聞き取るのに苦労してしまい、迷惑をかけたと今も悔やんでいる。仕事内容は就労継続支援A型から頼まれる文字入力、簡単なパンフレット作製などが主だった。

そのOさんも、職場や寮での生活を楽しんでいたようだ。昼食時の食堂では車いすの女性と席が隣だったのだが、女性に「おひたしに醤油かけますか」などと問われるとにこにこうなずき、お礼をしていた。女性は私よりOさんの話を聞き取るのが上手だったので、時々他愛ない会話をしては笑い合っていた。外出時は電動車いすを使って、先輩とおなじように買い物に出かける姿をしばしば見かけた。

相部屋に何十年…そしていまの自由

ある日、親しくさせてもらっていたB型の女性職員(この職員とか利用者とかいう言い回しは好きでないのだが)と、私のパートナーを含め三人で週末食事をした際、Oさんの話題になった。話によるとOさんは以前いた作業所で窮屈な思いをしていたらしい。生活の時間はきちんと定められ、寮の部屋も二人の相部屋。そんな暮らしを何十年と続けた末、職場を移ってきた経緯があったという。

ある程度の制限があるとはいえ、今の寮での部屋はひとり。先輩のように、まわりに気兼ねすることなく自分の時間を楽しめる。仕事も充実している。これまで関わったことのなかったようなひととの会話も楽しめるようになった。まさに人生ががらりと変わったのだ。食事会の際も、女性職員は「Oさんのなかで、革命が起きたんだよ」と、感慨を込めて話していた。

冒頭で書いた、やまゆり園の元入所者の尾野さんとおなじだ。

だがその後、Oさんのからだの衰えは、先輩より顕著だった。食事も出会った頃よりかなり苦労するようになっていた。

私の退職後ほどなく、Oさんも職場を辞めたと聞いた。寮からも離れ、別の障がい者施設へと移っていった。Oさんが自ら選んだのか、それともまわりの助言に従ったのか。それはわからない。

【地域移行支援】
改正障害者自立支援法の施行(2012年4月)に伴い、入院中から、住居の確保や新生活の準備等の支援を行う「地域移行支援」や、地域生活をしている人に対して24時間の連絡相談等のサポートを行う「地域定着支援」が創設され、国は、障害者の生活の場を地域に移す動きを進めようとしている。
2013年版の障害者白書によると、在宅の身体障害者(18歳以上)の8割以上が本人又は家族の持家に住んでいる。また、在宅の知的障害者(18歳以上)の8割以上が自分の家やアパートだが、支援付きの住まいであるグループホームや通勤寮を利用している人もいる。さらに、外来の精神障害者の約4分の3は家族と同居しており、一人暮らしは2割弱。

当事者不在の限界

さて、番組は二夜連続構成になっていた。第二夜ではゲスト三人を招き、第一夜の感想も含め、いろんな意見を出し合っていた。画面下には視聴者からのツイッターの投稿も表示されていた。(NHKハートネットTV 特集 相模原事件から4年“施設”vs“地域”を超えて 第2回“ともに暮らす”は実現できるか?」)

実は第二夜がはじまった瞬間、私はふと違和感を感じた。

ゲストの内訳は障がい者のドキュメンタリー映画を製作している映画監督、自身も進行性の難病を抱えながらも、障がい者の地域生活の相談支援を行っている自立生活センターの理事長、そして障がい者の自己表現などを研究している大学教授の三人。

第二夜では障がい者(ここでは知的障がい、自閉症といったハンディを抱えた方を指していたと考えてよい)が地域で暮らすか、あるいは施設で暮らすか。本人の自由をどれだけ尊重するのか。さまざまな議論がなされた。肯定、否定。現実の困難さ。地域の無理解。生きる上での選択肢の自由。障がい関係なくそのひとを見ることが大事……。ツイッターでの意見も含め、どれも正しく、納得できるものだった。間違っていたり、ずれていたりしていたものなどなにひとつなく、学びも多かった。ゲストはある意味、障がい者問題を考えるプロである。傾聴に値する意見が多いのは当然でもある。放映中、私は何度うなずいたか。

それでも、なにかが違う、という感覚をずっと拭えなかった。

実は理由は最初からわかっていた。ゲストのなかに当事者がいなかったからだ。

例えば第一夜で紹介された尾野さんやそのご家族、あるいは知的障がい、自閉症といったハンディを抱えたひと、つまり番組のメインで取り上げられていた肝心の当事者が招かれていなかったからなのだ。

確かにゲストのひとりは実際に車いすで難病を抱えていたが、ハンディは身体的なもの。人工呼吸器を使ってはいたが、自分の意見をしっかり表明できる。自立生活センターの理事長を務めているくらいだから、豊富な知識も経験もあるのだろう。

だが、私が第二夜で本当に聞きたかったのは、第一夜で登場した尾野さん、あるいは私が出会ったOさんのように自分の意思表明が困難な方。そんな方たちの言葉だった。実は番組中、意思疎通の困難な方の意思を聞き取ることは困難だが大事、といった主旨の意見も何度か出されていた。

だったらなおのこと、そういった方たちをゲストに招いてほしかったと思うのだ。制作や進行上、難しかったのは理解できる。仮に依頼しても断られる場合だって想像できる。それでも、ゲストとして呼べなかったとしても、尾野さんや、あるいはOさんのような方々を、VTRででもいいから紹介してほしかった。そしてそんなひとたちの言葉を、なんとか拾い上げてほしかった。

長くなくていい。難しくなくていい。むしろひと言の方がいい。尾野さんのような「アイス食べたい」。そんな言葉ひと言を、切実に聞きたいと思った。

津久井やまゆり園の献花台に花を手向け、目頭を押さえる女性。園は建て替え工事が進んでいる(後方左)=2020年7月26日午前、相模原市緑区、長島一浩撮影
津久井やまゆり園の献花台に花を手向け、目頭を押さえる女性。園は建て替え工事が進んでいる(後方左)=2020年7月26日午前、相模原市緑区、長島一浩撮影

「聞くべき言葉」は土を掘り下げやっと聞ける

大変な困難が伴うのはわかる。私だってOさんの言葉をなかなか聞き取れなかった。そんな自分の怠惰の自戒と反省を込めた上で考える。そういう方々の言葉を土を掘り下げるように、暗闇のなかへもぐりこむようにしながらでも、私たちは聞くべきなのだ、と。そう、第一夜で重度訪問介護のヘルパーが尾野さんに寄り添い、その言葉や望みを探っていたように。

番組のメインテーマである、暮らすべきは地域か、施設か。あるいはまた別の道か。私自身はどんな選択を取ってもかまわないと思う。その選択肢、自由は多様であるべきだし、そのために必要な体制の整備も急務だ。だがそのひとたちの、土を掘り下げた末にある望みを聞いてからでなければ、本当に合った選択肢、そしてそのひとにとっての自由がなにかは決してわからない、なにもはじめられないのでないだろうか。

現実を脇に置いた甘い理想、観念論を言っているのは重々承知している。それでも私は信じたいのだ。尾野さんがアイスを食べる姿から、先輩がビールを楽しむことからすべてははじまる。Oさんに起きたような革命がはじまる、と。

今、私はOさんに会いたいと思っている。Oさんに会って、話を聞きたい。聞き取りの下手な私を快く迎えてくれるだろうか。それでも会ってもらい、できるなら話してもらいたい。そして話してくれるなら問いたい。答えてくれるなら、私の全身全霊をもってでも聞き取る。

Oさん。あなたは今、本当は、なにを望んでいますか。

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